第2話 In case of Zaty=Nol・SIDEWINDER

 遡ること、Outsider大脱走事件の一週間後。砂漠と石油の国アビラン地区。

 政権崩壊によって麻の様に乱れた治安も去ることながら、この国は貧富の差も著しかった。這いつくばって物乞いをする者もいれば、何千万というカネを秒単位で動かす石油王オイル・ダラーもいた。人々は貧困から抜け出そうと採掘に精を出したり、言葉巧みに金を騙し取ったりもした。無論、人を殺し金品を奪う者も――

 アビラン地区の外れ、カリフ地区に面した地方にある危険地帯、通称ワイヤーストリート有刺鉄線通り。行けば死ぬとまで言われている其処に、一大抗争が起きていた。


「くそっ! 化け物めっ!」

 バーのカウンターをバリケード代わりにして、男たちが銃を撃つ。店内の床には鮮血と死体が散乱し、毒針と思わしき金属片が刺さっている者、その毒で皮膚が青く腐食している者、首があらぬ方向に折れ曲がっている者など、死因は様々だった。敵は一人だった。たった一人がこの様な凄惨な現場を作り出していたのだ。

「あと何人だ!?」

「あっちに三人! また誰かやられた――くそっ!」

「あの野郎……アッザラームなめやがって!」

 アッザラーム一家、それがこのワイヤーストリートを牛耳る武装集団だった。構成員百人程だが、アビラン警官隊千人を半数近く殺し、撤退させた程の危険な集団である。

「応援はっ!?」

「さっきから要請してるんだが誰も出ねぇ!」

 だがそれは昨日までの話だった。現在、構成員十数名。増援で来てくれるはずの配下のゴロツキ共からも何も連絡がない。

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「ハッジの声だ!」

 刹那、カウンターを蹴られた様な衝撃が来たかと思うと、それまで携帯を持っていた男――サラードが倒れた。彼の頭には銃弾が三発、カウンターの上から撃ち込まれていた。残された男――マハドは何が起こったかまるで判らなかった。自分がハッジを案じた瞬間にサラードがやられたのだ。マハドは恐る恐るサラードの死体から、カウンターの上に視線を上げた。そこには鈍色のタイトジーンズに白のノースリーブ、茶色のキャップを被った男がしゃがんでいた。銃口をこちらに向け、右手には煙草を燻らせていた。

「もうお前だけだ。かしらは俺の“毒”を有り難く頂戴したぜ」

「テ、テメェは何処の組だ……」

 男は喉で笑いながら煙草を指で弾く。

「組? クックッ――今は一人だ。これからここで俺の城を築くんだよ」

「何が目的なんだ……テメェは、一体何者なんだ?」

「テメェらとそう変わんねぇよ……好きな酒を飲む様に、ヤりたい女とヤる様に、俺は殺したい奴を殺す。いや、地獄に招待してやる。人だろうがOutsiderアウトサイダーだろうが関係ねぇ……俺は俺の気の済むまでテメェらを奈落にぶち込んでやるよ。それがザティだ」

 男――ザティはキャップを取り、逆立った黄緑色の髪に鮮やかな赤いメッシュを露にした。マハドはその髪と名前に聞き覚えがあった。三年大戦の首謀者、Outsiderのシングルナンバー、万人殺し、最狂の毒蛇……数多の二つ名を持つ男の名前こそが――

「ザティ=ノル・サイドワインダー……」

「ご名答って奴だ」

 銃はポケットにしまわれた。一頻り弾丸をマハドに撃ち込んだザティはウィスキーのボトルを引ったくり、店を後にした。外に出ると、それまでなりを潜めていたゴロツキ共が地べたに頭を叩き付けて服従を懇願した。彼はゴロツキ共を無視すると、アッザラームの頭がいたビルの中へと消えていった。


 打ち付けのコンクリートの壁には血しぶきの跡がまざまざと残り、床には武装した男や武装とは縁遠い売春婦達が何人も息絶え転がっていた。死体共から流れた血は未だその紅を残し、裸電球の明かりを照り返していた。そんな地獄絵図の様なビルの一室を、ザティはまるで自室の様に歩き、部屋の奥にある革張りの椅子に対峙した。

 ソファーにはアッザラーム頭首、クサーマ=アッザラーム=ルシェインが座していた。ルシェインはザティを視界に入れるや否や苦悶と憤怒に顔を歪め、青緑に腐食した身体をぶるぶると震わせた。肩や腿には例の毒針が突き刺さっていた。

「まだ生きてたか……動きてぇか、おっさん」

 ザティはウィスキーを煽りながら零落した王に問うた。ルシェインは怨恨の眼差しでザティを睨みつけるが言葉を発そうとしない。

「喋りてぇだろうが止めとけ、死に急ぐだけだ。アンタの喉はその腕や足同様、俺の“毒”で潰させてもらった。こいつはな、筋肉を麻痺させ、やがて腐らせる。あと三十分もすりゃ、アンタは心臓や脳みそごと腐って死ぬ」

 その言葉を受け、ルシェインは悔恨の涙を流した。抗議を試みるルシェインの口からは微かな空気が通る音しか出なかった。ザティはそんな彼を見下し、嘲笑する。

「悔しいよなぁ……たった、たったの一時間でお前の部下や家族が死に、テメェのシマは俺にぶっ潰されちまった……喚きたくなる気持ちも解るぜぇ? ハッハッハッハッハッ!」

 その時だった。部屋の入口から散弾銃の弾丸が飛んで来たのは。


 間一髪ザティは大きく地を蹴り、宙を舞った。無数の弾丸はルシェインを包み込み、彼にとどめを刺したのであった。ザティには判っていた。散弾銃の射手が――自分を殺そうとした奴の正体が。宙に舞ったと同時に投げた毒針は扉に刺さっており、件の射手は発砲場所から既に消えていた。

「ショットガンか。いいのを持ってきたじゃねェか」

 半ば期待の色を滲ませつつザティが問うと、射手は天井からべしゃりと落ちてきた。目から頭頂部にかけて包帯を巻き、そこから所々はみ出ている銀色の髪、異様に伸びた舌、首に彫られた蛇のタトゥー、裸の胴体に刻まれた尋常じゃない大きさの裂傷跡、そして右手に携えた改造散弾銃……年こそ二十代でザティと同じくらいだろうが、とても普通の人間のなりではなかった。

「ザティ、殺ス……」

 射手の名は、ラタゾットと言った。ラタゾットはしゃがれた声でそう呟くと奇声を発しながら散弾銃を乱発した。フルオートマチックに改造されたショットガンは瞬く間に弾丸を部屋中に撒き散らす。ザティは笑い声を漏らすと的確に弾丸を避けていった。

「おもしれぇが、甘ぇんだよ……クソがっ!」

「!」

 ザティは男の死体からコンバットナイフを抜くとラタゾットの懐に潜り込み、アッパーを見舞う様に斬り上げた。軽い身のこなしでラタゾットは腕が斬り落とされる事を回避したが、散弾銃が縦に真っ二つに割れてしまった。ラタゾットは素早く銃をザティ目掛け投げ、彼が怯んだ所を手の爪で引っ掻いた。ザティはニヤリと笑うと引っ掻かれた腕の傷など気にも留めずにラタゾットの腹を力一杯蹴りつけた。

「ゲハァ!」

 五メートルほど吹き飛び、床に転がるラタゾット。ザティは彼にゆっくり歩み寄る。

「テメェの攻撃なんざ痛くねぇんだよ……そろそろ復讐ごっこなんか止め――」

 ザティがふと視線を移すと彼の口角は上がっていた。ラタゾットは口から毒々しい液体をザティ目掛けて吐きかけた。それはラタゾットの“毒”であった。それは酸の様にザティの皮膚を焦がし、苦痛の声を上げさせた。ラタゾットはむくりと起き上がるとザティを殴り飛ばす。

「ザティ……死ネ」

「奥の手……隠してやがったとはなぁ」

 ラタゾットは更にザティを蹴り飛ばす。しかしながら今度はザティがニヤリと口元を緩めていた。

「ナニガ可笑シイ……」

「いや……本当にテメェは俺を殺してぇんだって思ってな……だがな……」

「?」

「テメェに俺は殺せねぇ……!」

 ザティはポケットに残していた銃――その最後の一発をラタゾットの額にお見舞いした。マハドを撃ち抜いた銃の最後の一発である。ラタゾットの額に風穴が空くと、彼はそのまま仰向けに倒れ伏した。


 小さく息を吐き、むくりと起き上がるザティ。その表情は釈然としていなかった。勝利の後の虚無感とのギャップ? 無論そんなものではなかった。

「脱皮か……相変わらず逃げ足だけは速ぇ奴……」

 死体であったはずのそれは、まるで空気の抜けた風船の様に萎んでいた。ラタゾットは自分の皮だけを残し、既にどこかへと姿を消していた。これも彼の“能力”の一つであった。ラタゾット=ムーア・ポイゾネス、彼もまたザティと同じく“蛇”の能力を持つOutsiderであった。

 ザティは焼け爛れた皮膚に唾をつけると、先程のルシェインの死体を蹴り飛ばし、椅子に腰掛けた。

 どうせまた俺を殺しに来るだろう――ザティは奇妙な期待を以ってラタゾットを待つのであった。


 アビラン地区に〔ザティ現る緊急事態〕の報が蒼い社に届くのは、それから間もなくの事である。

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