第1話 In case of Idy=Rodo=Tote.
リードミの森は、昼なお暗き森。深緑の闇は森全体を覆い、沈黙をも湛え、人々に足を踏み入れる事を躊躇わせた。
人間は闇に恐怖するもの。恐れ敬うが故にこの森を保護地区と称し、一切の立入を禁じた――否、立入を戒めたと言った方が正しかった。しかしそこに一人の少年が暮らしていた。リードミの森の奥深く、物好きな人間でさえも立ち入らない様な所に、少年は居を構えていた。と言っても、大人一人がやっと入れる様な小さな穴ぐらである。そんな粗末な生活をしているには、もちろん訳があった。ある明け方、彼は聞き慣れない音に気付いて目を覚ました。車の駆動音が遠くから聞こえるのだ。静寂が常のこの森で車と言えば、自然保護団体か調査団か、あるいは“あの団体”しか考えられない。
「――もう嗅ぎ付けられちゃったんですかね」
少年は一つ溜め息を吐くと、蒼の外套を羽織り、革の鞄を肩に提げてその穴ぐらを後にした。歩みの先は駆動音の方角であった。
「反応上がりました。半径1キロメートル以内です」
「よし、止めろ。ここからは歩いて探す。数は?」
「一人です」
「容易いな、行くぞ」
森に作られた粗末な道路、薄青いトラックが道の真ん中で止まった。コンテナからトラックと同じ色の、機動隊の様な戦闘服に身を包んだ男が四人出てきた。隊長らしき人物が手で合図をすると、男達は周囲に気を配りながら闇の中を縦一列に前進した。
「なんて所だ……午後とはいえまだ日中だぞ」
レーダーを頼りに、隊員達は道路から外れ、森の中へと分け入って行く。背の高い針葉樹がほぼ均等に立ち並び、迂闊に歩くと方角すら判らなくなりそうな程であった。
「反応変わらず」
「あまり深くは立ち入りたくないものだな」
隊員達は木々の上から木漏れ日を感じた。珍しい事もあるものだと思いつつ通り過ぎたその時だった。最後尾でレーダーを背負っていた探索員が悲鳴を上げた。すぐ前の隊員が探索員の方を振り返ると、探索員は全身火だるまになって暴れていた。
「うわ! 燃えてる!」
「火を消せ! 一面火の海になるぞ!」
狼狽する隊員に隊長はそう怒鳴ると、持っていた銃のコッキングレバーを引いた。ガチャリ、と撃鉄の音が聞こえる。神経を研ぎ澄ませて周りを見た時、右手側100メートルほど先に人の影を見た。
「
人影は動く様子を見せない。隊長とそのすぐ後ろの隊員が人影に詰め寄る。火を消した隊員が、気絶している探索員からレーダーを取ると、そこに映し出されていた情報を見るや否や隊長に告げた。
「距離20! 近いです!」
隊長のすぐ後ろに居た大柄の隊員が小型のバズーカで人影を撃った。弾が途中で炸裂すると、とり餅の様な粘着物質が人影を捕らえたが、人影がもがく様子はなかった。それどころか、粘着物質の内側からまばゆい光が放たれたかと思うと、真っ黒に焼け焦げてしまったのだ。
「しまった! ダミーか!」
「その通り、そしてぼくはここに居ますよ」
「!!」
振り返ると、そこには蒼の外套に身を包んだ橙の髪の少年が笑顔で立っていた。距離およそ10メートル以内。
「そこに伏せて、背中で手を組め! 今すぐに!」
隊長は銃を、隊員はバズーカを構える。怯える様子もなく、少年は笑みを崩さずにいた。
「嫌だと言ったら?」
「身柄を確保するまでよ……撃てぇ!」
隊長の言葉に、またもバズーカから弾が射出される。
「対Outsider確保用弾丸――網じゃなくなったんですね」
そう呟いた少年の指先から光の球が放たれると、弾丸は炸裂する事なく光に飲み込まれ、光と共に消滅した。その間二秒もなかった。あっという間の出来事に我が目を疑う隊長と隊員。
「無理だと思いますよ。ぼくは絶対に掴まりません」
「掴まらなければ……殺すまでだ!」
隊長は持っていたアサルトライフルを少年めがけて連射した。その瞬間だった。少年の身体から先程のダミーの様な光が放たれ、弾丸はその中に吸い込まれていった。光り輝く少年は被弾した素振りもなく、辺りの小枝やら草を焦がしている。隊長が呆気に取られていると少年が左手を前に向けた。一条の光がすぐ横の隊員に悲鳴を上げさせた。何が起こっているかなんて判らなかった。次の瞬間、自分の視界が真っ白になったかと思うと、途端に真っ暗になった。
「う……うあっ! あっ! あぁぁっ! あぁぁぁぁぁ!」
隊長からも悲鳴が上がった。光が消え、少年が元の姿に戻った。唯一残された隊員はレーダーを片手に持ったまま動けずにいた。隊長と仲間の悲鳴と呻きが森にこだましている。少年は落ち着き払った態度でその隊員に歩み寄った。
「隊員さん。帰って報告しては如何ですか」
「ひ、ひっ――」
「
隊員は首を細かく上下に振っていた。恐怖で顔を崩しながら。
「あー、えっと――ちょっと怖がらせすぎちゃいましたか? あの、隊長さんも仲間の人も、一時的に失明してるだけですよ? そこの人はちょっと火傷させ過ぎちゃいましたけど……でも、死んでないです。多分」
少年は困った様に笑いながら、隊員に話しかけていた。人当たりのよい顔をしていて、とても先程のOutsiderには見えないくらいだった。人は窮地に立たされると脳が急激に思考を巡らせる。一度に様々な思考が働くようになるのだ。残された隊員――アンソニー=ヨーク二級対策員の思考はこうだった。
『怖ぁぁぁ!』
『え? 隊長やられた? 死んだ?』
『何の“能力”だ?』
『俺、生きて帰れる?』
しかしながらこの少年の人当たりの良さそうな顔に、内心緊張がほぐれたアンソニーは、こう思考してしまった。
『今ならやれる? ……やれる』 と。アンソニーは腿のホルダーから小銃を取り出しながら叫んだ。
「死ねぇ! Outsider!」
リードミの森は、静寂を取り戻した。辺りには全身に火傷を負って倒れている探索員と、呻き声の収まった隊長と隊員、そして“太陽”によって暴発させられた拳銃を握ったまま気絶したアンソニー二級対策員が残されていた。
「危なかった……砲身を熔かしておまけに弾倉を熔かしたら、銃がいい具合にかんしゃく玉みたいになっちゃった……さて、次はどこに行こうかな……なるべく蒼い社の人たちが来なさそうな場所に行きたいなぁ」
少年は森を後にしていた。行く宛のない、新しい寝床探しの旅が始まっていた。
「
「読め」
「はい。『我、Outsiderト交戦セリ。被害甚大ニヨリ退却ス。Outsider、“太陽”ヲ操ル者ナリ』バーマン一級対策員の班からです。送信者、アンソニー=ヨーク二級対策員」
世界の中心都市アリーメア、そこに存在する蒼い社アリーメア本部。天壌寺と呼ばれた黒髪の東洋人は、秘書を一瞥すると、すぐに自分のデスク、モニターに視線を落とした。
「たかが一班、それもOutsider確保失敗の報告……聞かぬ方がまだ良かった」
「申し訳ありません」
「……しかし、“太陽”か。場所は?」
「リードミの森です。森の奥から送電された模様」
天壌寺のコンピュータには、あの少年のデータが映し出されていた。天壌寺は秘書の方を見た。
「西エウロにブレットを向かわせろ」
「はっ。しかし、彼女は今ハポネ島で休暇を――」
「構わん。副所長命令だと伝えろ」
「畏まりました」
秘書は敬礼すると部屋を後にした。天壌寺は顎に手を置き、革張りの椅子にもたれかかった。モニターに映し出された少年の顔を見ながら。
「
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