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剣人の母、美紀が亡くなったのは二年前。
剣人が高校三年生の秋。大学にも合格し、一人暮らしの準備をしていた頃だった。
物心ついたときから剣人は母と二人暮らしだった。父親は剣人が二歳の時に他界し、記憶はまったくない。
母子二人。放送局勤めの美紀は日々忙しく、けれど不自由のない生活を送っていた。
剣人が幼少の頃は、まだ美紀がアナウンサーとしてテレビにでていた。
夕食時。美紀が留守の間、面倒を見る為に家を訪れた祖母の
「ほら、お母さんがでてるよ」
テレビに映る母は中継先でおいしいものを食べていたり、番組内の抽選コーナーなどで場を盛り上げる印象が強く残っている。よく笑う人。
剣人が中学校を卒業する頃には内勤に移動し、姿は見なくなった。
死別は突然。脳出血が美紀の命を奪った。
いつもと変わらない午後。美紀が倒れたと連絡が入り、剣人の日常は一変する。
病院に向かい、先に到着していた里巳と有希子から美紀の容体を聞かされる。
手術しても意識が戻るかどうかわからない。絶望的な状態だと。
不安なまま手術は終わり、だが容体が急変。植物状態。意識が回復する可能性はほぼないと。
美紀の死は剣人の手の届かないところで進行し、どうにもできない。
ずっと無事を祈っていたが、通じず。
最期までの四日間。剣人は母を失う悲しみ、傍にいるだけで何もできない無力さに打ちひしがれた。
そして里巳、有希子と共に美紀を看取った。受け入れがたい現実。だが容赦なく物事は進む。
葬儀の最中はただ茫然とし、別れの言葉もでない。
全てを終えて剣人と里巳、有希子は自宅マンションに。
これからのことについて話し合い。家のこと、生活のこと、大学のこと、そして美紀のコピーのこと。
美紀がコピーを残していることは知っていた。
「何かあった時の為に、自分で物事を決めたいから」という理由で。
つまり遺書がわり。コピーとして覚醒し、活動するかどうか、生きていくかどうかはその時点では決めていなかった。「そうなった時に決めればいいわ」と。
葬儀から四日後、里巳と有希子、剣人の三人は覚醒した
病室で横たわる母の姿、表情、死。その事実を茶化されているようで。
覚醒した
「本当に脳出血で死ぬなんてね」
美紀は健康診断で脳出血の発生確率が人より高いと診断されたという。だからコピーを残したとも。それを剣人は聞かされていなかった。
「こうなった以上、仕方がないわ。これからのことは、少し様子を見る。活動するかどうかも」
葬儀を終えて
コピーと生活することを思い描く。
「剣人」
呼びかけに恐る恐る顔を上げて
「私のことが無理なら、ちゃんとそう言いなさいね」
結局、剣人は
コピーを「母さん」とは呼べなかった。
美紀の最期の死に顔を剣人はまだはっきりと思い出せる。
〈再会の間〉で映し出され、話をした美紀は何なのか。ただのコピー、人工知能なのか。美紀本人なのか。
剣人はコピーを受け入れることが怖かった。人ではないものを人として接することが。死んだ人のことをコピーで補おうとする行為も。
だが母の死も、受け入れがたい現実。コピーに縋りたい気持ちがないわけではなかった。
家に帰り、剣人はどうすればコピーを受け入れることができるのか調べる。
ともかくコピーとコミュニケーションをとり、慣れることが大事だと言う。
翌日、剣人は意を決して
「どんな感じ? ちゃんと食べてる? 火の元には注意するのよ」
気遣う
それを聞いて剣人はこれが本当の母の言葉か、それてとも母の思考を模倣して吐き出された言葉か、どちらだろうと考えた。
「でも、受験の後でよかったわ」
自分の死が受験の後でよかった、と。
その一言に剣人が反応する。
「よくない」
受験の前でも後でも、死がいいことであるはずがない。
「……そうね、よくないわね」
コピーだからそんな発言をしたのかと、剣人は内心、憤る。コピーだから、自分の死に無関心なのかと。
押し黙る剣人。そして
それにコピーになってからのことを話そうにも、それらがすべてコピーとして生きたいという懇願に聞こえるかもしれないと恐れていた。剣人の負担にはなりたくなかった。だが一方で、コピーとして生きてもみたいと僅かな希望も持っていた。
覚醒した
「そもそも脳出血のことだって、なんで教えてくれなかったの」
憤りを押し殺して剣人は聞く。
「人より少し発生率が高いだけで、気にしなくていいって言われたからね。心配させたくなかったのよ」
そんなものなのかと思う剣人。現に美紀は脳出血で死んでしまったのに。
「でもごめん。謝るわ」
母が素直に謝るところは、剣人も常々見習うべきだと感じていた。
そして謝られたら、もう許すしかないと。
面会後。
剣人はまだ答えが出せなかった。
想像以上に、
誰しも最初にコピーを受け入れるには時間がかかる。面会を継続することが大事だとも。
けれど、本当にそれでいいのか。
コピーの存在は死の拒絶、死を受け入れられない弱者の逃げだという。現実の死の意味を考えるべき。生者は死を受け入れて生きるべきだと。
そんなコピー否定派の感情を目にして、納得する部分もあった。
面会後、そのままの足で剣人は美紀のお墓へ。墓前に立ちすくみ、美紀の死を思い返す。
母の死は何だったのか。コピーがあるからと言って、死から逃げていいのか。
お墓には骨が収められている。母の死が、そこにある。どうしようもない現実。
母の死から逃げてはだめだと言う気持ちが強くなる。
母に真摯であるべきなら、死から逃げるべきじゃない。目を背けるべきじゃない。
コピーが存在するという事実によって、剣人は母の死を受け入れようとした。
母の死を否定してはだめだと。
「コピーとは暮せない」
剣人は里巳に伝える。
剣人の考え、そして有希子も
自分の子供、そして肉親から否定されて、生きていけるか。
大事なのはコピーとしての自分の生か、家族の意見か。
自分はコピー。データ。生きていない。ならば、生きている人の意志を尊重すべきだと。遺言書替わりとしての役割を全うして消える。それでいいのだと
だが里巳が、コピーを必要としていた。
〈眠り〉はコピーの維持費用をぐっと抑えられる。定期的な目覚めを設定して世相を確認することも。
コピーが〈眠り〉を選ぶ理由は、活動費用の問題や、また現世の人がコピーの活動を許さない場合、単に人格を記録として残す場合など。遥かな未来の世界で目覚めて、活動することを望むコピーもいた。
どんな場合でも、面会を希望すれば〈眠り〉のコピーを覚醒させて会うことができる。費用は掛かるが。
「今後、コピーを絶対に否定したままでいるかもわからないだろう。とりあえず〈眠り〉で残しておくことは悪いことじゃないはずだ」
里巳に言われ、剣人はそうだろうかと疑問に思う。
剣人はコピーを完全に否定してはいなかった。母の死を否定しない為に、今は一緒に暮せないだけ。
ただ、里巳はコピーを必要としているのだと感じた。
そして
コピーとして活動しないならば、有希子と剣人も許すのではないかと。
そしていつか剣人がコピーとして生きることを許すならば、そうしようと。
こうして
剣人はそれきり
剣人はコピー否定派にはならなかったが、話題を避けがちであった。
だが生活の中でコピーの話題はどうしても耳に入る。
コピー肯定派の意見を見ればそちらに傾きそうで。また否定派の意見の中にも納得できる部分もある。
母のコピーなのだ。嫌いにはなれない。肯定も否定もできないまま、他の人がどう考えているのか、同じ境遇の人の悩みを閲覧する。
「覚醒してから怖くて一度も会っていない」
「少しでもコピーを肯定する気持ちがあるなら、会いに行くべき」
「時間をかけて慣れていくしかない」など等。
その中で、コピーを遺品、形見と捉える人もいた。
それは単に記録として残しておくのと同じ。心のデータ、精神のデータがあるだけで安心できる。そして利用したいときに利用すればいいと。
コピーを人として扱うわけではなく、物として扱うこと。
剣人はコピーを物として扱うべきか、それとも個人、人として扱うべきかわからなかった。ただ遺品という言葉はその時から頭に残った。
結局、コピー肯定か否定かを決めるには自分にも時間が必要という口実を見つけて、向き合うことから逃げた。
里巳は度々、
剣人からも訊ねなかった。剣人がコピーと会わないことに対しては何も口出ししてこない。コピーに対する認識には干渉しなかった。有難くもあり、また責められているようでもあった。
コピーの話題を目にして、たまに
だがまだ自分は必要としていない。ひょっとしたらこのまま利用しないかもしれないと思うようになった。
会うことを考えると怖くなる。
剣人は自分も
日常生活には関わりのない、けれどあるだけでその意味を確認できるもの。
自分の考えが変わって利用したければ、利用すればいいと。
そしてそのまま
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