受容

そうして真紀は出て行き、菜月一人になった。

椅子に座る。データ世界。けれど肉体感覚は現実世界と何ら変わらないように思えた。

自分の端末を起動させようと指に触れ、ないのだと気づく。

なんとなしに電子ペーパーを起動し、カタログを眺めた。指で文字に触れるとページが更新される。

そのままネットに接続。

どうしてこんなことになったのか。事故のことを調べようとして、だがそうすることで死の事実が確実になる気がして、手を止めた。


両親が演技をしていたというのか。今までのすべてが、たちの悪い冗談ではない。

自分の死。それは事実。


「なんで?」


他人の目を気にする必要が無くなって、声を出した。


「どうして? どうしてっ? どうしてっ!」


自分の声であることを確かめるように張り上げる。

頭を抱え、手の、肉の感触を確かめる。指先に力を込める。痛覚。手を握り締める。力の感覚。


(どうしたらいいの、これから)


データ世界での生活。コピーの今後。事前講習の内容を思い出そうとする。

帰ってこれるようにする、という母の言葉。家に帰るその準備をしてくれる。


(シルフだ)


それは現実世界とAR拡張現実表現を重ねる装置の名前。

監視カメラのように天井に設置されたり、インテリアに組み込まれてたりしている。

ARグラス越しに表示されるのは案内やポップ、装飾、そして菜月が身近に接しているARキャラクターなど。

コピーもそれらと同様に、ARグラス越しに姿が見え、声を聞き、話すことができる。

それは実体のない、表示されたデータの体。

ARキャラクターと同じになること。しかしそれで、コピーは人と暮すことができる。


菜月が初めてコピーの姿を見た時、最初はARキャラクターかと思った。

そのコピーは高齢者の外見をしていた。そして私服。

何かのイベント、新しいサービスかと問い合わせるが違う。疑問に思い、すぐに調べて理解した。あれがコピー、ARで表示された姿。

以来、ちらほらとモールや街中で目にするようになる。若いコピーの姿も。

〈シルフ〉がある場所なら、コピーはどこにでも行くことができる。距離は関係ない。


菜月は今の自分が家に帰ること思い描く。〈シルフ〉が設置された部屋。

そこに表示される自分。けれど、実際にはいない自分。

体のない幽霊のような存在。そんな自分に語りかける父と母……


生きていない。その事実が菜月を襲う。


自分の未来。コピーは、現世の生きている人達と同じように生きていけるのか。

今、生活しているコピー達は、どんな未来、将来を思い描いているのか。どんな気持ちで生きているのか。


コピーが感じるデータ世界は、現実世界とそう変わらないと聞いていた。

そして〈シルフ〉のおかげで現世と接触を持つことも可能。

けれどまだまだ活動の限界はある。データ世界も不十分。コピーの挙動表現、感覚、生活。それを解消する為に、日々アップデートされているとも。


コピーの出現前からコピーの物語は溢れ、菜月もそれらに触れていた。

コピーは人格を模した人工知能で、データ世界はその活動の場。

コピーを生前の本人と捉えるかどうかは、個人の認識次第。

データ世界は人類の到達点、将来の世界として描かれているものが多い。地獄のような場所ではない。だが天国でもない。

魂が本当にあるのかどうか。だが、墓地で死者の姿が投影され、人となりがわかってしまう時代。

菜月自身もARグラスを通して映し出されるARキャラクターに慣れ親しんでいる。

自分をデータ化して残すことが悪だという抵抗はなかった。

だが、今の自分がただの人工知能だとも考えたくはなかった。ただのデータだとは。


自分の存在を示すものはなにか、菜月は考える。人間であるという証明。それは肉体か。精神か。

手を見る。まだ絵を描けるのだろうか。漫画が描けるのだろうか。

菜月の将来の夢は漫画家であった。

クリエイター業は死後、データ世界でも通用する。既に先達たちが数名、

コピーとなり死後の作品を世に出している。菜月の好きな作家も一人、コピーとなり、作品を出していた。

感想としては、ほとんど気にならない。

コピー否定派の人もいる。人工知能は模倣するだけ。そんなものに価値はあるのか。だが菜月は純粋に続きが読めることが嬉しい。


「楓は、コピーをどう見るの?」


ある日の会話。


「さぁ。ま、あんたがそうなってもちゃんと相手してあげるわ」


菜月は人格保存していることを楓だけには教えていた。


「楓、私しか友達いないもんね」


「は?」


その後、喧嘩になった。その記憶を思い出せたことに菜月は安堵する。

コピーになっても記憶はある。思い出せるのだと。


楓が〈後追いコピー〉にならないかと心配するが、そんな真似はしないだろうと思うことにした。

いくら自分しか友達がいないとしても、後を追ってコピーになるようなことは。


漫画はどうなっただろう。二人で作りかけていた漫画があった。

四か月経っているから、完成しているかも。

楓はまた一緒に作ってくれるだろうか。コピーの自分と。


この体で漫画が描けるのか。新しい身体はまずリハビリが必要だという。

描くものを探す。机からペンとメモ帳、それに電子ペーパー用のペンを見つける。

まずペンとメモを使い、描いてみる。上手くいかなかった。

大まかな線は大丈夫だが、細かい描写になると思い通りの線が引けない、

次に電子ペーパーを描写モードにして描いてみる。これも同じく。

ペーパーの描写モードは機能が貧弱で、自分が使っているツールをダウンロードしようとネットに接続するも、シリアルコードがわからず断念する。

ネットは制限なく使えるようで、絵の練習を中断し、菜月自身も投稿している漫画投稿サイト〈夢コミ〉に移動。

IDとパスワードを覚えておらず、自身のペンネーム〈月葉つきは〉を検索し、自分のページに移動する。

楓と連名で作っていた漫画は完成していた。他に短編もいくつかできていて、感想と評価がついている。

いつもなら真っ先にチェックするのに、手が止まった。自分の知らない自分の作品。読むべきかどうか。

少し怖くもあった。読んでどんな感想を抱くのか。今の自分にどんな影響があるのか。

決断できず、相互フォローしている作家〈はがね 真異まこと〉のページに。楓のペンネーム。

こちらも新しい作品がいくつかアップされていたが、やはり読むことはできず。リンクのSNSに移動する。

楓はファンやフォロワーとあまり交流を持たないし、自分の情報を発信もしない。近況がどうなっているかわからなかった。

別のペンネーム〈白河 悠〉を入力し移動する。部の後輩の白河直のページ。作品のこと、日々の事が綴られていた。

だがその内容は、今の菜月にとってはどうでもいいことばかり。

自分の近況はどうか。移動する。今まではフォロワーとの交流、描こうとする漫画のテーマや進捗、見てきた作品の感想など発信していたが。

それらの履歴がずらりと流れ、追おうとしたが、ふいに気付いて目を逸らす。

これは〈空白〉の埋め合わせだ。


「落ち着かれるまでは、個人の生前のSNSを見ることは控えてください。余計に混乱します」


事前講習で受けた〈空白〉の説明。

その通りに、まだ菜月は状況を整理できていなかった。身近で関わりのある人達の近況確認を止め、絵の練習を再開する。

ただ思いつくまま今の気持ちを書きなぐったり、創作中の(もう完成している)漫画のアイデアを考えたり。お気に入りサイトや更新されているウェブ漫画を見たり。生前の日常をなぞった。


そうして時間が過ぎ、六時前。真紀が迎えに来た。


「まだ着替えてなかったの?」机の上に散らかるメモの絵を見て「ふうん」


「まだ思うように描けないでしょ。リハビリは必要だけど、打ち込めば二、三日で元に戻ると思うわ」


実感していた。この短時間でもかなり元の状態に近づている。


「それで、ご飯はどうする?」


言われて空腹を感じる。


「菜月さんのご住所に近くには〈うみねこモール〉ってのがあるわね。いくつかの店舗には〈シルフ〉がある。そこに行ってもいいわ」


〈うみねこモール〉は菜月自身もよく通うショッピングモールだった。ARキャラクターの〈うみねこ君〉をはじめ、様々なキャラクターや演出がARグラス越しに映し出される。そしてコピーの姿も。

そこに自分が加わる。コピーとして。得体の知れない恐怖を感じ、身が強張った。


「ここにも食堂はあるけど、今日はそこにしようか?」


真紀の提案を受け入れる。下着と服、靴を選び、食堂へ。

そこは現世と遜色のない空間が演出されていた。厨房らしき場所からは調理の音、匂いがする。

他のコピー達の姿は少ない。見たところ三人で、いずれも高齢者。若いコピーは自分だけ。視線が菜月に集中する。

真紀と共にテーブルに着き、食事を選ぶ。食べたいものは特になかった。

死んでから初めて口にするもの。なんとなく目に付いたミートスパゲティと野菜スープを選択する。


「絵を描くのが好きなの?」


見られたから、隠す必要はない。


「はい」


「私もこっちに来て最初は、好きなことをしたわね。いつぐらいから描き始めたの?」


何故この人にそんなことを話さなければいけないのか。菜月は口を閉ざし、会話が途切れる。

真紀はどこからか取り出した造形物を机に置いた。手のひらに治まる大きさの蛇の彫刻。


「私はこーゆーものを作ってる。あと家具も作ったり。デザイン系ね。生きていた頃からの仕事だけど、コピーになってからは依頼の数も減ったわ。フォロワーも。

死ぬことはわかっていたし、コピーを残すことも前もって告知してたんだけどね」


(死ぬことがわかっていた? こんなに早く?)


「あぁ、心臓の病気でね」真紀は胸元をさする。


「菜月さんは、こんなに早くこっちに来るとは思ってなかったでしょう?」


当然だった。菜月は周りにいる同世代と友達と同様に、何十年も先の未来があることを信じていた。


「本人も家族も受け入れるのは大変だけど、しばらくは生活を続けて、色々試してみることね。やれることも、行ける場所も随分増えているから。

そしてどうしても受け入れられなかったら、話をしてね。今のところ、自分自身ではどうすることもできないから」


データ世界〈ブルー〉では自殺はできないようになっていた。死ぬためには運営管理を行う会社〈ピモナ〉に話をしなければならない。


「日記とかつけてた? 〈空白〉を埋める為に情報が残っていればいいだけど」


〈空白〉を埋める為に日々の記録を残すことは重要だったが、死に備えていない菜月は日記などつけていない。


「つけてません」


「そう。菜月さんが使っていた端末のデータはこっちに取り込まれてすぐに使えるようになるわ。〈空白〉の間の出来事を受け入れるかどうかは、菜月さんの好きにすればいい。四か月は長いから、少し苦労するかもだけど」


食事が運ばれてくる。


「とりあえず食べよっか」


口にする。味、匂い、歯ごたえ、全てに違和感はなかった。

おいしく感じられる。平らげた。


「デザートはどうする? 私は頼んじゃうけど」


欲しかった。メニューを見る。好きなプリンを頼んだ。


「聞いていい? 人格保存は菜月さんの意志? それとも家族から頼まれて?」


満腹感からか気が緩み答えた。


「自分で」


「その年で珍しいね。きっかけはあるの?」


菜月がコピーを残すきっかけ。一年半前、中間層と貧困層を対象とした人格保存、データ世界〈ブルー〉の開始が報じられ、

両親に利用しないのか尋ねたのが始まり。

父は否定的だったが、母は肯定。「学生の間の費用は払う」とまで言う。

最初、菜月は判断を先延ばしにした。今すぐに決める必要はないと。

しかし決断に傾いたのは、かつての級友が自殺したことだ。

なんでも事故で半身不随になり、現世を悲観したのだと。

彼もコピーを残し、既に覚醒したというが、自殺での死は罰則がかけられる。〈ブルー〉における公共料金の倍額、行動制限など。

そうまでしてコピーを望むのか。そんなに惹かれるものなのかと菜月は疑問に思った。


データ世界〈ブルー〉はまだまだ不完全らしい。そしてコピーに人権はない。

さらに将来、人格データの流出は個人にとって致命的な情報漏洩の危険であると指摘されている。コピーを残すことはデメリットのほうが大きい。

にもかかわらず利用者は増加していた。多くは高齢者で、家族の為に自分を残すという理由が大半。

他には不慮の事故、そして障碍者。罰則があってもコピーを望む人達。そこには経済的理由も含まれる。

障碍を抱えたまま生きるよりもコピーのほうが安上がりだと。


家族の為。菜月は考えた。もし両親が死んだら悲しい。自分が死んだら? 両親は悲しんでくれるはず。

悲しみの軽減は妥当な考えに思えた。人格保存する意味はある、と。


「やってみようかな」


他に小さな理由はいくつか(人格保存の体験が創作の種になれば、とか。いつ死ぬかわからないのだから今やってもいいだろう、とか)あったものの、母と一緒に申し込むというタイミングも大きかった。


そして最初の人格保存に臨む時、菜月は不吉さを感じた。死の準備をすることが、死を呼び込んでいるような気がしたのだ。

今の状況は、それが的中したということなのか。

それらの過去が菜月の脳裏をよぎり、我に返ると、真紀が言葉を待っていることに気づく。


「家族の為に」


声にだして疑問に思う。

これから自分は家族の為に生きていくのかと。


「家族を大切にすることはいいことだわ。でもね、自分も大事にしないといけない。コピーは現世の人の道具であるべきじゃない」


真紀は言葉に強さを込める。


「何のためにデータ世界が用意されたのか。活動するためよ。つまるところ、生きる為よ。私はまだまだ生き足りなかったから、〈眠らず〉にこうして活動してる。

菜月さんだって〈眠り〉を選ばなかったのは、まだ生きたかったからでしょ?

若いんだし、悲観することなんてないわ。やりたいことをやればいいのよ。

多分それが、このデータ世界の存在意義でもあると思う。〈ピモナ〉は死者をなくすということをやろうとしているのよ。

否定派の人からすれば、確かに馬鹿らしいでしょうね。人格を模した人工知能を生活させる為にお金を払う、なんてことは。

ましてやそれを本人と見なすなんて。でも、今こうしている自分は、生きていると感じる。それを否定……」


デザートが運ばれてきて、真紀は口をつぐむ。


「ごめん」給仕ロボットが立ち去り、一言。


「家族のことをだされると、まだ感情的になるわね」


ぽつりと独白する。


「私の家族は、コピーには大反対だったわ。私がこうなってから一切、連絡はなし。

そんなふうに、コピーに否定的な人たちもいる。現状、コピーに人権はない。〈ピモナ〉はコピーを人として扱い、守ってくれようとするけれど。そもそも人として扱われる日が来るかもわからない。それは世情や私達次第」


話を聞く菜月。とてもデザートに手を付ける空気ではない。

真紀は話を区切るように口調を明るくした。


「明日の予定だけど、まず記憶確認のテストをした後でこの都市の交通手段や仕組みについて教えるわね。そして菜月さんの準備ができ次第、〈空白〉を埋めてもらうわ」


運ばれたデザートを手にして真紀は立ち上がる。


「先に失礼するわね。ゆっくりしていって。他にも食べたいものがあれば頼むといいよ。お金はいならいから。何か聞きたいこととか、困ったことがあったら連絡して」


真紀は立ち去る。菜月は真紀の考えに触れて戸惑い、しばらくそのままでいた。

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