空白

「空白を埋める準備はいい?」


午後。再び対面した真紀の問いに菜月は頷く。


コピーは〈空白〉の問題を避けることができない。

それはコピーが死の直前の記憶を持てないから。

人格保存は精神、身体共に健康な状態で実施される。

死亡した人の脳から人格保存はできない。また死の間際にいる人間にも同様。

人格保存した後で、〈空白〉が何か月にもわたる場合もある。

その間に本人がコピーを拒否するような発言をすることも。そうなった場合、覚醒は円滑にいかない。残された遺族は悩むだろう。

〈空白〉の間の記録を残しておくことが重要。〈空白〉の間に起きたことを知る為にも。

けれど菜月はコピーの覚醒に備えていなかった。〈空白〉を埋める為に必要な日々の記録はない。

生前に使っていた個人端末とSNSから〈空白〉を埋めるしかなかい。

SNSへアクセスはできるが、現在はパスワードがわからずログインできない。パスは個人端末にメモしてあった。

まずは個人端末のデータ転送が必要。その為、青音市にあるキャリアショップを訪れることに。



「データの転送は、菜月さんが〈空白〉の埋め合わせを行う意志を示すことで可能になる。コピーとして生きてく覚悟ができたかどうか。そういう契約になっているはずよ」


菜月はその契約を結んだ記憶がある。キャリアショップに母と共に行ったこと。

キャリア各社はコピーに対して否定も肯定もしない。ただ否定派、肯定派両方の意見を汲み取り対応した。

否定派には生体認証や死後のアカウント削除を推奨し、肯定派にはデータ転送を案内する。


ショップではデータ転送の準備ができていた。

菜月が使用していた情報端末は人工知能搭載型の拡張グラス〈フェアリー〉

グラスごしにARディスプレイを使用するタイプ。文字通りARキャラクターの妖精がOSの役割をする。

ここでも同じタイプが選択できた。だが、拡張グラスは必要なかった。

指輪を渡され、触れると妖精は実体化した。


「菜月」


掌に収まる小さな少女の妖精が呼びかける。


「フィーネ」


妖精の名前。菜月が名付けた。

姿はまさしく物語にでてくる妖精。ただ、服装や装飾品が菜月の記憶と違っていた。〈空白〉の間に自分が変えたのだ。着せ替えを楽しんでいたから。

店員に促されて端末情報を確認する。

妖精が紙切れをどこからか取り出して宙に放つ。

それは菜月の前の前で広がり、メニュー画面になった。演出は変わっていない。

紙に触れる。メッセージ、アドレス帳、音楽、メモ、お気に入り。ざっと目を通し、自分のものであると確認する。四か月の間に増えているものも。

フィーネを指輪にしまい、ショップを出ると真紀が口を開いた。


「さてと、相談には乗ってあげられるけど、〈空白〉の埋め合わせは一人で向き合うものよ。菜月さんの場合、四か月は長い。色々整理がつかないこともあると思うけど、自分が望むようにすればいいわ。気に入らないことは拒否すればいい。コピーは現世の人の道具じゃない。これは前にも話したかしらね」


〈空白〉の間に起きた出来事を受け入れるかどうか。それはコピーの自由。

受け入れるのが誠実なコピーの対応といえた。

しかし、例え生前の自分自身の選択だとしても許容できないことはある。

〈空白〉の間に起きた出来事の拒絶は、事柄に関わった相手への拒絶であり、コピーと本人の同一性の解離に繋がる。

コピーは本人ではない。結果、家族、友人、知人がコピーから離れていく。


「何も聞きたいことがなければ、私は帰るけど。夕食は今日までは一緒に食べましょう。聞きたいことも出てくるかもしれないし。明日からは、またその時に聞くわ」


聞きたいこと。思いつかなかった。だがわざわざ拒否する理由も見つからない。


「じゃあね」と真紀は去る。


菜月の〈空白〉の期間は8月から11月までの約四か月。

菜月自身はその間、自分の身の回りに変化はないだろうと漠然と考えていた。

コピーの〈空白〉を題材にした物語はいくつもあるが、それが自分の身に起きているわけがないと。

だがまさしく、菜月にはそれが起きていた。


「えっ」


部屋に戻り、〈空白〉の間のメッセージを遡ってその事柄を知ると、困惑と疑問から思わず声が漏れた。


〈空白〉の間に、漫画研究部の後輩、白河直との交際が始まっていた。


「おーい、直くーん」


廊下で直の後姿を見かけ、声をかける菜月。


「なんです?」

「賞にだす作品、進んでる?」


所属する漫画研究部では各自、選んだ漫画賞に応募することが恒例化していて、菜月と楓、直もそれぞれ応募に向けて制作していた。


「今は順調ですけど」


直は菜月の次の言葉を予想できた。


「ちょっとこっち手伝ってくれないかなー、なんて」

「またですか? 僕が津下先輩に怒られます。それに先輩の場合、きりがないでしょ」


津下先輩とは楓のこと。菜月は完成直前で台詞やコマ割りを変えることも度々で、楓と直に助力を乞うことしばしばだった。


「ほんとに少しだけだけら」

「ふーん」


菜月のすぐ後ろから声。


「ひっ」


振り返る。楓だった。


「あんたはまた……どこを変える気?」

「いや、ほんとにちょっとだけだよ?」


それは菜月の覚えている、つい最近のやりとり。

けれど現世では四か月経っていることを忘れてはならない。時間の隔たりを。


直との出会いは中学二年。小柄で容姿は中性的。黒のストレートは後姿を一目だけなら女子にも見える。

女子の比率が大きい漫画部では入部してきた直を「かわいい」と上級生がもてはやしたが、彼の性格を知り、離れていった。

名まえの通り、すなおすぎる。おまけに天然が入っているから空気も読めないし、先輩相手でも漫画の意見は容赦ない。

それは主にアクションシーンで。


「どうしてこんな動きになるんですか?」

「かっこよくないですね。構図がよくないと思います」


菜月と楓の漫画にも文句をつけ、二人とも何度かカチンときたことがある。


菜月には「結構デッサンが崩れてますね」

楓には「SF用語がいっぱいで、会話の意味がよくわからないですね」


そんな直の漫画はキャラクターの動きや構図にこだわっているが、ストーリーはヒーローものしか描かない。


「前と同じ展開じゃん!」と菜月が指摘すると「全然違いますよ。今回は悪の組織の中からのヒーローですから」


「あんただってデッサン狂ってるわよ」と楓。「この場面は見せ方を優先した結果です」「ふーん、自分には甘いってわけね」


直と距離が縮まったのは菜月が中学三年になってから。

部内で派閥争いが起こる。菜月と楓はそれに関わらず漫画を描こうとして、直もそれに続いた。

結果、菜月と楓、直ともう一人を含めた四名グループができた。

漫画の手伝いも最初は拒否したが、仲良くなった後はかなり譲歩するようになった。

楓とも一緒になって漫画を作ったこともある。四人で遊びに行ったことも。

そして部活の最後にと共同で漫画を作った。

卒業してからもたまにメッセージを交わす間柄。そして今年、直が同じ高校に入学し漫画研究部にきて、また一緒に漫画を作るようになった。

天然で、少し生意気な後輩。それは変わらず、好意を寄せているような気配を菜月は感じなかった。


そもそも菜月自身、直を恋愛対象として見たことはない。理由は身長差。直は菜月より10センチ程度、低い。

それに菜月には好きな人がいた。その彼はクラスの人気者。想いは伝えていない。

だからこそ、直との交際の事実に驚いた。


どうして交際が始まったのか。二人の逢瀬を垣間見る。写真、動画、メッセージ……

どれにも理由は残されていなかった。

メッセージの内容は漫画やアニメ、それとデート先の話題。今までのやり取りとさほど大差ない。

だが楽しそうであった。


「新しいアイス専門店ができたって。評判いいらしい」

「甘いものは嫌いって僕今日言いましたよね?」

「明日寄るから! 決定!」


「幻術師、面白くなってきたね」

「あれ読んでいるんですか? 津下先輩は嫌っていましたけど」

「楓はあの画風がいやみたい。私は気にならないけど」

「てっきり〈遊魚〉のほうを読んでいるのかと」

「遊魚も好きだけど、ファンタジ―だけってわけじゃない。楓から渡されるネームなんてSF満載だし、私だってちょっとはアイデアを入れたりするし」


「その日は楓と遊ぶからごめん。三人では、行かないよね?」「怒ってる?」「楓のことも大事なんだよ」


二人のやり取りを遡り、菜月はそれを他人事のように感じていた。

直と恋人になった自分はこんなメッセージを送るのかと。

まだ交際の事実に「何故?」という疑問が強く、自分自身のこととして考えることができなかった。

けれどそれも当然だった。直との交際は今の菜月自身が選択したことではない。

経験していないこと。

別の自分。直と付き合っていたら、こんな風かもしれない? 想像できなかった。


(直と恋人の菜月。それは、別の菜月だ。今の私じゃない)


これは別の菜月の人生。そして終わってしまったもの。


不意に、二人のやり取りを自分が見ていいのかと疑問に思う。他人の自分が。

埋め合わせだからといって、これを読んで何を埋め合わせろというのか。

引き継いで直と付き合えと? コピーの自分が? とても考えられない。


コピーと人間の友情、愛、憎悪、確執、謀略。物語はいくつも存在し、菜月もそれに触れていた。

今の状況は、菜月の知っている物語の一つに似ている。〈空白〉を題材とした物語。

けれど状況は逆。物語では恋人の男性がコピーとなった。結末は、女性もやがてコピーとなりデータ世界で再会、再び結ばれるというもの。

見た当時、すでに菜月はコピーをとっていたが、感情移入はできなかった。


「楓、あれ読んだ?」

「菜月は?」

「うーん、あんなふうになればいいけど」

「実際、ごくまれにならあるんじゃない?」

「でもさ……」


物語の結末はコピーにとって希望ではあるが、現実にコピーとの関係は上手くいかないことが多い。

所詮フィクションの綺麗事という印象を菜月は受けていた。


今はどうか。確かにその結末をコピーが望むことは理解できるけれど、やはり理想、綺麗事だと言う思いは変わらない。


今の自分が直を好きになることができるか? とてもそんな気持ちにはなれない。自分は〈直の恋人の菜月〉にはなれない。

そもそも直のほうだって、コピーと付き合うなんてことはしないだろう。


でももし万が一、直がコピーの自分と付き合うつもりがあったら? それを受け入れる?


コピーと付き合う。馬鹿らしい。コピーの自分ですらそう思う。触れあうこともできないのに、何ができるの?

でもコピーは、別の世界の存在じゃない。現世の人と重なり合って生きることができる。

現に、自分も家族とまた暮すよう準備してもらっている。


〈空白〉の出来事を、コピーは受け入れなければいけないのか。直と付き合うことを?


菜月が今すぐに直と会うことは無理だった。気持ちの面でも、状況的にも。

まだ〈空白〉の埋め合わせを開始したばかり。両親や楓との〈空白〉も埋めなければならない。

そして端末の記録だけではなく、直接、会って話をする必要もあった。それがコピーとして誠意ある行動。


最新のメッセージで、直から「話がしたい」と届いていた。

送信日時は菜月の死後。つまり自分コピーに宛てたメッセージ。直は自分と話す意志がある。

コピーのことを直には教えた記憶はないが、恐らく〈空白〉の間に教えたのだろう。恋人の菜月が。

会って、直はどんな話をするのだろうか。

菜月は死んだから、想いを諦めてくれるのか。それとも関係を続けたいというのか。わからない。

二人の記録を読み返すこともできなくなり、しばし途方にくれる。

〈空白〉を埋めて、直と会って話をする。そうするしかない。

直のことをに一旦、区切りをつけた。でなければ先に進めないと。


次に楓とのやり取りを遡る。

漫画の感想や作成中のネームについて。普段通りの他愛ないやり取りが交わされていた。

そして直との関係が話題になることも。


「部活でいちゃいちゃしたら、怒るから」

「そんなことしないよ。多分、だけど」


「楓、〈コミ祭〉に行かないの?」

「行かない」

「行こうよ」

「あんたは直と行くんでしょ」

「直は友達と行くから」

「三人で、とか言い出さないなら、行ってもいいわ」

「了解であります」

「何調子づいてんの?」

「いいじゃん。で、どこ回る?」


直と交際してからも、楓との関係は変化がないように思えた。

楓からも自分コピー宛てに会いたいとメッセージが届いている。

果たして楓は、今の自分を友達と思ってくれるのだろうか。コピーの自分を。


楓と直。どちらと先に会おう。

楓に決めた。直との交際についても知っているはずで、教えてもらいたかった。


「コピーになっても相手をしてあげる」


楓と交わしたその言葉を信じて、メッセージを送る。

そして楓も、すぐに応じた。

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