楓
コピーとの連絡手段は様々なものが用意されていた。通話、映像通話、メッセージアプリ、VR。
高性能のシルフも開発され、本当にその場にいるかのように演出する個室もある。
楓もその個室、通称〈再会の間〉を選択した。わざわざ設置施設まで出向く必要があるのだが、大切な
時刻は午後4時。
菜月が選択した〈再会の間〉の設定は森の中。
青々とした木々から陽光が注ぎ、地面には白いタイルがひし形に敷かれていて、その上に円卓と椅子が設置されている。
椅子に座って鳥の囀りを聞き、木々たちを眺めて楓を待つ菜月。
この部屋を選んだ理由は特にない。他の設定よりも解放感がありそうだから、というだけ。
土を踏みしめて歩く音がして振り返った。
私服の楓がいた。見慣れたショートヘア。一瞬、何も変わっていない様子で、けれど何か変わったとも感じた。
どこがどう変わったのかわからない。ひょっとすると〈空白〉があるから、変わったと錯覚させているだけかもしれない。
「菜月」
楓に名前を呼ばれ、胸が締め付けられた。
「楓」
菜月は立ち上がり歩み寄る。コピーと人は触れあえないが、例えできたとしても、二人にそんなスキンシップはなかった。
「四か月前の菜月なのね」
「うん」
「どうしてもっと……」
言葉が浮かばず、考える楓。
「現在(今)に近いコピーを作らなかったの?」
現在に近いコピー。つまり現在に近い記憶をもったコピーという意味。
「回数制限があるし」
菜月の加入しているサービスプランでは年四回しか人格保存できない。
次の予定は十二月。予定通りであれば、人格保存は目前だった。
「どうせ直のことで困っているんでしょ?」
「うん」
楓はそこで言葉を飲み込む。
彼女が直の話題を振ったのは、菜月コピーに対する自分の想いを伝えることに躊躇していたから。
普段通りに振る舞おうとしていたが、楓も困惑していた。
今、目の前にいるのは四か月前の菜月。コピー。
それでも今、話さなければならないと覚悟して切り出した。
「それより先に言っておかないといけないわね」
楓は想いを伝える為に深呼吸し、菜月をまっすぐ見据える。
「コピーになっても相手をしてあげるって約束は覚えてる。気持ちは変わっていないわ」
菜月は言葉を受け止め、嬉しいような、むず痒いような気持ちになる。恥ずかしく、楓を直接見ることができない。
「うん。ありがとう」
「それであんたはどうするの?」
「えっ?」
「これから」
これから。何も考えていなかったが、生きていくことだけはわかっていた。
「生きたい」
「ならそれでいいんじゃない」
「うん」
「コンビは継続ってことでいいわね」
「うん」
菜月と楓は、お互い関係の継続を確認し合った。
安堵が、二人の胸を同時になでおろす。
「それで直の事だけど、直接会って話をした方がいいでしょうね」
「え、教えてくれないの?」
「二人のことを私がわかると思う? あんたから恋愛相談なんて受けてないわよ」
恋人の菜月が、楓に恋愛相談するだろうか。
その場面を想像できなかった。
「楓は? 近所のお兄さんとは……」
途端に楓は不機嫌そうに顔を歪め、視線を外す。
「何にもなってないわよ」
「あ、そう」
楓の想い人の話題をふって後悔した。
そうでなくても、楓は好まない。たまに楓から話すこともあるが、それは何かしらあった時とか。わかりやすい。
「あんた、日記とかつけてなかったの?」
「うん。死ぬなんて思ってないもん」
「それはそうね」
席に着いて、楓が口を開く。
「聞いた限りでは、付き合ったのはその場の勢い、だそうよ。でもそれなりに続いてたから、上手くいってたんじゃない?」
「え、勢い?」
勢い。そんな理由だったなんて。
「他は知らないわ。メッセージとか残ってるんじゃないの?」
「うん。残ってるけど」
「直接会って話すことが一番ね。直がどうしたいかもわからないでしょ」
「知ってる?」
「聞いてるけど、今、私から言うことじゃないでしょ」
「そう、だね」
楓は直から
楓は菜月をじっと見つめて「コピーって言っても、やっぱり菜月なのね」
「私だよ」
「自分の漫画は読んだ?」
「まだ、怖くて」
「描けるの?」
「それは大丈夫。もう練習してるから」
「どんな感じ? ちゃんと描けるの?」
体のことを説明する。そして覚醒してからのこと、青音市について、モールにも行ったことも。
「他に、変わったことってある?」
菜月は直のこと以外の変化について尋ねる。
「あんたと直のことが一番ね。他は別にないわ。それと今描いてる漫画があるんだけど」
「うん」
「どうする? 続きを描く?」
「私が?」
「あんたがネームの番」
自分の知らない、自分の作品。その続きを描けるかどうか。
「わかんない」
「制作リストに挙げてるから、読んで決めて」
「なんか、冷たくない?」
「普通でしょ」
「そうかな」
「そうよ」
時刻は五時前。今の菜月に対して話題が尽きると、楓は席を立った。
「それじゃあ今日は帰るわ」
「うん」
「次はモールで会う? それともここ?」
「あ……どうしようか」
「私はどっちでもいいわ。決めて」
「楓が決めてよ」
「……連絡するわ。直とは、早く話をしたほうがいいわよ」
「うん。わかった」
二人は立ち上がり、楓だけが道を引き返す。途中で振り返り「じゃあね」と言い、菜月は手を振ってこたえた。
最後の仕草に、菜月は楓の気遣いを感じた。
普段なら、振り返らずさっさと帰っている。けど喧嘩をした後なんかは、楓のほうからあんな風に少しでも会話や意志疎通をとろうとする。
それを今の自分にもしてくれた。
思っていたほど雰囲気は重苦しくならなかった。
拒絶されるかもと、関係が終わってしまうかもと不安もあった。
だが楓はこれからも友達でいてくれる。
会話も少しぎこちなかったが、今の自分と楓ではこれが限界だと思った。
あれでも楓は気を使ってくれた。それがわかった。
ひとまず、よかった。
菜月は安堵した。
〈再会の間〉から出て、直と話をしようと決心し、メッセージを送る。
「わかりました」と返事。
楓と同じように〈再会の間〉を利用するらしい。ただ時間が遅いから、明日にしようと決まった。
そこまで遅い時間ではなかったが、気持ちを整理したいのだろうと察した。
それは菜月も同じだった。
夜。自室にて楓の言葉を振り返る。
「コピーっていっても、やっぱり菜月なのね」
コピーの自分を菜月として見てくれた。
自分がコピーである、という疑問はだいぶ小さくなっていた。
コピーだから何だ? 今、こうして思考する意識は否定できない。自分は生きている。
母から連絡。そこで菜月は表層スキャンに使う写真があるかどうか聞いた。
表層スキャンをして、自分の体に近づけること。
楓と会って、菜月は生きることに前向きになっていた。
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