Live.15『ココロもからだの一部です 〜THE WALLS OF THE HEART〜』

 横浜市街での戦闘があった後、塾で倒れたというアリスの身柄はすぐに“オズ・ワールドリテイリング”日本支社オフィス内にある医務室へと運ばれた。


 『診察をするなら近くにある総合病院の方が良いのではないか』と鞠華はたずねたが、ヴォイドの媒介者ベクターとされた可能性の高いアリスを治療するには、より専門的な知識と設備を有する自社医務室のほうが信頼できるとレベッカは言う。

 そして付添人としてベクター・メディカル・オフィス(通称VMO)に同行した鞠華とレベッカは、未だにベッドで横たわったまま目覚めないアリスの側で担当医からの診察結果に耳を傾けていた。


「結論からいうと、この嬢ちゃんはクロ・・だな。自律神経のバランスに乱れが生じていやがる……まっ、よくあるヴォイド媒介者の症状ってやつさぁ」


 診療録カルテを読み上げながらパイプ椅子に長い脚を組んで座っているのは、ヴォイド媒介者専門医というこれまた珍妙な肩書きの伊達男──名を水見みずみ悠一郎ゆういちろう

 年齢は20代後半から30代前半といった長身の男性。無造作に伸びたボサボサの頭は黒髪と白髪が入れ混じっており、無精髭や死んだ魚のような目の印象も相まってお世辞にも清潔感があるとは言い難い。おそらく白衣を羽織ってなければ医者には見えなかっただろう。


「あの……アリスちゃんは、本当に大丈夫なんでしょうか……?」

「んー、体に異常があるのかって意味なら問題はねーぞー。ぶっちゃけドレスの媒介者にされたからといって、特に害があるわけでもないしな」

「えっ、そうなんですか……?」

「この嬢ちゃんのストレスは虚無世界ヴォイド・ワールド現実世界リアル・ワールドとを繋ぐゲートとして利用されているだけで、別にドレスそのものに寄生されてるとかってわけじゃねーんだ」


 そんなアウトローな外見のお兄さんではあったが、決して闇医者やヤブ医者の類ではなく、医師免許を持つれっきとした専門医である。

 現に彼はこうして、ヴォイドの症状についてあまり詳しくない鞠華にもわかりやすいように簡単かつ丁寧な説明をしてくれていた。


「そうだな……アウタードレスの力の源が“ヴォイド”っつー別次元のエネルギー体だって話は聞いてるか?」

「はい。漠然と、ですが……」

「フンフン、お利口だ」


 鞠華の受け答えを聞くなり水見は椅子から立ち上がると、食器棚からガラスのコップを一つ取り出してシンクの前に立つ。


「例えばこのコップがドレスで、蛇口が嬢ちゃんアリスだとしよう。ヴォイドのないからコップドレスは戦うだけのエネルギーを持たず、実態化することもできない。透明な受け皿といった状態だ」


 水見は説明を続けながら、途中で蛇口のバルブを軽くひねった。

 塞き止められていた水がゆっくりと流れ出し、冷たい水道水がコップの中に注がれていく。


「だが人の虚無感やストレスなど、なんらかの拍子によってバルブが緩んだそのとき、流水ヴォイド蛇口ゲートを通じて現実世界へと流れ出す。そうして水一杯に満たされたドレスこそが、はじめて実体と驚異的な力を得るってわけさぁ」


 つまりアウタードレスという存在は、別次元からエネルギーを引き出すことで稼働しているらしい。

 先ほど戦った“マジカル・ウィッチ”が昨日の“ワンダー・プリンセス”よりも数段強かったのは、どうやら引き出したヴォイドの量が多かったことに起因していたようだ。


「そんなにヴォイドで一杯になったドレスを、倒すことってできるんでしょうか……?」


 表面張力によって膨れ上がったコップの水を見つめながら、鞠華が不安げにうつむく。

 それを見た水見は白衣の腰に手を当てると、グビグビと喉を鳴らしながら豪快にコップの水を飲み始めた。空になったコップを見せつけながら、水見は鞠華を励ますように言い聞かせる。


「なに、ヴォイドったって所詮は有限なエネルギーでしかない。動けば消費だってするし、それこそ戦えばすぐに空っぽになっちまう」

「ドレスもガス欠を起こす……ってコトですか」

「そんなところさぁ。そうなりゃオタクらゼスアクターも倒しやすくなるだろう?」

「でも、ゲートが開いている限りヴォイドは無尽蔵に流れ続けて、ドレスもすぐにが完了しちゃうんじゃ……あっ」


 ふと鞠華が何かに気付いたように顔を上げた。

 その反応を見て水見も、ニヒルな笑みを浮かべて続ける。


「そうさ。敵が太陽光発電ってなら、太陽を雲で覆い隠しちまえばいい。電池で動くなら換えの電池を隠すか捨てちまえばいい」


 そう語りながら、水見はそっと緩んでいた蛇口のバルブを絞めた。


「要は元栓ゲートを閉めちまえばいいのさ。あとはヴォイド不足で弱ったドレスをオタクら狩人が狩る……まっ、ハンティングの常套じょうとう手段ってやつさぁ」

「な、なるほど」


 確かにそれが上手くいけば、ドレスの戦力を大幅に削ぐことができるかもしれない。

 だがその作戦を遂行するためにはもう一つだけ、欠けている重要な事柄があった。


「それでその、肝心のゲートを閉じるための手段っていうのは……?」

「今から説明する。……というか、君やレベッカちゃんに同行してもらったのもそれが理由だ」


 部屋の隅のベッドで眠っているアリスの顔を一瞥すると、水見はじっと次の言葉を待っている二人に対して口火を切り出す。


「ゲートを閉める方法自体は実に単純だ。媒介者からストレスを取り除いちまえばいい。まあ、その行程が一番難しくもあるんだがなぁ……」


 人の虚無感や絶望感はヴォイドとよく似た性質を持っており、ドレスはそれを媒介としてゲートを拓くのだという話を以前に聞いたことがある。

 逆説的に言えば、心に空いてしまった穴を再び塞ぐことさえできれば、ヴォイドを引き出すための入り口も自然と消失する。


「今の嬢ちゃんの容態は、言うなれば水が流れっぱなしな状態の蛇口だ。つまり、そのバルブが緩んじまった原因はストレスにあるわけだが……お二方に、何か心当たりはねえか?」


 アウタードレスを弱体化させるためには、媒介者となった人物の精神的重圧──すなわち、“心のドレス”を取っ払う必要がある。

 水見はその手掛かりを探るために、鞠華とレベッカを医務室に呼んだのだと言う。

 

(アリスちゃんのストレスの原因、か……)


 出会ってからたった1日というわずかな交流の記憶から、鞠華は必死にアリスとどのような出来事があったかを探る。

 彼女の気分を害すようなことをしていたか。

 彼女に不快感を与えるようなことをしてしまっていたか。

 するとあろうことか、思い当たる節は二秒もたたずに見つかってしまった。


(まさか、お風呂で起きたあの不慮の事故が原因になっているんじゃ……!?)


 その程度のストレスで倒れるとも考えにくいが、しかし可能性がゼロだとも言い切れない。

 蘇る肌色ときめき記憶メモリアル。あのとき鞠華は確かに乙女の花園を垣間見てしまったし、同時に弱みを握られてしまった。……物理的に。


「あ、あのっ、僕……」

「アリスが倒れたのは、きっと私のせいです」


 鞠華が正直に自分の罪を告白しようとした瞬間、レベッカの弱々しく震えた声が遮った。

 鞠華や水見に見守られる中で、レベッカは泣きそうになるのを堪えながら胸の内を明かす。


「うん、きっとそうに違いない。アリスには良い学校に行って欲しくて、塾にも通わせていたけど……それが知らないうちに、あの子に重圧をかけてしまっていたんだわ……」


 懺悔するレベッカの表情は、まるで自らの犯した過ちに気付いてしまった子供のように悪意のないものだった。彼女自身はあくまでかれと思ってそうしていたのだということは、わざわざ訊くまでもない。


「ハハハ……姉失格だね、これじゃあ。なんでこんな簡単なコトに、今まで気付けなかったんだろ……」

「レベッカさん……」

 

 これまで見たこともないほどに覇気のないレベッカを見て、鞠華も心を痛めてしまう。

 ウィーチューバー“MARiKAマリカ”として彼女とネット上でやり取りをしていた時も、“抹茶ぷりん”ことレベッカはいつだって気さくで明るい人物だった。

 その彼女が今、痛々しく弱音を吐いている。

 こんなにも悲しそうな顔を、彼女にして欲しくなどなかった。


「……そんなことない。アリスちゃんにとっても、レベッカさんは立派なお姉さんだったハズです」


 だからこそ、鞠華は声を大にしてそう言った。

 お世辞でもなければ冗談でもない。ありのまま思ったことをレベッカに告げる。


「まちゃぷりさんとリアルで会ってみて、わかったことがあります。この人は色んな人に愛されるような素敵な人だって……水見さんだってそう思いますよねっ」

「ん、オレ? まっ、確かにレベッカちゃんはこの会社の愛されキャラ……というかイジられキャラだな。恋人にするならちっとアレだが……」

「水見さーん?」

「……まあ、見ていて飽きない楽しい女性社員さぁ」

「ですよねっ!」


 少々言わせてしまっている感じがしなくもないが、それについてはこの際よしとしておこう。


「それに、お姉さんに世話を焼かれて嬉しくない人はいませんよ。僕にも姉がいるのでよくわかります」

「マリカくん、お姉さんいたんだ……」

「えへへ、小さい頃は喧嘩ばっかりでしたケド」


 切り揃えた前髪をくしゃくしゃとしながら、鞠華は照れ臭そうに笑う。

 自分を例に挙げるのはそれだけ気恥ずかしさを伴うものであったが、それでレベッカを安心させることが出来るのならやぶさかでもなかった。


「でも……やっぱりアリスはきっと、私のことを邪魔に思っていたんじゃないかな……」

「そうじゃないかもしれないし、そうかもしれないですね」


 ハッキリとしない答えを、鞠華ははっきりと告げる。


「兄弟なんて、きっとそんなものなんだと思うんです。一番近くにいるようで、実は一番遠くにいたりする……結局、わからないことだらけなんですよ」


 『だから』と鞠華は、レベッカに一つの道を指し示す。

 アリスに自分の面影を重ねるように──、レベッカに対する切実な願いを口にした。


「アリスちゃんが目を覚ましたら一度、お話しをしてあげて欲しいんです。アリスちゃんにも多分、レベッカさんに聞いて欲しいことが沢山あると思うんです。だから……」

 

 真摯に語っていた鞠華の耳に、オフィス内のスピーカーから発せられる警報音が入った。ウィルフリッドの切迫した声が医務室に響き渡る。


《みなとみらい周辺の海上に“マジカル・ウィッチ”が再び出現した! XESゼス-ACTORアクターの諸君は直ちに出撃してくれたまえ!》


 ウィルフリッドの指示を聞く前に、気付けば鞠華は格納庫に向かって走り出していた。医務室を飛び出そうとしていた彼の背中を、レベッカは慌てて呼び止める。


「マリカくん。あの……本当にゴメンなさい。こんな大変なことに巻き込んでしまって……」

「気にしないでください。それに僕、決めましたから」


 『共に戦って欲しい』とウィルフリッドに問われ、保留にしていた決断。

 正直、“正義の味方”なんてガラじゃない。不特定多数の顔も知らぬ誰かを守るために戦うだなんて、そんな立派な大義は残念ながら自分にはなかった。


 そう思っていた鞠華であったが、そんな自分にもやるべきことが──それ以上に、やりたいことがあることに気付いた。


「今はレベッカさんとアリスちゃんに、笑顔を取り戻して欲しいんです。その為なら僕は、アーマード・ドレスに乗ります」

「マリカくん……」

「ううん、嫌でも笑わせてやりますよ。女装ウィーチューバー“MARiKA”の名にかけてね!」


 誰かを守るためじゃない。

 ただ、暗い表情かおを吹き飛ばすほどの楽しさを皆に届けたい。

 心のドレスとの対峙を経て鞠華の導き出した答えは、動画投稿者として活動している時となんら変わりのない、ある意味で原点回帰とも呼べるものだった。

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