第5話
場面は戻り、土御門邸の玄関の前。
灯りの点いていない玄関ですが、この蒼白い肌は間違いなくさえりさんです。
「あの……遅くなりました。弁天堂です」
「…………」
返事はありませんでした。表情もなく、視線もどこを向いているのかもわからず、ただ暗い玄関に立っているだけのさえりさん。
尋常ではない光景を目の当たりにしながら、私は何もすることが出来ませんでした。
「…………あの……土御門さ――」
「!!」
その時です。焦点の定まっていなかった、さえりさんの瞳孔が開いたかと思うと、そのまま私に襲いかって来ました。
「……うぅ…………つ……つち…………」
「…………」
蒼白く細長い綺麗な指が、私の首を締め上げます。およそ、女性とは思えない力で、私を持ち上げ首を締め上げます。地面から離れた足が私の意思とは無関係に、バタバタと動いていました。この苦しみから逃げたい一心なのでしょう。
やがて、意志が薄れて行き、私は気を失ってしまいました。
「……って…………は……った…………」
誰かが、呟いている声が聞きました。
遠くの方で、微かに聞こえるその声が、果たして何と言っているのかはわかりませんが、私はその声で目を覚ますことができました。
「!?」
しかし、目を開けて最初に飛び込んで来たものは、私が想像していなかった者でした。
「……こっ…………これは…………」
さえりさんの娘、土御門まどかさんでした。
部屋の壁にもたれかかかり、足を伸ばしたまま座っているその姿は、正に人形そのものであり、こんな状況ではありますが、単純に美しいと見蕩れてしまいました。
しかし、私は疑問に思いました。
だってそうでしょう?
さえりさんの話では、夜な夜な徘徊する、あるいは暴れまわっているはずの娘の人形がただ座っているからです。
それに、薄暗い部屋の中ですが、見た感じ人形とは思えない質感をしていて、如何にも人間であるように見えます。
これは一体どういうことでしょう。
部屋の暗さに目が慣れてきたところで、先ほどのから何かを呟いている、さえりさんに話に聞くことにしました。
「つっ……土御門さん。これは、どういうことですか?」
「……って…………は……った…………」
「娘さんの人形は、動いていないじゃありませんか?それに、私に襲いかかってきたし……説明してください!」
「……っ………………った…………」
私の声に耳を傾ける様子もなく、部屋の反対側で壁に向かい何かを呟いているさえりさん。その異常な光景に、私は恐怖していました。
本当は、今すぐにでもここから逃げ出したいのですが、人間とは本当の恐怖に直面した時、動くことが出来ないと聞いたことがありましたが、今がその状態でした。
私は、足が思うように動かず、立ち上がることが出来ませんでした。
「土御門さん。迷斎さんがもうすぐ来るはずです。それまで、何があったのか、話を聞かせてください。」
「……って…………は……った…………」
やはり、何を言って応答はありません。
暗闇と同じように、この異常な光景にも慣れてきたようで、段々と私の足も言うことを聞くようになってきました。
とにかく、一旦ここから逃げ出して、迷斎さんの家へと行こうと思い、ゆっくりと立ち上がることにしました。
ゆっくりゆっくりと、徐々に体を起こし、さえりさんに気付かれない様にと細心の注意を払い、ようやく私は立ち上がることができました。
後は、玄関へと走るだけでしたが、この家の間取りがわからなかったので、目に見える大きな窓へと走ろうとした時です。
「そこから動くな!」
背を向けていたさえりさんが、振り向き様に私に飛びかかって来ました。足にバネでも仕込んでいるかの様にと、五メートルは離れている私のところまで、一気に跳躍して来たのでした。
「…………うぅ……う…………」
先ほどと同様に、私は首を絞められ足が宙に浮きました。必死に抵抗しますが、やはり物凄い力で締め上げるさえりさんの手をほどくことは出来ず、私は再び意識を失いかけたその時です。
バリンっ!!
私が逃げようとした大きな窓のガラスが割れ、キラキラとした破片を撒き散らしながら、『黒い何か』がさえりさんを吹き飛ばしました。
地面に倒れた私は、その『黒い何か』を見上げると、迷斎さんが不敵な笑みを浮かべながら、こう言いました。
「待たせたな、弁天堂。さあ、噺の終演を迎えよう」
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