第10話 8月16日 11時28分 くもり

 用務員室から盗んできたスコップで穴を掘っていた。

 

 猫の死体を埋めるための穴だから、それほど大きなものにする必要はない。だが、穴を掘るという行為は、やってみると意外に楽しいもので、僕はダラダラと掘り続けてしまい、無駄に大きな穴になっていた。これなら人間の死体だって入るだろう。

 今朝、中庭にいた猫が死んでいるのを見つけた。この猫は発見当初から、まったく身動きをしなかったし、たまにエサをあげてみても、何の反応も示さなかった。だから、この暑い中にしては、長生きしたと言えるだろう。大往生だ。何歳かは知らないけどね。

 猫の死体を穴に入れ、土をかけていく。そのやせ細った姿は、すぐに見えなくなった。

 なんだか奇妙な気分だった。落ち着いているような、諦めたような。後悔しているような。本当に何かできることは無かったのか?脳内で自分自身を責める声が、祇園精舎の鐘の声のように鳴り響く。

 息を大きく吸い込み、吐き出す。それを何度か、10数回は、いや、何十回も繰り返す。しばらくしたら、何も感じなくなった。深呼吸というのは、とても便利だ。良心の呵責を無視できるようになる。少なくとも、そのフリはできる。

 穴を埋めた後で、コンクリートブロックを置く。それが墓標代わりだ。花や、お供え物は調達できなかったので、殺風景な墓になったが、諦めてもらうしかない。

 猫の信じる神が分からないので、お祈りは適当にやる。南無阿弥陀仏のRest In Peaceでアーメン、祓い給え、浄め給え。何かおかしい気がするが、 まあいい。とりあえず、ご冥福をお祈りします。いいか、僕を呪ったりするんじゃないぞ。さっさと天国に行って楽しくやれ、クソ老いぼれ猫。僕はそう言って、手を合わせた。

 葬儀に参加するのも、執り行うのも初めてだった。墓穴を掘るのは楽しかったが、祈るという行為には、一片の悲しみもなく、喜びもなかった。すべてが灰色で、無感動な事務作業と言ったところだ。相手が猫だからだろうか、それとも、この天候のせいか。もしくは、僕自身が抱える宗教への疑念のせいだろうか。

 感傷に浸ろうとしてみたが、この間、会ったばかりの故猫と僕の間に、振り返る思い出などあるわけがない。だから、僕はすぐに自室へ帰ることにした。


 自室の前の廊下を歩いている時点で、僕は異常に気が付いた。見覚えのない土汚れ、足跡と、ひどい体臭の残り香がある。これはもしかすると、バスの中で1度体験したように、もしかするかもしれないな。幸運が荒々しく、僕を事件に巻き込もうとしてる。たまらないね。

 僕の心臓が鼓動を早め、脳内が真っ白になった。気分は、もう墜落寸前のジャンボジェット機のようにハイだ。大声で叫ぶのを我慢して、部屋の中へと飛び込む。自室は荒らされていたが、机の引き出しが全部開けられたりしているぐらいで、そんな大したことはなかった。もともと、荷物がほとんどないのだから当たり前か。

 犯人の目的は金に決まっていた。しかし、父から受け取った手切れ金は別の場所へ隠しており、この部屋の中にはない。あの金の存在は誰も知らないはずだから、犯人たちが探しているのは、タバコの売り上げの方だろう。そっちは、手切れ金と違って自室に置いてあるけれど、あれは10万円程度しかない。盗まれたところで、大した痛手ではなかった。

 僕は本棚をどかし、床のフローリングをはがして、金がまだそこに残っていることを確認した。バカなコソ泥だ。こんなものも見つけられなかったのか。

 この部屋のフローリングは、段ボールみたいな安っぽい代物で、けっこう簡単に剥げる。なので僕は、その裏に金を隠していた。よく見れば、その部分だけ床が浮いているように見えるし、上を歩くとフワフワした感触がするので、あからさまに不自然だ。普段は小さな本棚を載せて目立たないようにしているものの、もう少し利口な空き巣なら、隠してある金を見つけられたはずだ。

 この建物に入るまでは検問所が設けられているし、警戒はザルでもない。犯人がどうやって厳しいセキュリティを潜り抜け、ここに入って来たのか。多分、僕がよくやるように、賄賂でも渡したんだろう。犯罪者が治安当局者にいくらか上納するなんて話は、どこの世界でもよくあることだ。もしも、そうなら警備員の連中も加担していることになるので、少しは用心した方がいいかもしれない。

 僕は部屋を出て、信用できる知り合いの警備員を探すことにした。しかし、そこにいたのは警備員ではなく、会いたくもないし、存在を忘れかけていた男、安居(仮)だった。僕を待っていたらしい。安居の顔は痣だらけで、倉庫に何か月も放置された腐りかけのジャガイモのように見えた。

 ちょっと待てよ。コイツを笹川に殴らせたのは、もう2ヶ月も前だぞ。どうして、こんなにボコボコなんだ。もしかすると他にも何かやったのか?


 「何か用か」


 そう尋ねた瞬間に僕は倒れていた。後頭部が痛いので、後ろから殴られたらしい。どうやら、犯人は1人ではなさそうだ。


 「よし、裏に運び出すぞ」


 僕は気絶したわけではないが、失神したフリをすることにした。手足をつかまれ、あおむけの状態で持ち上げられて、いずこかへと運ばれていく。なんだか、ライフルで撃たれた鹿になった気分だ。人を運ぶ道具ぐらい準備しておけば良いのに、連中は手作業で僕を運搬するつもりらしい。本当に手際の悪い連中だ。

 ここで、暴れ猿のように抵抗すれば、簡単に逃げられるだろう。それは分かっている。だが、ここら辺で暴力の被害者になってみるのも、それはそれで面白そうな気がした。

 お前は何を言っているんだ。頭がおかしいんじゃないか、と問い詰めたくなる気持ちは理解できる。僕は確かにバカげたことを言っている。でも、これは僕の人生だし、好きにさせて欲しい。それにさ、今まで笹川を介して、間接的に暴力を振るっておいて、被害者になるのは嫌だ、なんて言いぐさはアンフェアだろう。不公正が常識面して、魑魅魍魎のようにはびこるのは、娑婆の社会だけで十分だ。だからさ、せめて、僕の周辺数メートルぐらいでは、僕の気が向いた時ぐらいは、僕の考える歪んだ正義が実現されてもいいじゃないか。


 そういうわけで、僕はおとなしく運ばれてやることにした。安居は「裏へ運ぶ」と言っていたが、裏と言うのは、どこの裏のことだろうな。僕は、後頭部の痛みも忘れ、そんな些末なことを考えていた。

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