第9話 7月15日 悪夢のような快晴
7月になった。
どうやら科学者たちが主張するように、地球温暖化は正しい学説らしい。月初から完璧に真夏だった。肌を突き刺すような太陽光が容赦なく降り注ぎ、人類を殺そうとしている。
21世紀でありながら、この学校の教室は冷房設備を持たない。その結果、授業を受けに行く生徒は減少し、数台の扇風機があるだけの学生食堂に逃げ込む者が急増していた。
この学校で一番巨大な部屋であるはずの食堂が、暑さに苦しむ半病人の生徒たちで一杯の状態となり、地獄のような様相を呈している。そこはまるでソフトコアな難民キャンプのようだった。
しかし、その悪夢の世界に僕の姿はない。僕は父が支払った数百万の寮費と引き換えに、教員用のマンションで暮らしていた。ここには当然のように冷暖房が完備されている。食事をする時以外に、学生食堂に行く必要はまったく無かった。
真冬のようにキンキンに冷え切った部屋で眠り、夏風邪をひくのは金銭で選ばれし者の特権だ。それは「快適か?」って聞かれたら、もちろん「最高さ!」と返せるぐらい居心地が良いものだ。これぞまさにワンダーランド、夢の王国だ。
一方は汗なんかで悪臭にまみれた豚小屋。もう一方は清潔な冷凍倉庫。親が学校へ支払う金銭を起因とした、この著しい待遇差を考えれば、大半の生徒が僕に怨嗟の念をもつのは仕方がないことだった。とは言え、そんなことを僕が気にするはずもない。
僕は相変わらず、図書室や中庭をウロウロする生活を続けていた。変ったことと言えば、タバコの譲渡先である、あの少年が僕の元を訪れなくなったので、タバコを売るようになったぐらいだ。
タバコはよく売れる。娑婆なら1箱500円くらいなのに、僕の手元に来た時は1000円で、僕が転売する時はなんと2000円にもなる。それでも、まさに飛ぶように売れていく。
こう書くと僕が暴利をむさぼっているように見えるが、この値段は僕がつけたものではなかった。むしろ、品物の値段を決めるのは買い手の方だ。
僕が用意できる商品数には限りがあるので、高い値段をつける人が優先的に買えることになる。だからタバコみたいな、皆が欲しがる大人気商品は、需要曲線と供給曲線の均衡点をグイグイと押し上げていく。つまり、価格は自然と上昇していく、というわけだ。
僕の顧客は、ほとんどが中等部の男子生徒だった。もともと、この学校には女子生徒が少ないのだが、女子生徒は別のやり方でタバコを手に入れているらしい。何をしているのかは想像がつくが、彼女たちは面倒な存在なので、僕は関わりにならないようにしていた。
女子生徒はともかくとして、高等部の客が少ない理由がよく分からない。彼らが中等部の生徒よりも賢く、健康やモラルを気にしている訳がないから、タバコを買わない理由は特にないだろう。もしかすると、僕が警備隊のゴリラを使って、安居をボコらせたせいだろうか。じゃあ何故、中等部の生徒の方はそれを気にせず、僕からタバコを買うのだろうか。あの女顔の少年が殴られていないからか。
少し考えてみたところ、僕の糞の詰まった天才的頭脳頭が、以下のような等式をひねり出した。
・安居 = 高校生 = 殴られた。
・あの少年 = 中学生(多分) = 殴られなかった。
もしかするとこれが理由だろうか。だとすると酷い勘違いをされていることになる。正しくはこうだ。
・安居 = うざい = 殴られた。
・あの少年 = うざくない = 殴られなかった。
しかし、この等式について説明して回ることはできなかった。僕が警備隊のキングコング、笹川将太に安居を殴らせたのは、誰もが容易に想像可能な真実であっても公式な事実ではない。彼は僕を恐喝し、それを目撃した警備員に処罰されたことになっていた。だから暴行の本当の動機について、きちんと解説するわけにはいかないのだ。
高等部の生徒たちの誤解は放置するしかない。どうせ、そのうち忘れるだろうし、誤解されていても僕に害はない。
さて、7月15日も晴れだった。
僕はあまりに太陽光がきついため、中庭を避けて図書館にいた。その日は珍しくタバコを買いにくる人もいなかったので、暇を持て余した僕は、図書館の本の表紙と中身を入れ替えるという、雅で風流な遊びを発明した。
僕はこのゲームに夢中になっているフリまでしていた。だが16時ぐらいになると、さすがに自分に嘘をつき続けるのが馬鹿馬鹿しくなり、自室へ引き揚げることにした。
誰もいない廊下を歩いていると、西日がきつく、目をまともに開けていられなかった。多分、そのせいだろう。廊下に置かれた掃除用具なんかをぶち込んでおくロッカーの陰に隠れていた少年の姿に気が付かず、危うく通り過ぎるところだった。
少年は泣いていた。何故、泣いているのかは一目瞭然だ。髪を切られ、おかっぱ頭にされている。なるほど、なかなか手の込んだイジメだ。少年は女顔で華奢だから、女みたいな髪型にしてしまえ、とかそんなノリでやられたのだろう。
さめざめと(さめざめってどんな感じか分からないけど)、泣く少年を見ていると、たまらなく変態的な加虐心がそそられた。散髪した奴の技術をほめてやりたくなる。
しかしながら、僕の口から出たのは全く別の言葉だ。
「誰にやられた?」
そう言っても少年は泣き止まない。
「誰にやられたか言いなよ。金を使ってそいつをボコボコにしてあげるからさ」
少年が震えながら3人の生徒の名前を出すと、僕は笑いながら頷いた。少年は僕の表情を見て、露骨に怯えていたので、僕はひどい笑い方をしているんだろうな。
とにかく、あとは笹川に任せるだけだ。餅は餅屋。専門家を信じよう。
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