第8話 6月11~30日 ほとんど雨
あれから少年は、中庭まで僕に会いに来たり、来なかったりした。2日に1度とか、明確な基準があるわけではない。単にタバコを切らしたから来るのか、彼の中だけのルールが存在するのか、それとも気分なのか、僕には分からなかった。
「雨の日は図書館にいるよ」
僕がそう言ってみても、反応が返ってくることはない。返事がないのはまだしも、目すら合わせようとしないのは、少しだけ腹がたった。だが、笹川に殴らせるのは、もうやめておこう。
あの中庭での惨劇が起きてから、安居の姿を見ていなかった。教室にも、学食にもいない。もしかすると、独居房のようなところに隔離されているのかもしれないが、笹川に確かめるつもりはなかった。金を使って調べてみるほど、あんな男に関心はないのだ。
少年に雨の日は図書館にいると告げてからは、ずっと雨の日が続いた。僕は律義に毎日、図書館に通ったが、なんのためにそうしているのか、考えてもいなかった。
彼と友達になりたいのか、そう聞かれれば、おそらく違うと答えるだろう。何故、僕がそんな惨めな青春ごっこをしなければならないのか。気持ち悪い。
そうこうしている内に、少年は僕に対して警戒心を解いて来たのか、わずかに態度を変えてきた。
最初に感じた変化はタバコの取り方だ。最初はひったくるというか、乱暴に『奪い取る』という感じだったのに、今では『受け取る』と呼んだ方が正確な感じだ。
他にも変化はあった。ある日、図書館で寝ている僕を起こして、彼はこう言った。
「今日はタバコはいらない。明日もいらない。明後日でいい」
少年にタバコを渡すべく、中庭や図書館で待っているのは、僕が勝手にやっていることだ。彼がタバコを必要としないなら、僕を無視するだけでいいだろう。僕に声をかける必要など全くない。もしかすると、ハチ公のように少年を待ち続ける僕が哀れに思えたのか、それとも利便性を追求したのか。どちらにせよ、僕らの距離が縮んでいることは確かだろう。
こう考えると、やっぱり気持ちが悪かった。吐き気すらするね。
そして今日、少年は図書館へとやってくると、僕と面と向かい合うように椅子に座った。今まで僕を避けて来たとは思えない、この大胆というか、脈絡のない行動に対して、僕はわざと驚いた顔を作ってやった。それを見た少年は、僕の意表を突いたのだと勘違いし、満足そうな表情を浮かべていた。僕の演技が上手いわけがないので、少年に嘘を見抜く力がないのだろう。
僕と少年がface to face、対面状態になるのは、これが初めてだった。当然、少年の顔をしっかりと観察するのも初ということになる。僕はじっと少年の顔を見つめていたが、少年はすぐに視線を逸らした。その隙をついて、じっくりと目で嬲ることにする。
この少年が小柄で華奢な体つきをしているのは、以前から分かっていたことだが、改めて眺めてみると、やはりほっそりとした体つきをしていた。特に手や足、首は細すぎて、骨が折れるんじゃないかと心配になるぐらいだ。
次いで、顔面の各パーツを丹念に眺めてみる。口や鼻は子供のように小さい。その中で長いまつげが付帯した、緩やかな角度のつり目だけが、やけに大きく、とてもよく目立つ。総じて言えば、少年の容姿は中性的だった。頑張って、例えばそうだな、自分の目に目つぶしをするなどして、視力を下げれば女の子のように見えないこともない。流石にそれは無理か。でも、まあ、かわいい顔をしているのは事実だ。
僕がそういう風に色々と考え事をしている間、少年は視線を僕から逸らしたり、戻したりする、奇妙な反復運動をを繰り返していた。その落ち着きがない、気恥ずかしそうな様子が面白かったので、僕は少年の目を凝視したまま、視線をまったく動かさないことにした。
自然、僕らは睨めっこをしている格好になった。もし、この争いに勝敗をつけるなら、視線を逸らしてばかりいる少年の全敗だろう。彼も勝負に負けているという自覚はあるらしく、徐々に眉間にしわが寄り、頬が赤くなっていった。そこから、少年が怒鳴り声をあげるのに、大した時間はかからなかった。数えてないけど、ほんの数秒だった。「にらめっこしましょ、笑うと負けよ」と歌って、おちょくる暇もなかった。
「なんなんだよ、お前は?」
「さあね?」
僕が皮肉っぽく笑いながら、そう返答しただけで、少年は言葉を詰まらせた。僕の不快な笑顔に触発されたのだろう、少年の顔全体が、生きたまま釜茹でにされたタコのように紅潮していた。少年は机にこぶしを叩きつけ、そこら辺にある椅子を蹴っ飛ばしながら、図書館から走り去って行った。しかし、その様には恐怖を感じるような迫力はなかった。なんというか、それはレッサーパンダが暴れるようなもので、むしろ、ほほえましい光景だ。
当然ながら、少年は僕のところに来なくなった。僕は彼の姿を探すようなことはせず、ダラダラと待ち続けることにしたが、再会もまた、彼がきれるのと同じぐらい早く済んだ。
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