第5話 6月9日 18時 曇り 

 もう少し、この学園について説明してみようか。僕が転校初日にカツアゲをされたように、ここでは金銭の所持が禁止されていた。だが、この規則を守っている人間は皆無と言ってよい。ほぼ全員が、何らかの方法で金を稼いでいた。


 確かに、食べ物や日用品は全てタダで支給されるので、一文無しでも生きていくことはできる。だからと言って、金の使い道がないわけでは決してない。人が生きていく限り、いかなる環境でも金のやり取りは自然発生する。娑婆と同じで欲しいものを手に入れたり、便利に暮らしていくためには、それ相応の対価が必要なのだ。

 第一、学園内では親が支払っている寮費によって、生徒の待遇は大きく違う。僕は1人部屋にいるのだが、全員がそういう優雅な生活をしているわけではないらしい。とは言え、僕は実際見たわけではないので、僕のクラスメートの供述を引用する。


 「体育館によ、3つドアがあっただろ。あれは女子用、男子用、教員用の住居へつながってるドアなんだよ。お前が住んでるとこは、先公とおなじとこだから、いいところなんだろうけどな。おれらはよ、狭くて、汚い掘っ建て小屋に閉じ込められてるんだよ。夜になるとカギまでかけられてな。電気も消されるし、朝が来るまでは、なんもできねえんだ」


 馬面とバカ面を兼ねていた秋田君(エロ本の処分に困り、焼こうとしてボヤを起こしたため、この学校へ入れられたという噂だ)の説明は端的で分かりやすかった。

 僕がいい部屋で暮らしているのは父の浪費癖のせいだろう。父が大金を使っているのは、父の病気のせいであって、僕のためにそうしているわけではない。しかし、僕が一方的に庇護され、利益を受けているのは、まぎれもない事実だ。そう考えると、変な気分になった。もちろん、僕に父への感謝の気持ちなどない。むしろ、悔しさによく似た毒々しい感情、敗北感だけがある。これについては、あまり考えないようにした方が、いいかもしれない。心の健康によくないしね。


 さて、話を金に戻そう。金の稼ぎ方は、使い方と表裏一体だ。僕が金を使えば、誰かが受け取ることになる。その誰かが金を使えば、金は僕の知らない別の誰かのものになる。川の水は海へと流れ込み、雨となって、また川に帰ってくるらしいが、金は人間の欲望を動力にして、水より複雑な経路をたどる。ここでは実際に金を使ってみて、その流れを実地で観察してみる。そうすれば、この学園内の経済学の単位が取得できるだろう。つまり、これからすることは単なる暇つぶしだ。

 僕は、ため込んだ洗濯物をカゴに入れて共同棟へと向かった。共同棟とは、教室や学食がある棟の真反対にある建物で、そこには洗濯室や、理科の実験室、美術室、家庭科室、他には部活動なんかで使う部室などがある。部室なんかは、どの学校にもあるとは思うが、洗濯室というのは珍しいかもしれない。

 この学校には、清掃業者は週に1度くらいのペースでやってくるものの、洗濯をしてくれる人はいない。その代わり、オンボロの洗濯機と乾燥機が用意されていて、生徒は服を自分で洗うことになっていた。しかし、肝心の洗濯機の数が、生徒数と比べて明らかに少ない。当然、洗濯をしようとしても、空いている洗濯機はない。この洗濯機不足の解決手段として、殴りあって、洗濯機の取り合いをするよりも良い方法がある。特定の人間が、金と引き換えに、他の全員分の洗濯をすればいいのだ。

 僕は有馬歩という名札のついた洗濯カゴを、同年代とは思えないほど年老いた生徒に手渡す。その老人のような生徒は、カゴを体重計に載せ、洗濯物の重さを調べる。特定の重さを超えると、料金が増えることになっていた。色が移るのを防ぐために、複数回に分けて洗ってもらう場合も、請求金額は増えることになる。金を惜しんで、まとめて洗ってもらってもいいが、そうすると白いYシャツが、まだら模様の色付きシャツになるだろう。


「1000円だ。2時間後に来い」


 僕は、老いた労働者に金を渡した。あとはしばらく待てば、綺麗になった服が手に入るだろう。なかなかに便利だ。この洗濯屋という仕事は、学園内でもっともポピュラーであり、人の役にも立つ(多分、違法だろうが)、堅気なサービス業と言えた。他にもまともな部類の商売としては、食べ物の売買があり、生徒が親などから送られてきた食料品、お菓子なんかを売ったりしている場合がある。

 しかし、金で買えるのは、合法的なものだけではない。未成年者には、違法な物品も手に入れることが可能だ。例えば、タバコが吸いたいとする。この学校で、酒やタバコが置いてあるのは、教員棟と呼ばれるエリアだ。教員棟は、僕の住んでいるマンションの近くにあるのだが、生徒は立ち入り禁止になっているので、どんな施設なのかは全く分からない。だが、そんなことはどうでもいいし、誰も興味がない。重要なのは、そこに僕ら生徒の欲しい物があるってことだ。そして、金は障害を乗り越え、不可能を可能に変える。

 御託はともかく、取引相手をさがそう。廊下で教師を見つけたら、まず丁重に挨拶をする。


 「やあ、谷中先生。お疲れ様です。今お帰りですか。僕ですか? 僕は今起きたところですよ。どうも体調がよくなくてですね。まあ、明日は授業に出れると思いますよ」


 概ね、こんな感じで、まるで中身のない世間話をしながら、周囲から人がいなくなるのを待とう。または、人気のない場所まで移動しよう。後は臆すことなく、堂々と「ところでタバコは持っていませんかね?」と言いながら、1000円札を教師に渡す。教師は黙ってタバコ1箱を僕にくれる。これで取引は終わりだ。あとは、どこかで隠れて吸えばいい。

 タバコと同じような感じで、酒を買うこともできる。だが、酒の方はタバコのように持ち歩きに向かないため、事前に、何時にどこそこで取引をする、という具合に打ち合わせをする必要があるらしい。酒によほどの執着心がなければできないことだ。

 どちらにせよ、タバコや酒に興味がない僕には、あまり縁のない話だ。このタバコも買ってはみたものの、後で誰かにくれてやるつもりだった。


 中庭にでも行けば誰かいるだろう。そう考えて、僕はノロノロと歩き出した。

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