第4話 6月9日 15時 曇り 

 転校して、一ヵ月近くが過ぎた。

 

 僕は自室の机の上であぐらをかいて、窓の外の風景を眺めていた。空は曇ってはいるけれど、雨が降りそうで降らない、中途半端な天気だ。僕は図書室から持ち帰ったパンフレットの方へ視線を戻し、無意味な思索に励んでいた。この学校、私立安居学園はかなり変だ。ここに来る前は少年院のような、一切の自由がない、規律の厳しい施設だと思い込んでいたのだが、予想に反して校風は無茶苦茶に緩い。はっきり言ってデタラメだ。

 例えば、普通の学校には授業ってものがあるだろう。ここにそういうものはない。代わりにあるのは、奇妙な儀式だ。チャイムが鳴ってしばらくすると、教師役と思われる小汚い魔人が現れ、出欠の確認も取らずに、ダラダラと教科書の音読をはじめる。彼らが何か喋っているのは分かる。しかし、その声はあまりにも小さく、何を言っているのかは聞き取れない。こういう退屈な黒ミサが、ふたたびチャイムが鳴るまで続けられる。今のところ、板書をする教師の目撃例は0だ。そもそも教師が教室に来ないこともある。おそらくは生徒の自主性を尊重したんだろう。


 そういうわけで、それからは授業をさぼって学園内をブラブラと探検することにした。僕が校内をぐるりと一周しながら観察した限りでは、僕だけじゃなく、ほとんどの生徒は授業に出ていない。そのため、学校の中は常に閑散としている。唯一の例外が食堂だ。100人ぐらいの生徒達がここに集まり、死んだ目でテレビを見ている光景は、あまりにもおぞましく、この世のものでない。あとは、まあ、どこの部屋も全部同じだった。なにもなく、がらんどうで、誰もいない。そして退屈だ。僕は、そんな虚無を形にしたような校内ツアーの最終地点、図書室へと向かった。本嫌い以前に、まったく本に関心がなかった僕にとって、それは、まさに大冒険の始まり、未知との遭遇と言っても過言ではなかった。期待に胸が高まったわけではないが、ここになら何か暇をつぶせるものがあるだろう。僕はそう思っていた。しかし、図書室のドアを開けた瞬間、僕は自分の目を疑った。

 今まで、学校の図書室を利用したことはない。だが、小さな本棚が3つしかない部屋を図書室と呼べるのだろうか。しかも、本棚にぎっしりと本が詰まっているわけでもなく、僕の脳のようにスカスカだ。本と本の隙間があまりにも広すぎるため、本はまっすぐ立っていられず、全て斜めに倒れている。僕は首を斜めにしながら、本棚の前でカニ歩きをして、面白そうな本を探してみたが、どの本も大量の埃にまみれていることに気が付き、読む気が失せた。

 本の代わりに学校案内のパンフレットを読んだ。しかし、どうして図書室に学校案内が置いてあるのだろうか。入学前に学校の図書室に行かなければ、学校案内はもらえないのか。そんなわけはないだろう。これは僕の想像だが、何か文字が書いてある物体を置いておかないと、図書室としての格好がつかないので、適当に余ってたパンフレットを置いてあるんだろう。多分。


 僕は、この紙切れを持って部屋に帰った。そして、今に至る。


 こういった冊子には、当たり障りのないことしか書かれていないものだし、デザインも酷いものにしなければいけないと法律で決まっている。読んでも面白いわけがない。だが楽しむ方法はある。まず、この学園のキャッチコピーを音読してみよう。

 『雄大な自然に囲まれた美しい学び舎で、人間的成長をうんぬんかんぬん..』

 素晴らしい。これは馬鹿か、厚顔無恥でないと書けない文章だ。人間的成長とはなんだろうか。酔っぱらって妻子を殴ったり、パチンコで子供の給食費を使い込むことか。いつものことだが、僕の考えることは横道に逸れているな。今ここでは成長の定義については忘れて、パンフレットを読み進めよう。

 インチキだらけの誇大広告から、事実だけを掬い上げるのは、タイタニック号を海底からサルベージするような一大事業だ。明白な嘘や、入学してみないと分からないような嘘、社会のお約束としての嘘、様々なバリエーションの嘘が混じって、見事な不協和音を奏でている。

 結局、パンフレットから僕が発見した事実と思える箇所は次の3点だけだった。


 ①この学園は私立の中高一貫校である。

 ②生徒数は高校生が182人、中学生160人。(男女比は不明だが男が圧倒的に多い)

 ③学費と寮費はコースにより異なるが、最低でも年300万を超える。


 上記のパンフレット上から拾い上げた事実と、僕が一ヵ月の間で見てきた教育レベル、異常な数の警備員、こういった事実を組み合わせ、思考の範囲を広げていく。僕は容易に、かつ安易に、”真実”という名前の主観へとたどり着く。

 この学校は厄介者のゴミ捨て場だ。各家庭内の犯罪を起こしそうな奴、既に起こした奴、とにかく邪魔な一家の恥部、生けるゴミ。そうした生徒たちを親元から離し、面倒をかけないようにする。そのための隔離施設に違いない。それなら過剰な警備や、教育水準の低さも納得できる。校則がほとんどないのは禁じることが存在しないからだ。警察沙汰にならなければ、僕らが何をやらかしても気にしないのだろう。

 なんの役にも立たない証明を終え、僕はパンフレットを丸めて、ゴミ箱に投げ捨てた。そのまましばらくボーっとする。やがて陽が沈み、夜がやって来たが食欲はなかった。


 なんとなく、ずっと机の上に置きっぱなしにしてあった鞄へと目をやった。実を言うと、この鞄は僕のものじゃないんだ。この学校に来る前に父に渡されたものだ。何が入っているかは聞いていないが、馬鹿でもなければ想像はつく。見たくないという気持ちがあったものの、他にすることもないので鞄の中を開けてみる。中身は案の定、大量の札束だ。パッと見る限りでは札束が10個以上あるので、1千万ぐらいなんだろう。これは、ほら、そう、おそらく、手切れ金ってやつだ。


「これで俺とお前は赤の他人だ」


 札束を見るたびに、父がそう言う幻聴が聞こえた。空虚な気分のまま大量の札束を眺めていると、この金がさっき捨てたパンフレットのように、馬鹿馬鹿しいものに見えてくる。とは言え、あのゴミと違って、これを欲しがる人間は多いのだから、何かしら使い道はあるだろう。


 とりあえず、コイツは見つからないところへ隠すことにしよう。

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