第3話 5月16か17日 深夜 満点の星空

 バスが止まった。ようやく目的地へと到着したらしい。

 

 野を超え、山超え、谷を超える長い旅だった。ここが何県のどこら辺なのか、もはや、さっぱり分からない。相当な山奥らしく、周囲に人家は一軒もない。

 僕がバスを降りるより先に、簀巻にされた少年が運搬されて行った。少年の表情は分からないが、ピクリとも動かない。冗談じゃなく、本当に死んでいるのかもしれないが、こんな所なら遺体を埋めても、警察に見つかる恐れはない。つまり何の問題もない。

 あの世へ旅立つ少年を見送り、僕は唯一の荷物である小さな鞄を抱えてバスを降り、ぐるりと周囲を見渡した。左右と後方に見えるは、山と、山と、山だ。

 山奥だけあって星空は美しかったが、じっくりと楽しむ時間は与えられなかった。ゴリラ達の鼻の下の尻の穴がフガフガと動き、屁が混じった下痢便のような不快な音が鳴り響く。


 「早く歩け、早く行け」


 適当な指示を受けても迷うことはなかった。50メートル前方に無駄にライトアップされた巨大な建造物が見える。おそらく、あれが僕の網走監獄に違いない。

 僕はリウマチに苦しむ哀れな老人のようにノロノロと歩きながら、横目で、これから何年か過ごすことになる学舎を眺めてみた。底が見えない深い堀、3メートル近い金網フェンスとコンクリートの壁、有刺鉄線、等々が備わっている。驚くことはない。ごくごく普通の学校だ。しかし、残念ながらハーケンクロイツはない。その代わりになるかどうかは微妙だが、校門から少し離れた場所に、バカに大きな白い看板があった。僕は首を斜めに曲げて、看板に書かれている消えかけの文字を読んだ。私立安居学園と書いてある。これは”しりつやすいがくえん”と読むのだろうか。カッコ悪い校名だ。楽しい学園生活は期待できそうにない。

 校舎の隣にある掘っ立て小屋へと連行された。建物の中は恐ろしく殺風景で、そこにはゴミ捨て場から盗んできたような、粗末な机と椅子しかなかった。机は微妙に傾いており、椅子はゴリラ達の体重に耐えかね、ギシギシと悲鳴を上げている。僕は彼らが手荷物検査がやりやすいように、机の上に自分の鞄を乗せてみたのだが、なぜか警備員の方々は興味を示さない。その代わり、僕のズボンのケツのポケットから財布を取り出し、やけに慣れた手つきで紙幣を抜き取る。「多いな」と、誰かが呟くのが聞こえた。

 男達の説明によると、この学園内では金銭の所持は禁止されているのだという。取り上げられた金は保護者に返すとのことだが、彼らの喜びに満ちた表情から察するに、その約束は果たされることはないだろう。

 合法的な恐喝が終わると、猿の惑星に出て来そうな長老らしき人物が、この学園の決まりごとについてダラダラと述べ始めた。

 森の賢者であるウータン長老の声は低く、発音が不明瞭で、動物が威嚇の時に出す唸り声のようだった。当然、彼が何を言っているのか、僕にはほとんど理解できない。適当にうなづいたり、「はい」と返事をしたりしながら、全て綺麗に聞き流す。リップノイズのような演説が終了すると、ゴリラ軍団の中で一番若く、キングコングのような男が、僕の手に書類と生徒手帳、そして何かのカギを僕に押しつけてきたので、嫌々受け取る。


 結局、彼らは僕の鞄の中を見ることはなかった。実に仕事熱心で感心する。


 キングコングが僕が住むことになる宿舎へと案内してくれることになった。堀にかけられた橋を渡り、鋼鉄のゲートをくぐる。ゲートから生徒玄関までは砂利道で、歩くたびにジャラジャラと大きな音が立ち、おまけに歩きにくかった。道を舗装しないのは、生徒が学校から逃げ出しても、砂利の音ですぐに気付けるようにするためだろう。

 下駄箱も何もない玄関を通って、建物の中に入った。スリッパも上履きもないので、土足のまま廊下を進む。もう深夜のためか生徒の姿はないが、複数の警備員達があちこちを巡回している。いくらなんでも、警備の人数が多すぎる。もしかしたら怪盗が犯行声明でも出しているのかもしれない。そんなことを考えている内に、僕らは体育館らしき場所へ到着した。そこには扉が3つあり、扉1つに対して警備員が3人も配置されていた。つまり合計で9人もいる。3つの扉の内の2つは金属製で、象でも壊せないような大きな閂がついていた。その上、金属探知機らしきものまでが置かれている。学生寮に麻薬王でもいるに違いない。

 僕は一番左のドアへと連れていかれた。何故だか、ここだけは探知機がないし、閂もついてない、普通の木製の引き戸だ。警備員が僕の生徒手帳をひったくる。身分照会はするらしい。 


 「よし行け」


 生徒手帳を投げつけられながら、そう言われたので、自分で戸を開けて、長い渡り廊下らしきところをまっすぐ進んだ。廊下を渡り切った先は、やや安めの分譲マンションみたいなところだった。別に豪華な建物ではないが、学生寮にしては金がかかりすぎている。僕はここに住むのだろうか。今更になって、受け取ったカギを見てみた。『301』と書かれたキーホルダーがついている。おそらく301号室へ行けということだろう。

 部屋の中はそれほど広くはない。しかし、家具も机やベッド、タンスなんかがあったし、シャワーとトイレもついていた。しかも、ウォッシュレット付きのピカピカのトイレだ。

 これじゃ父の家で暮らしていたころと大差はない。僕は別に牢屋に入りたいわけではないのだが、ついさっきまで強制収容所のような設備を見せられてきたので、なんだか拍子が抜けたような気分だ。

 ここは一体、何なのだろう。そう思いながらベッドで横になる。そのまま、しばらく天井を眺めていたが、眠れるわけがない。仕方なく、自分の生徒手帳を読むことにした。書類の方でも良かったのだが、たまたま生徒手帳の方が手元に近かったから、なんとなくこちらを手にしていた。

 

 生徒手帳の1ページ目、生徒の名前欄には有馬歩ありまあゆみと書かれている。姓が朝倉から有馬に変わっていたが、僕の中に驚きという感情は一切なかった。

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