いつもの日常

 由季子さんが来てから、おれの生活は一変した。彼女は食事以外にもおれの生活を整えてくれた。


「おはようございます、蒼太さん。朝御飯がもうすぐできますわ」


 今まで誰も入ってこなかった寝室にも、彼女は入ってきた。いやとは言わないが、男子高校生としては恥ずかしい。そのため、いつも早めに起きていたのだが、昨日夜更かしをしたせいで、今日は寝すぎたようだ。


「おはようございます、由季子さん」


「はい、おはようございます、蒼太さん」


 由季子さんは本当にふんわりとした雰囲気を持つ人で、文句を言おうと息巻いても、すぐにその気をなくしてしまう。


「夏樹さんはもうお仕事に行かれましたけど、他のみなさんは、もう管理人室にいらしていますわ。顔を洗ったら、ダイニングにいらしてくださいね」


 そういって由季子さんは、部屋から出ていった。おれは、いつも由季子さんが洗ってくれるため、いい匂いのする枕に顔を埋めて、明日こそは早起きしようと誓う。そして顔を洗いに洗面所に行った。


 そうして顔を洗うことで完璧に目が覚め、ダイニングに入った。


「おはよう、みんな」


「おはよう、蒼太。今日は遅かったね」


 春花が花を散らして笑う。今日の彼女は、髪を編み込んでいた。いつもと違う髪型は新鮮で、可愛らしかった。


「おはよう、蒼太くん。春花も、今日は寝坊したって急いでたじゃない。手伝ってあげたこと、忘れたの?」


「忘れてないよぉ、いつも本当に助かってます!」


 冬海はおれに笑いかけると、春花をからかった。今日も綺麗にまとまっているポニーテールが、冬海がころころ笑う度、揺れる。とても女性らしくて、美しかった。


「おはよう、蒼太くん。なんだかんだ言っても、春花ちゃんと冬海ちゃんは仲がいいよねぇ」


 秋乃先輩はじゃれあう二人を、お姉ちゃんのような優しい笑みで見ている。今日の秋乃先輩のおさげを彩るシュシュは、オレンジだった。そのオレンジのシュシュは、秋乃先輩の明るい雰囲気をより華やかにしている。


「パンが焼けましたよ。蒼太さん、ジャムは何になさいますか?」


 パンが焼けると各々好きなジャムを塗り始めた。しかし由季子さんは、おれのパンを渡してくれず、聞いた。


「ありがとうございます、でも自分でやりますよ」


「いえいえ、私に任せてください」


 由季子さんは笑顔で言うため、おれはなんとも言えずにマーマレードを頼んだ。ベーコンと目玉焼きもいい加減で焼けていたので、とても美味しかった。


 いつも食べ終わった人から、また学校に行く準備を始めるため、部屋に帰っていく。一番早く食べ終わったおれは、カバンの用意をしに部屋に帰る。


 机を見て、昨日は倒れるようにベッドに行ったこと思い出した。なぜなら、机の上はノートが開いたまま、ペンが辺りに転がったままだった。まだ時間があることを確認したおれは、机を片付ける。


 そして今日の課目の荷物をカバンに詰め、部屋を出た。リビングに行くと、準備万端なみんながいる。そしておれたちは、由季子さんに見送られながら、家を出た。



 四ツ葉荘は花高から近い場所にあるため、電車でも徒歩でも自転車でも、好きな行き方で行ける。春の日差しと涼しい風が気持ちよくて、今日はみんなで歩いて行くことにした。


 人懐こい猫をみんなで愛でたり、誰かをからかって逃げる秋乃先輩を追いかけたり、楽しい時間を過ごしながら学校に行く。


 校門には挨拶運動で、夏樹先生が立っていた。夏樹先生に笑顔で挨拶をして学校に入り、昇降口で秋乃先輩と別れる。


 教室に入り、友達と挨拶をして席に座る。



 そうして午前の授業が終わった後、昼休みにみんなで中庭に集まり、ご飯を食べる。由季子さんが作ってくれた五人分のお弁当は、おれが作るよりも手がこっていて、さすがとしか言い様がない。


 楽しい食事が終わると、眠気と戦う午後の授業が始まる。午後最後の授業は夏樹先生のものだった。夏樹先生の授業は分かりやすく、みんなに好評だ。


 だが昨日夜更かししたこともあり、夏樹先生の涼やかな声に眠気を誘われ、おれは思わずうとうとしてしまう。


 現文の教科書を読みながら、教室を回る夏樹先生は、おれの横で止まると、机をとんとんと指で叩く。勢いよく顔をあげたおれと夏樹先生の目線は、ばっちりと合った。


 少し気まずくて会釈をすると、夏樹先生はもう少し頑張れ、と笑った。その笑みはとても優しく、いたるところからほうっと、恍惚の声が上がった。



 授業が終わった。今日は、冬海は図書委員の仕事、秋乃先輩は助っ人があったため、春花と二人で帰ることになった。


「二人きりって久しぶりだね」


 春花は笑顔で言う。確かにそうだ、と頷く。


「みんなで帰るのも楽しいけど、やっぱり二人だとちょっと違うかな」


 照れたように笑みを深めた春花は、とても可愛らしかった。


「確かに不思議な感じだよな。いつもと違うことをするってさ」


 おれの言葉は春花の癪しゃくに触ったようで、彼女は頬を膨らませた。


「もうっ、そういうことじゃないよっ」


 怒った春花も可愛くて、おれは笑顔でごまかすことにした。


「怒っても可愛いから、全然怖くないぞ」


 春花は口をあんぐりと開けた後、顔を真っ赤に染めた。すると後ろから、紫穂の声が聞こえた。


「蒼太くんがまた、女の子をたらしこんでる……」


 振り向くと、なんとも言えない顔をした紫穂がいた。


「花高の女神にそんなこと言うなんて、やっぱ蒼太くんはパないねぇ」


 そのあだ名、他校にも広がっていたんだ。


「おれは半端なくないぞ。しほりんの家はこっちじゃないだろ、どうしたんだ?」


 紫穂は笑顔でストラップがたくさんついているカバンを持ち上げた。


「ゆっきーに用事があるにゃん。落ち着いたからハンクラ始めるのは、どうかなぁって勧誘しに行くぞいっ」


 統一されない語尾は謎としか言えない。


 春花の方を見ると、彼女は困惑した顔をしていた。そういえば、紫穂を紹介してなかったことを思い出す。


「春花、この子はおれの従姉妹の紫穂だよ。この間、作ったストラップは紫穂に教えてもらったんだ」


 おれが紹介すると、ようやく笑顔になった春花は、紫穂に手を差し出す。


「四ツ葉荘で蒼太くんにお世話になっている、桃園 春花です。よろしく」


「四ツ葉 紫穂でっす☆ しほりんって呼んでくださいっ、春花先輩」


 紫穂はその手を握ると、縦にぶんぶんと振った。おれは思わず、あぁと声を出す。


「花高の女神のあだ名は、春花先輩にぴったりですねぇ。めっちゃ可愛いじゃないですか!」


「あ、ありがとう……しほりんも可愛いよ」


 驚きに包まれている顔をした春花は、畳み掛ける紫穂にそう言う。


「知ってます☆ でも女神から言われると嬉しいですっ」


「しほりん、もういいだろ? 早く帰ろう」


 おれが助け舟をだすと、ようやく春花の手は離された。


「すみませんっ、つい興奮しちゃって☆」


 紫穂は謝るが、やはりまだ興奮しているようだ。


 おれたちはなんとか紫穂をなだめて、帰り道を進みだした。



 おれたちが四ツ葉荘に帰った時には、由季子さんは晩御飯の準備を済ましていた。そして食事時までしほりんと部屋にこもってでてくることはなかった。春花も作りたいものがあるらしく、少し悔しそうな顔をしながら、部屋に帰って行った。


 そして冬海と秋乃先輩、夏樹先生が帰ってきたので、三人に連絡をいれた。


 すると紫穂が鼻息荒く、由季子さんは笑顔で管理人室に来た。秋乃先輩と夏樹先生を紹介すると、紫穂は春花と会った時のように興奮していた。


 そして秋乃先輩と夏樹先生が部屋に帰った。由季子さんが入れてくれたお茶を飲みながら、残りの三人で話していると、紫穂が恍惚のため息をつきながら言う。


「四ツ葉荘の人たちは、みんな美人でいいねぇ。めっちゃ創作意欲くすぐられるわん」


 紫穂の言葉に由季子さんも笑顔で同意を示す。


「わかりますわ。それに雰囲気も独特なものがありますし、イメージが湧き出ますわよね」


「雰囲気、雰囲気かぁ……それは一緒に住んでみないとわからないよにゃぁ」


 紫穂は難しい顔をする。いつもの星を散らした雰囲気が、一瞬吹き飛んでしまったように感じて、助け舟を出す。


「五階は今、ひと部屋空いているぞ。おじさんたちがいいぞって言ったらだけど、な」


 紫穂は、ぱあっと笑顔をきらめかした。


「まじっ! ちょっと、パパとママと話してくるっ! じゃあね、お邪魔しましたっ☆」


 紫穂はカバンを掴むと、大急ぎで出ていった。おれと由季子さんは顔を見合わすと、笑顔になった。



 そうして晩御飯の時間になった。


 今日あったことで笑い合ったり、明日の予定を話したり、晩御飯の時間は笑顔で過ぎて行った。



 こんな毎日はとても愛しく、そして楽しかった。この日常がいつまでも続きますように、とおれたちの誰もが思っている。

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