終話  下官張賓、貞賢を具す 

 孔萇こうちょう殿。

 貴公が武にて、下官が文にて趙王ちょうおうを支えるようになり、十余年。気付けば、貴公との縁も随分と浅からぬものとなった。

 同じ主をいただきつつも、貴公とは決して馬が合ったとは言えぬ。だが共に誓った、僣主せんしゅ劉曜りゅうよう打倒の日が迫れば、狭隘きょうあいなるこの器に押し寄せる思いとて、決して少なからぬものがある。

 なので、孔萇殿。

 下官かかんの独り言に、どうかひととき、付き合っては下さるまいか。


 以前王に連れられ、陳廷尉ちんていいいおりに伺ったことがある。そう、漢の光文帝こうぶんてい劉淵りゅうえん様を陰に日向にお支えになった、あの御方だ。

 その日王と下官は、廷尉より光文にまつわる、短からぬ物語を頂戴した。

 話を終え、下官らが席を辞した、その夜。廷尉は毒を仰ぎ、身罷みまかられた。遺書に曰く、「人臣たるの為すを全うせり」とのことであった。

 廷尉は私財を貯め込まれることもなく、残されたのは室内にあった数万余語の言葉のみ。しかも、それらの引き渡し先に、下官をご指定なされた。

 下官と廷尉には、あの日以外では面識らしき面識もない。碌々ろくろくその意も汲めず、さりとて崇敬すべき先人のお気持ちを無碍むげにするわけにも行かぬ。車に山積さる竹簡を引き取り、幾つかをひもとき、ああ、と嘆ぜずにはおれなかった。

 光文と、その扶翼ふよくたる廷尉。両名の言にしばしば現れたは「万民の安寧」であった。それを裏付けるかのごとく、竹簡には、いかにして万民を寧撫ねいぶしうるか、その思索に満ちていた。

 廷尉は、劉曜の属であるを貫かれつつも、民を、王に託されたのだ。また王の腕として、下官をお認め下さった。不遜ふそんはばからずに申さば、廷尉の思いは、光文の思いともほぼ一であったのだろう。身の引き締まる思いであった。

 もっとも、責務の重き故に、貴公とは少なからずぶつかり合ってしまったな。下官の如才にょさいの故に、貴公に少なからぬ不快をもたらしたるは、誠に申し訳なく思う。


 廷尉は、光文の物語を語られるに際し、ご自身の苦境に対しては全く触れられなかった。有り得ぬ事である。簒奪の逆を為した劉曜に対しても忠実に仕えられた廷尉であったが、劉曜の振る舞いたるや、忠に仇にて返した、と言えるものであった。

 献策けんさく諫言かんげんの議を為せば、たちまち劉曜は怒り、廷尉を獄に繋いだ。左右の必死の献言けんげんにて意を改めた劉曜は廷尉を獄より放つと自らの不足を謝罪したが、時が下れば、また廷尉の奏上に怒り、獄に繋ぐ。

 やがて徐々に玉座より遠ざけられ、臣らと会った頃には、もはや蟄居にも近しい有様であった。

 周辺も、劉曜の怒りを懼れ、廷尉に近寄らぬようになっていた。その心中たるやいかばかりであっただろうか。にも拘らず、廷尉は仰った。「暇が出来たのだ、ならばこそ、やれることもあろうと言うものよ」と。そして王に竹簡の山をお見せになった。

 あの尽きせぬ壮志、頭が下がるばかりであった。


 廷尉のお言葉が、いま、ただならぬ重みを以て下官に問うてくる。天とは何か、王とは、民とは、と。

 廷尉の話を伺ってより、王の言葉には天、と言う言葉がよく出てくるようになった。ただそれは、無心に畏敬するのとは趣が異なっているよう思う。大いなる物として見、しかして時に怒り、時に挑まんとされるかのようである。

 遙かな昔、三皇五帝さんこうごていは血統を己が正嫡せいちゃくたるの証とはなさず、その徳望をこそ証となした。ならば王が光文、昭武しょうぶを継ぐも、有り得ぬ事ではない。

 一方で、劉氏の漢朝が百載ひゃくさいを統べたのもまた事実である。

 何故なにゆえに天は、王と劉曜とを並べ立たせたのであろうか。徳望を大いに損なってこそあれ、劉曜の率いる士卒は多く、また強い。下官も貴公も、なせることは全てなした。それで、ようやく五分に届くか、である。あとは王の器が、全てを物語るのであろう。


 詰まらぬ話をした。

 何を胸に抱こうとも、我らが勝てば良いのだ。

 王の剣として、共に、朝敵を討ち果たそうぞ。

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