ドッジボール

 ボールをぶつけてくれたから、私はサリーが好きだった。

 

 もう忘れてしまったけれど、校庭は砂の乾いた匂いがしたのだろうか。

 そんなことを気にもとめなかった私は、当時十歳。

 背の順は前から数えたほうが早い。

 成績は、真ん中より少し上。

 眼鏡をかけるかどうか、お母さんと一緒に悩んでいた、あの頃。

 

 小学校では、爆発的に、ドッジボールが流行った。

 そして私は、体育の成績はというと、ぶっちぎりの底辺だった。

 だけど、ドッジボールに混ざらない奴は、言葉が通じないも同然の扱いを受ける。

 だから、私はあの校庭の、石灰で切り分けられたコートの中で、逃げまどいながら怯えていた。

 空気でパンパンに膨らんだボールが、ひゅんっと風を切る音。弾けた音を立てて受け止めたボールを勇ましく投げ返した運動神経の良い子を褒める歓声。興奮に煽られてはしゃぐ同級生の、獰猛な笑顔。

 

 この休み時間は、なんと20分もある。

 本当なら、本を読んでいたかったんだけどなあ。

 図書室に新しく入荷した、話題の本は、もう誰かが借りてしまっただろう。

 また1週間待つのか…と、ため息をついた私の頭に、ボン!とボールがあたる。私は、あまりに痛くて、涙がにじむのに、周りはなぜかおおはしゃぎして、私を褒める。


「頭はノーカンだから! セーフセーフ!」


 なんにも嬉しくない。

 

 チームの損害にはならなかったらしい。

 だからといっても、痛みは残る。

 みじめな気持ちを飲み込んで、私は必死で、チームに損失を与えないよう、息を上げてステップを踏む。逃げろ。逃げる。逃げなくちゃ。

 外野になれたら、いいんだけど。

 外野は活躍を求められるから、運動音痴はお呼びでない。

 無名なチームメンバーとして、私は生き延びなければならない。

 

 逃げまどうだけで精も根も尽き果てて、砂埃に汚れた身体で、残りの授業をやっとの思いで乗り越える。

 この流行はいつ終わるだろう。

 前は、もっと地味な、教室でできる遊びが流行りだったのに。トランプを持ち込んで、机を四つ繋げて、七並べをしていた。みんながそれぞれ持ち寄ったトランプのかわいい絵柄を見せ合うのも、楽しかった。でも、先生が「外で遊びなさい」って言うから。日焼けした子を褒めるから。足の速い子を気に入るから。私は、教室には居られない。

 ずっとこのままだったら、どうしよう。

 眼鏡をかけるのは、まだ先にしたほうがいい。

 眼鏡なんかかけたままで、もし顔面にボールがぶつかったら、そのときは、ただじゃすまないだろうから。

 

 そんなふうに、その頃の私は、悩んでいた。

 それが、そのとき人生最大の悩みだった。

 

 ある日、ひらめいた。

 

 そもそもドッジボールというゲームについて。

 相手コートの人員に、ボールをぶつける。

 一人でも多くボールをぶつけたほうの勝ち。

 最初はコートの中に十人いたとする。

 ゲームが進むごとに、ひとり、またひとりと減っていく。

 みんな、ボールの来る方向から逃れようとする。でも、のがれた大勢をめがけてボールは投げつけられる。筋の読み合いと、タイミングの見極めが大事。反射神経が物を言う、瞬発力が勝負のゲーム。

 私は、みんなが逃げる方とは、逆方向に逃げるようになった。

 みんなが逃げる方を、敵は狙う。大勢が固まっていれば、一度に複数の的に当たるかもしれないから。みんなが逃げるほうを、敵は注目する。

 つまり私は、注目を浴びないことで、敵の追及から逃れることに成功した。

 

 今思えば、あの対処法が、私のその後の人生を暗示しているようだった。

 注目を浴びないから、私は今日まで生き延びた。

 成功を他人の手柄にされても、失敗を自分のせいにされることがなかった。

 人生という演目のステージの真ん中に立つ彼や彼女らは、いつもドラマチックな展開に翻弄されて、派手で華やかに舞い上がりながら、急転直下に落ちていく。そしてまた、再び勇ましく立ち上がり、強くたくましく生きていく。私は、スポットライトを浴びない場所で、細々と、地味に、満足することもなければ、不満を覚えることもなく、普通に、密やかに、生きていた。

 

 あの日私にボールをぶつけたサリーは、隣のクラスの女の子で、出席番号1番で、背は後ろから数えて五番目に高く、成績も上のほう。夏休みは、毎年海外旅行へ行く。流行に敏感な彼女は、ドッジボールに興じるときでも、あざやかな色合いのスカートをはいて、長い脚を砂埃で汚すことも構わず、明るい色の髪をひるがえしながら、恵まれた肉体のポテンシャルを余すことない全力で、ボールを投げた。

 ボールが人体にぶつかったときに立てる音としては、人生であれより大きな音を聞いたことがない。

 それは、サリーが投げたボールと、ボールを受けた私の体の間で、稲妻のように鳴り響いた。

 ほんとなんだから。

 『ドォーン!』って。

 すごい音だったんだよ。

 

 言っておくけど、めちゃくちゃ痛かった。

 サリーの予想に反して、私は運動音痴だった。

 だからサリーは、私がまともにボールを受けたことに、自分で投げた癖にびっくりしていた。


「うそ。ごめん!」


 咄嗟に、そう言って、彼女は痛そうな顔をした。きっと、私がそんな顔をしていたのだろう。敵に情けは無用だぜ、と私は思った。身体には、そのままくっついてしまったみたいに、ボールの感触がずっと残っていた。痛みというよりも、圧力。じんじんと広がっていく、熱。

 派手な音がしたことと、私が茫然と立ちつくしたことで、ゲームの進行は止まり、不穏な空気が漂った。

 もしや、アンが泣くのでは? そうなったら、面倒くさいし、鬱陶しい。私たちのせいじゃない。やったのはぜんぶサリーだ。先生に怒られたら、いやだな。

 そんな、ひりひりした緊張感の中。

 私は、身体の痺れを味わいながら、ずっとサリーを見ていた。

 サリーはひたすら平謝りで、「ごめん! ごめん、痛い!? ごめんねーっ!」と両手を合わせている。周囲の様子を伺い、場の空気を読み解こうとしている同級生たちの間を割って、私の手をとって、「保健室行ってくるね!」と、高らかに宣言した。

 緊張が溶けて、みんながほっとしたのが分かった。場の空気を支配していたサリーは、未練なくその場をあとにして、私を保健室まで誘導した。背後で、ゲームが再開した活発な掛け声が聞こえる。

 繋いだサリーの手を、おっきいなあ、大人みたいな手だな、と思った。


「私、サリー。A組。あなたB組の子? 名前は?」

「あ……、アン」

「アンか! ごめんね、痛かったよね? ひとりだけ、みんなと違うところに立ってるからさ、避けるつもりなのかと思って、力いっぱい投げちゃった……」

 私は、サリーに、思いっきり、運動神経を買いかぶられていたらしい。

「あー、うん、へいき、だけど」

「だけど? どっか怪我した?」

「……保健室より、図書室に行きたい」

 

 その日、不毛なルーチンを打ち破った私は、あの一件を理由に、二度とドッジボールに参加しなかった。別に、気分を害したわけじゃない。体のいい口実だった。みんなも、私を気の毒がって誘わないでいてくれた。ありがたく免除に預かり、輪から著しく排除されることもなく、自由な時間を手に入れた。理由としては、サリーも一緒だったからだ。サリーは、あの日案内した図書室で過ごす時間を大層気に入って、私と連れ添って入り浸るようになったのだ。

 サリーがいたから、みんなもドッジボールに付き合っていたようだった。サリーと仲良くなりたくて。だから、サリーが抜けたドッジボール界隈は、間もなく自然消滅し、私たちの学年で再熱することはなかった。

 やっぱり、当たると痛いし。怪我するし。靴はすぐ汚れるし。汚すとママに怒られるし。みたいな。楽しいメリットより、そろそろ、デメリットのほうがでかいよね、みたいな。誰もかれも、互いの顔色をうかがいながら、じわじわと、ブームの熱は、そうして冷めていったのだ。

 

 サリーは、多分、もう憶えていないだろうな。

 私は、多分、忘れない。

 あの日体中を駆け巡った衝撃のこと。

 あのときボールをぶつけてくれたから、私たちは友達になった。

 注目を浴びないように姑息で卑劣でみみっちい生存戦略を立てた私を、彼女は見つけてくれたから。

 私がそこで生きてるってこと、彼女だけが、見つけてくれたから。

 

 

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