サリーとアンの葬列

 サリーのローファーの爪先が、まるで接着剤でも踏ん付けたみたいに、ぴたりと動かなくなった。歩きながら金縛りにでもあったのか。ぎょっとして、歩くのをやめたサリーの背中にぶつかる寸前、私もなんとか足を踏ん張り立ち止まる。

「サリー?」

 急にどうしたんだろう。

 学校に忘れ物でもしたんだろうか。

 私たちは今日部活のない日だから、まっすぐ帰宅中。今から戻れば、学校はまだ全然元気な生徒たちで溢れていて、教室の鍵も閉められてはいないだろう。

 スマホかな、と思ったけど、サリーの右手にはしっかりと握られている。そこからまた少し視線を落とすと、黒いローファーの爪先が視界に入った。

 新学期が始まって二ヶ月。あのとき新品をおろしたというサリーのローファーは、まだぴかぴかで皺も少ない。私が一年履き潰して、引き続き執念深く履いているボロのローファーとは違う。

 その、爪先。

 触れるか触れないかの距離に、それがある。

「……鳥?」

 ピンク色の、雛鳥の、亡き骸だ。

 あと一歩でも踏み込んだら、今頃ローファーとアスファルトに挟まれていたであろう。けれど、まだ全てのかたちを保ったまま、今にも動き出しそうな瑞々しさで、雛鳥の亡き骸が転がっていた。

「……このあたり、巣なんてあったのかな」

 私は頭上をあおぐ。立ち並ぶのは一般的な民家だけ。公園もなければ、並木もない。一般的な家庭の玄関先に、一本くらい生えているかな。キンモクセイか、椿か。何かそのあたりの樹木だ。でも、どこにも、鳥の巣らしきものは見当たらない。まるで、空から急に落っこちてきたような唐突さで、転がっていた。

「風に、飛ばされてきたのかも」

 答えるサリーの髪が、言ったそばから、風にふわりと舞い上がる。細くて軽い髪の毛だから、整えるのも苦労はないけど、いつもすぐに乱れてしまうという。それでも、女の子らしく長く伸ばしている髪が、風にもてあそばれて、後ろから少しだけサリーの顔が見えた。

 憮然としたような頬と唇が見えた。

 目の前に横たわる、無慈悲な運命に、無力な憤りを抱いているような。

 ……どうするつもりなのかな。

 サリーは頑なに立ち止まって、後続の生徒たちに不思議そうに追い抜かれていく。不穏な空気を察したのか、我々と同じ制服を着た少女たちがすれ違いざまに「何? ケンカ?」と囁き合うのが聞こえて、私はため息をついた。ケンカなんかしないよ、サリーなんかを相手にさ。

 すれ違う誰も足元まで注意を払わないのか、それに気づかない。まさか、あれが見えているのが私とサリーだけなんてこともないだろうに。

 世界に、そんなものなかったかのように、みんな素通りしていく。

 立ちつくす私たちの傍らを、市営のバスが通り過ぎる。

 大きなタイヤだった。

 あれに踏みつぶされたら、そんな鳥の死がいなんて、最初からなかったみたいに、元の形も分からないくらいに、ぺちゃんこになってしまうんだろうな。

 サリーはしゃがみこんで雛鳥を拾い上げた。

 やっぱり、そこにはもう命はなくて、ぐったりとした身体が、思いのほか軽やかに、サリーにつまみあげられ、白い手のひらの上に横たわる。

「どうするの、それ」

 サリーが振り返ると、私と雛鳥の距離が縮まった。不意のことで、思わずのけぞってしまう。

「埋めよう。公園に行く」

 え、えー。

 そう思ったけど、口には出さなかった。

 サリーの眉間にギュっと力が篭っている。

 サリーは手のひらの上に手のひらを重ねて、雛鳥の身体を手の中に隠し、来た道を引き返した。

 えー、と思ったのには、理由があって。

 公園は、学校の向こうだ。私たちはせっかく解放された学校に戻り、更に、帰り道から遠ざかろうとしている。遠回りにも程がある。せっかくの自由な放課後なのに。でも。

 サリーの足取りは、迷いがない。

 私は、私より背の小さな彼女を追いかけて、急ぎ足になった。

 

 ……冷たい?

 そう訊ねようと思って、やめた。

 あの手のひらに包まれた雛鳥は、一体どんな感触なのだろう。

 まだ目も開かない、嘴も小さい、繊細なピンク色の皮膚を晒した、雛鳥。巣の中で親鳥に守られていなければ、生きてはいられない。こうして、どこにも怪我なんかないのに、息絶えてしまったように。

 きっと、卵から出て間もないだろう。

 あんなに小さな雛鳥を見たのは、はじめてかもしれない。

「なんかさ、命ってかんじがしないね」

 素直な気持ちが口をつく。それは、余計な感情の乗らない声が、誤解なくサリーに伝えたと思う。

 私の少し前を歩いて、サリーは小さく頷いた。

 かわいそうだけど、胸を痛めるほど親身にはなれなかった。

 きっと、気づかないだけで、これは頻繁に起きていること。

 たまたま見つけてしまったから、二人だけの葬列が、この雛鳥を墓所へと運ぶ。それだけのこと。

「親鳥はどうしたんだろうね。鳥にも親心とかってあるのかな」

 沈黙が寂しくて、私はどうでもいいことを喋りながら歩いた。

 雛鳥の姿がサリーの手のひらで覆い隠されていて、少し気が楽だった。

 ひとつだけ怖いのは、『ちょっと持ってて』とかなんとか言って、サリーが雛鳥の運搬をわたしにバトンタッチするのではないかということ。わたし、サリーみたいに、触れない。死んでしまった、雛鳥に。気持ち悪いって感じないと言ったらそれは嘘だ。

 でも、何が境界なのかな。

 母鳥に餌をもらうツバメの雛鳥を見て、かわいいと思う。

 あの雛鳥と、死んでしまった雛鳥の差は何だろう?

 死んでいるから? 生きていれば、感じ方は変わっただろうか。

 

 公園は寂れていて、とくに子供たちに占拠されている風でもない。

 鳩がまばらに歩いていて、それは犬の散歩に来たおばさんが適当に餌付けをしているせいだ。高校に入学してすぐの頃、この公園にお菓子を持ち寄って集まってだらだら過ごしたことがあるくらいで、それからちっとも足を運んでいなかった。

 だって、遊具はブランコくらいで、あとはトイレとベンチと柱時計と、砂場しかない。公園の敷地を区切るように、樹が植えられている。入り口には看板が立っていて、あらゆる球技と寝泊りを禁じる但し書きが記されていた。その結果がこの閑古鳥か。

 サリーは、少しあたりを見渡して、トイレのほうへ向かった。

 寂れているのが幸いしてか、とくに臭いこともない。

 裏手に回ると、思いのほか緑が生い茂っていた。

「ここに作る? わたし、掘るよ」

「うん。……ありがとう、アン」

 サリーの声に感謝の気持ちが滲んでいたからわたしは少し苦しくなった。

 違うんだよ、サリー。

 率先して墓穴を掘ろうとしているのは、死骸を持つ役につきたくないからだ。死んだ生き物を触るより素手で土を掘るほうが、私にはずっと気が楽だ。

 サリーは、やっと手のひらの覆いを外す。

 改めて雛鳥の亡き骸を見つめた。

「かわいそうに」

 呟く声は、私が抱く感情とは全然違うものだって分かる。本当に心を痛めて、その死を惜しんでいる。どうして、そんなふうに心を動かせるのだろう。そんなふうに、いちいち傷ついていたら、生きていくのって大変じゃないだろうか。

 私は木の根元の土を掘り返した。幸い、そばに、割れたビール瓶が落ちていた。それは丁度土を掘り返すのに最適な割れ方をしていて、ありがたく利用する。

 あまり深くは掘れなかった。でも、土はしっとりしていて重たく、雛鳥の眠りを妨げない程度には用を成すだろうと期待できる。

「サリー、いいよ」

「うん」

 サリーが頷いて、地面に膝をつく。膝小僧が汚れるのも構わずに。そうして、そっと穴の中へ雛鳥を横たえた。

 本当に小さな生き物だと思った。

 この身体のなかに、本来なら命があって、空を飛ぶ生き物に成長する。

 今その姿からはとても想像できない。奇跡的な幸運を積み重ねて、生き延びて、ようやく鳥は空を飛ぶ、のかなぁ。私たちも、そうやっていつか大人に、なるのかなぁ。センチメンタルな気持ちが重たくて、私は息を吐く。

「おやすみ」

 サリーがお別れの言葉を囁く。それが合図だ。

 私は雛鳥の身体にそっと土をかける。しばらくすると、ちっぽけなお墓ができた。誰も注意を払わない、明日ここへ来てもそれがどこにあるか見分けがつかないかもしれない、さりげないお墓だった。

「アン、一緒に来てくれてありがとう」

「ううん。気が済んだなら、帰ろうか。どっか寄ってく?」

「まっすぐ帰る。遅くなっちゃったから」

「それがいいね」

 視界の端に水飲み場を見つける。

 サリー、手を洗わなくていいの? そう訊ねることがためらわれる。

 サリーは、汚いって思わないの?

 今回たまたま、綺麗な亡骸だったけど、

 これが、それこそタイヤにすりつぶされてぺちゃんこだったら?

 虫がたかってたら?

 ぐちゃぐちゃで血だらけだったら?

 それでもサリーは、すくいあげて、埋めてあげられた?

 いくつもの疑問は、喉元に詰まって吐き出せない。

 わたしは、サリーの手を握った。手を繋いで歩いた。

 雛鳥がどんな有様でも、結果は変わらなかったと思う。

 それを見つけてしまったら、サリーはきっと無視できない。

「空飛ぶ鳥も、死んだら土に還るんだよなあ」

「あのヒナは、まだ空を飛ぶ前だったけど」

「そうだねえ……」

「……今夜、夕飯に鶏が出ないといいな」

「でも、からあげはやめられないよねえ」

「悔しいけど、そうだねぇ」

 意味のあることはほとんど言わず、どうでもいい会話を交わしながら、再び帰り道を行く。

 繋いだサリーの手のひらは、ぽかぽかと、温かかった。

 

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