手紙
もう二度と会えないあなたへ。
あなたに改まったお手紙を書いたことはなかったですね。
たくさんメールのやりとりをしたと思うのですが。
あなたは些細な用件を伝えるときでさえ言葉を選ぶ慎重な人でしたね。
だから、私の無神経な返信に何度か傷ついたんじゃないでしょうか。
そうでなかったことを祈るばかりです。
お手紙を書こうと思ったわけは、勿論、あなたに会って喋ることができなくなってしまったからです。もしまだあなたに会ってお話しすることができるなら、私はこんな手段を選ばなかったと思います。
気持ちや感情を誤解なく言葉で伝えることに、私は自信がありません。
言葉って、文章って、苦手なんです。
だって、言葉は強いから。
見た瞬間に、頭の中に入って、たちまち言葉の意味にとらわれてしまう。
本当はどう感じていたのか、どう考えていたのか分からないままに。
つまり……
私は楽しいときに「悲しい」って伝えることができます。
悲しいときに「楽しい」って伝えることができます。
嫌いな人へ「好き」って言うことも、
好きな人へ「嫌い」って言うことも、言葉でなら出来ます。
会えば、表情や仕草や、喋り方で、
それが本意でないことをすぐに見破られてしまうでしょう。
どんな感情も言葉に包んで隠すことができる。
だから、いつも怖かった。
あなたに誤解されているんじゃないかって。
私はいつも、言葉が足らない子だったから。
でもあなたはいつだって、言葉と気持ちを一つにして、私に投げかけてくれていたよね。すごく羨ましかったし、尊敬しました。あなたは正しく言葉を選んで、本当の姿を見せてくれたのに。私は、そうする努力もせず、あなたに理解されなかったことばかりを嘆いてしまいました。ひどいなまけ者です。ごめんなさい。
だから、お手紙を書きました。
もうあなたに伝えることはできないけれど、書きました。
伝えたいことは一つだけで、私はあなたが好きでした。
もしもまだあなたが目の前にいて、私がこんなことを言い出したら、きっとあなたはとてもびっくりしたに違いないでしょうね。笑うのかな、困るのかな。その表情を見ることが叶わず、残念に思います。
あなたは、ずっと疑っていましたね。私が本当にあなたのことを好きなのかどうか、見定めようとしていました。
私は言葉をうまく選べず、本当の気持ちを伝えきれずにいました。どうしたらあなたが信じてくれるのか、言葉の力を疑っていたのです。
今だって不安です。私は正直に書いているつもりですが、へんに気取ったり、誤魔化したりしているんじゃないかって不安になります。
信じてください、って言うのが嫌だった。
それを言った途端、嘘臭くなってしまう気がしました。
繰り返すたびに色あせていくんだと思っていました。
でも私は、素直な気持ちに従って、ただ本心を伝えればよかったんです。
それなのに、どうせ信じてもらえないからと、言葉を引っ込めてしまって。
それが一番愚かなことでした。
たった一言言えばよかったのに。
愛してるよ、って。
それだけで、何かが変わったかもしれないのに。
私は、言葉の力に怯えているくせに、言葉を侮っていたんだ。
あなたがいなくなってしまって随分経ちましたね。
思い返せばあなたと会えなくなった頃、ひょっとしたら私は、何かの拍子に死を選んでいたかもしれません。でも結局、生きていく方向に立ち直っていったのは、まだどこかで期待があったからです。またあなたに会えるんじゃないだろうか、って。毎日、その期待を裏切られながらも、それでもまた期待を抱いて明日を迎えて、そうでもしないと耐えられなかったんだと思います。
今だって懲りずに、奇跡が起きたらいいなと思っています。子供じみた考えだなと自分でも滑稽に思います。
ようやく理解できたのは最近になってからです。
毎晩の夢にあなたが現れなくなってからです。
あなたはもう居なくなってしまって、二度と会えないんだって、それが本当のことなんだって、やっと意味が分かりました。
今朝、掃除をしていたらあなたのために取っておいた茶葉を見つけました。
今度あなたが遊びに来たときには一緒に飲もうと決めていたものです。
約束なんかしていません。私が勝手にそう思っていただけです。
賞味期限はもう切れていて、少し眺めてごみ箱に捨てました。あなたはもういないんだと改めて実感して、久しぶりちょっとだけ胸が痛くなった。でも、涙は出ませんでした。我慢できました。我慢をやめて泣いてしまってもいいのでしょうが、そうすると胸の中がからっぽになってしまうので、やめておきました。
随分泣いたし、もう立ち直ったつもりでいたのに。
時折、忘れたころに、忘れたことを咎めるように、あなたのかけらを見つけては、ちくちくと胸が痛むのです。
たとえばPCを立ち上げて、ネットサーフィンをしていて、ふいに見慣れないブックマークを見つけて、アクセスする。と、記憶の蓋が開いて、なぜそのページにマークをつけたのか思い出す。あなたと一緒に行こうとか、教えてあげようとか、勝手に思っていたことを、思い出す。
ちょっと珍しい場所だとか、古い映画だとか、外国の歌だとか。
あなたのために知ったものの断片が、暮らしのあちこちに散らばっていて、まだ私のことを見ているみたいです。
「あなたのために」なんて言葉が一方的で押しつけがましいかもしれないけれど、あなたがいなければ考えなかったこと、知り及ばなかったこと、気にもしなかったことが、沢山ありました。
きっと、これからの私の人生は、断片のあなたと再び会うために続いていくのだと思います。
懐かしいものに出会ったときはもちろん、なにかまったく新しいものに出会っても、あなたならどう感じただろうか、あなたとこれについてどんな話をしただろうかと思いをめぐらせずにはいられないでしょう。
そのとき、私は世界で一番孤独な幸せ者になります。
長くなってしまいました。
本当に話したかったことは、これから書くことだけです。
私はずっと「愛してる」って言葉を疑って生きてました。
そんなのはお話やヒットソングの中にしかないんだって、おとぎ話の中にしかいない妖精みたいなものだって、そう思っていました。
物語や歌声の中のそれは強くて綺麗で素晴らしくて価値があって、あんまりにもいいものだから、私には実在が信じられなかったのです。
でも、あなたに会って考えが変わりました。
私はあなたがそばにいるだけで特別な人生を送っている気分になりました。
あなたと一緒にいるだけで他に欲しいものなんかなくなりました。
手をつなぐなんてことも、なんだかもったいなくて、なかなかできませんでした。
もっとたくさん、もっと素直に、私は私のしたいことを、あなたとしたらよかったなって、今となってはそう残念に思うばかりです。
愛してる。
この言葉は、私の中にも生きていたんですね。見つけられたのはあなたのおかげです。きっとこの先いくらでも伝える機会はあるだろうと思って出し惜しみをしてしまいました。本当なら、見つけた瞬間に伝えたかった。でも、ずっとこの言葉を疑っていた私には、伝えた言葉を信じてもらえるか、不安で、自信がなかったのです。
もう、あなたに伝えることはできなくなりました。
でも、だからこそ、怯える心配はなくなりました。
愛してるよ、大好き。
またどこかで、あなたの断片に会えたときは、
この手紙を開いてみようと思います。
その日まで、しばしのお別れです。さようなら。
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