ガールズトーク三部作
Short hair girls talk
サリーが髪を短くした。
私は彼女の華奢な肩を掴んで揺さぶって、
「なんでだ! サリー!」
と叫んだ。
思った通り彼女は恥ずかしそうに俯いて、
ちょっと頬を赤らめて、
「失恋したの」
と囁いた。
そんなことは聞くまでもなく分かっている。
「だから、なんでだ!」
私はつまり、なぜ髪を切ったのか尋ねたかったわけじゃない。
なぜ失恋したら髪を切るのか、その理由が知りたかったのだ。
サリーはとりあえず玄関で靴を脱いで私の六畳一間のワンルームに上がると、
酒やつまみを買い込んだコンビニの袋をフローリングにそっと置いて、
マキシ丈のワンピースの裾をおしとやかにさばきながらクッションに腰を下ろし、それから「わっ」と顔を覆って泣き出した。
「答えろサリー。なぜなんだ」
私はまだ動機に拘っていた。
「だって、失恋したんだもん」
幼稚園児のような泣き声の合間からサリーが答える。
「なんなの。サリーは、髪で恋愛するのか?
失恋して、恋愛感情を断つ為に、毛を切ったのか?
ってことは毛のせいで恋をするのか?
毛が欲情したのか?
だから切るのか?」
サリーは泣くのに夢中で聞いちゃいない。
私はひと目見た瞬間から髪の短いサリーの姿に、
ほとんど絶望にも近い感情を抱いていた。
だって、サリーと言えばふわふわの長い髪が目印だったのに。
遠くにいても、どんなに人にまぎれていても、すぐに彼女だと分かった。
生まれつき色素の淡い髪を長く伸ばすと自然とウェーブして、それが外国の童話に出てくる女の子みたいで、私はとても憧れていたし、大好きなのだ。
それなのに、こんなのひどい。
泣くのを止めてサリーは顔を上げた。
顎のあたりで整えられた毛先はまだちくちくしていて切り口が新しい。
輪郭が浮き上がったサリーの首筋や頬は以前よりもずっと頼りなくて儚かった。
短い髪も勿論似合っている。
でも、どこの誰とも分からない男がサリーから長い髪を奪ったかと思うと、私は腹が立って仕方がない。
サリーがこんなに髪を短くするのははじめてだ。
前に二年も付き合った(婚約寸前まで行った)歯科医師の彼と別れたときは、髪を切らなかったのに。
「で、誰よ、その男」
冷蔵庫から取り出したチューハイを差し出して、
代わりにコンビニ袋の中身を適当に冷蔵庫に詰め込む。
そこから私も梅酒の瓶を引き抜いて、戸棚からグラスを取って床に座った。
べそべそと水っぽくサリーは事情を打ち明ける。
鼻が詰まって息ができないのか、センテンスが短くて、
単語と単語を繋いで説明する様子は、どこからどう見ても子供。
要約するとこうだった。
サリーは九歳年下(!)の男の子と恋仲になって束の間の幸せな日々を過ごしていたが、ある日いい感じになった際に彼は「お母さん!」と叫んでサリーのおっぱい目掛けて突進してきたらしい。
申し訳ないが、お酒もまわる前から、私は腹を抱えて笑った。
サリーは彼をあらん限りの力で張り倒すと、
別れを告げたその足で、予約もなしに美容室を訪ねて言ったのだ。
「思いっきり短く切ってください」と。
失恋丸分かりのひどい顔のままで。
だからって。
髪に何も罪はないのに。
「あーあっ」
と、サリーはため息をついた口にチューハイを流し込む。
私もおんなじタイミングで、心の中で「あーあっ」と言った。
「だから切ったの。髪。気分変えたくて」
サリーは頬のあたりに手を添えて、慣れない場所にある毛先に触れる。
まだ全然引きずったままの未練たらしい態度に、
自分では気付いていないのだろうか?
「気分変わった?」
「うん。髪が伸びるまではね、わたし、恋をしないのよ」
「だから、お前は、髪で恋愛してるのかよ」
私のほうこそ失恋した気持ちでサリーを見る。
サリーの、今はもうない髪のことを思う。
風にそよぐ長い髪。
凝った編み込みでまとめられた髪。
かわいい髪留めの似合う髪……。
お姫様みたいだなって思った。
お人形さんみたいだなって思った。
私はそもそも似合わないし、髪質もよくないから、今まで伸ばしたことがない。
サリーみたいな髪に生まれたら、ぜったい短くなんかしないのに。
「おそろいね、アン」
サリーがふと無邪気な笑みを浮かべた。
私はうっかり嬉しくなって、でもそれを悟られたくなくて奥歯を噛み締める。
わざと不機嫌な唇を作って「キャラが被るからはやく伸ばしな」と軽口を言う。
「そうだ。むしろ、私が伸ばそうかなあ」
たわむれの思い付きを口にすると、サリーがきゃあとはしゃいだ声を上げた。
「それよ! アンってずっと短いよね。見てみたい! 長い髪!」
「でも、今の話を聞いたら、伸ばすの怖くなったよ」
「えっ、なぜ?」
「髪が伸びると恋に落ちるんだろ。やだな、私は今は一人が気楽だ」
「いいじゃない! 素敵だよ、きっと」
「髪の毛に支配されて感情を動かすのはいやだ」
そういうことじゃないのに、とサリーがかわいくむくれる。
私はサリーの髪に手を伸ばして、そっと毛先に触れた。
ちくちく、真新しい切り口の感触。
めいっぱいに「傷ついています」って主張するための短い髪。
そのまま彼女のほっぺたをむにむにとつまんで、最後に軽く指で押す。
私は酔っ払っていた。
サリーも酔っ払っていて、私に弄ばれる間ずっと唸っていた。
ふいに思い出して「お母さん」と笑い混じりに呟くと、
サリーの目に再びじわっと涙が滲んだ。
私は愉快になってまた笑った。
小僧なんぞの嫁ににサリーをやるものか。
髪を伸ばしてみようかな、と思った。
それで、憧れたサリーのあの髪くらい長くなったときには、
髪にみなぎる恋愛感情が私に勇気をもたらして、私は動き出せるのかもしれない。
恋心を認めて、前に進めるのかもしれない。
「どっちが先に伸びるか、競争しようね」
サリーが涙目で微笑む。
私は指先で彼女の涙をぬぐって、その勢いでペロっと舐めた。
しょっぱい味がした。
「はいはい、約束ね」
ひとまずはこうして気の置けない仲でいられて満足はしているのだけど、
髪が伸びたらどうなるだろう。
少し怖いような、なんだか楽しみなような、
胸がわくわくして落ち着かない気持ち。
それから私たちは思い出したように手の中のグラスと缶をぶつけて
「失恋に乾杯」と言って、笑いあった。
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