サリーとアンの秘密【05】

 それから半年の間、交換日記は途絶えることなく続いた。


 なんとその間に、私たちは互いの家にお泊りしたこともあるのだ。


 久々に会った山内希――元々の私の母は、

 天野紗璃を見るなり相好を崩して

『可愛いわねえ、うちの子もあなたみたいに女の子らしく生まれたらよかったのに』なんてお愛想を言っていた。


 そんな言葉、もし私が山内杏の身体のまま耳にしていたら、ひそかに傷ついていたところだ。

 けれど、今はちっとも気にならなかった。


 サリーははしゃぐように同意して

「ねー、かわいいでしょ。あたしの自慢の友達なのーっ」と、

 自分のことを褒められたみたいに胸を張っていた。

 ――っていうか、自分のことを褒められたことになるのだろうか、これは。


 私は、母親のことが苦手だった。

 普段はほとんど放置してるくせに、時折、

 ああして私の胸を刺すような不快な言葉をぽろっと言って寄越すのだ。

 本人は失言だなんて意識がなく、

 ただの軽口や親切な忠告だと思っているから性質が悪い。

 私はいつも唐突に降りかかる言葉の呪縛に苦しんでいたのに。


 でも、今の山内杏――サリーは、

 それを些細な言葉だと軽く受け流して、母親と仲良く付き合っているようだった。

 そうと分かって、ほっとした。


 ともあれ、そんな具合に、

 ややこしい関係ながら、二人ともそのややこしさを楽しんでいた。



 さて、半年後、だ。


 サリーのツタヤでの用事に付き合い、新しい交換日記用のノートを買って。

 私たちはミスタードーナツの店内でくつろいでいた。


「そうだ。サリー、ダッフィー好きなの?」


 ふと視界で揺れた、

 私のスマートフォンにぶら下がっているダッフィーのストラップをつつく。


 サリーは首を横に振る。

 少しだけ伸びた、まだ短い髪が頬のあたりで弾んだ。


「ああそれ? べつに、好きじゃないんだ。実は。

 人にもらったから、つけなきゃ悪いなって思って」


「じゃあ、出窓に飾ってあるのも?」


「そ。貰いもの。

 大体、あの熊がダッフィーって言うのも今知ったわ。

 テディべアじゃないのか」


「うそっ……。ディズニーシー、行ったことない?」


「行ったことないなあ」


「じゃあ、春休みになったら行こう」


「アン、もしかして好きなの? そういうの」


 いたずらを思いついた少年の顔をして、

 頬杖をついたサリーが私を見てにやにやしている。

 私ならあんな表情を作れなかっただろうな、と思う代表格の顔だ。

 絶妙に腹立たしいのに相手を傷つけない笑い方。


「かわいいもの、好きだよ。

 ……ダッフィーもジェラトーニも好きだよ」


 恥ずかしくて、とても顔を上げられない。

 案の定、サリーは私を笑い飛ばした。


「あっはっは。いいね、少女趣味。似合ってるよ、紗璃」


 不意の呼び名に、つい顔を上げてしまう。


「まあ、ジェラトーニが何か知らんけどね。アイス?」


 サリーは目を細めて優しく笑っていた。

 私の趣味を肯定してくれているのだ。


 それからふと目を逸らして、


「――両親とは上手くやってる?

 うちの親、口うるさいでしょ。過干渉だし。うんざりしない?

 アン、遠慮しないで愚痴っていいからね」


 店員さんにおかわりのカフェオレを注文する。


 サリーは空にしたマグカップに先に砂糖を注いで待っていた。

 店員さんがポット片手にやってきて、二人のカップをカフェオレで満たす。


「……私、サリーの両親、好きだよ。一緒に色々できて楽しいし。

 日曜日、お母さんと一緒にお菓子作ったの。

 全部食べちゃったけど――今度、サリーの分も作るね」


「お菓子作り、付き合ってくれたんだ。

 あたし、誘われても一緒にやらなかったな……」


「そうなんだ。優しいお母さんで私は嬉しいよ。お父さんも紳士的だし。

 うちの下品なのとは大違いでしょ?」


「アンのパパ面白いよね! この前なんか、オヤジギャグ七連発だよ。

 ほとんどラッパーだよ、あれ。惜しかったなあ、動画撮っとけばよかった」


「楽しんでるなら、よかったけど――」


 私だって、自分の両親が大嫌いだったわけじゃない。

 好きなところも沢山あった。

 でも、苦手で好きになれないところもあった。


 成績が上がっても、学校で何か褒められても、

『へえ。そう』くらいで済まされてしまって。

 進路のことも、いつだって私の決定に何も意見しないで

『好きにすれば』と流されてきた。


 きっと私に無関心なんだ、って思った。


 だから、サリーの両親のもとで暮らすのが嬉しかった。

 いつだってサリーのことを気遣ってくれる。

 ああ、紗璃は愛されてる。そう思った。


 そんなことを伝えると、

 サリーはカフェオレをちびちび飲みながら、こう答えた。


「あたしもね――親が苦手だった。

 過干渉で、子供はいつまでも自分のものだと思っているうるさい親。

 いつかあたしが大人になるなんて想像もしていないみたいな。

 ちょっとでも意に沿わないことをすると眉を歪めて泣きそうな顔をする。

 うんざりだ。

 だから、アンの両親のもとで暮らすのって居心地いいんだ。

 ああ、アンは信頼されている。そう思ったんだ」


 二人で顔を見合わせる。

 どうしてそんな見方ができるのか不思議だ、と言うように。


 これはどういうことだろう。


 私にとって快いものを、サリーは苦手に思っている。

 サリーにとって苦手なものを、私は快く思っている。


「……なんかさ、あたし、しみじみ思うんだ。

 山内杏になれてよかった、って」


「私も」


 驚いたことに、二人の関係は今まで誰にも見抜かれたことはない。


『ちょっと変わったね』

 そう言われることはあっても、

『あんたなんか杏じゃない/紗璃じゃない』と言われたことは一度もないのだ。


 それぞれに、少しずつ付き合う友達も変わってきた。

 今までの関係は完全には保たれず、新しい交友関係を築いた。


 そうなると、もう、以前の紗璃と比べられることもなくなって、

 私は天野紗璃として周囲に馴染んでいった。

 違和感なく、今までずっと、私が天野紗璃だったみたいに。


「あのね、アン。あたし嬉しいんだ。

 あたしが苦手だったものって、別に悪いものじゃなかったと思うの。

 ただ、あたし自身が好きじゃなかっただけで、素敵なものだったかもしれない。

 それをね、アンは好きになって気に入ってくれてる。

 あたしの周りにある、本当は素敵なもののこと、アンは受け入れてくれてる。

 それって、なんか嬉しいなって」


「私も。私、ずっと自分のことが嫌いだった。

 背が高いのは恥ずかしかったから。

 でもサリーを見てるとかっこいいなって思うの。

 堂々として、背筋を伸ばして――そっか、そうすればよかったんだ。

 でも、私にはとても真似できない。

 サリーがその身体の中にいると、山内杏って人間がすごく魅力的に見える。

 そう思えて嬉しいの」


 いつも、ずっと。


 気に食わないものが周りに沢山あった。


 でも、同時にこうも思った。


 私には不要なものを必要としている誰がいるかもしれない。

 私にとって無意味なものにも、意味を見出すことができる、

 そんな人がいるかもしれない。


 私の人生を、有効活用できる人がいるかもしれない――。


 山内杏の身体は、サリーの人格が入ってはじめて完全な形になったようだった。

 同じように、私の人格が入ったことで、

 天野紗璃もそうなっていたらいいのだけれど。


「ありがとう、アン。天野紗璃は、あなたが使うべき身体だったんだ」


「それはこっちの台詞。サリー、ありがとう。

 私には身長一六八センチは乗りこなせなかったよ」


「……ふふ」


「ふふふふ……」


 二人であやしく笑いあう。

 お互いに選んだドーナツを半分こして、

 カフェオレをもう一杯だけおかわりした。



 つまり、こういうこと。


 私たちは、お互いの身体を交換したことで、自分のことを好きになったのだ。

 他人の身体に変身したことで、今までより自信を持つことができた。


 サリーとまだ別れたくなくて、駅へ行かずに商店街をぶらついている。

 スーツのサラリーマンや、主婦の自転車が行き交う中、

 私たちは何を見るともなしに歩いている。


「あのさ。あたしたちって、きっとさ」


「うん?」


「天国の工場で、神様から指示書をもらった天使たちがさ」


「うん」


「ちょっと疲れて手元が狂って、

 山内杏と天野紗理の魂を取り違えたまんま、

 この世に赤ちゃんを届けちゃったんだと思う」


「それで今頃気づいて、慌てて元に戻したわけ?」


「そうそう。おっと、やばいやばい、って」


「なおせなおせ、って?」


「あははは」


「天使も忙しかったのかな」


「繁忙期なんじゃない。なんだっけ、逆算するとクリスマスになる日。

 クリスマスから十ヵ月後は新生児ラッシュとか」


「うわ、サリーやめてよそんな話」


「でも、二人とも誕生日近いじゃん。九月でしょ? 逆算して十二月」


「そーだけどさあ。生々しいよやだよ」


 サリーは怯むことなく会話に下ネタを含めてくる。

 元々は小動物みたいな見た目だったくせに。

 女子校出身だからそうなるのだろうか。

 あるいは、天野紗璃の姿でいた間、ずっと抑圧していたものが、山内杏の肉体を得た途端に発露しているのかもしれない。(父親・山内武の下ネタ日常会話に毒された可能性もゼロではない。)


「天使にも間違いくらいあるよね。

 でも、そのまんまにしないでくれてよかったよ」


「私たち、やっと本来の身体に戻ったんだね」


「そうそう。でも、最初っからそうだったら、

 多分あたしはアンと友達になってないと思うんだ。

 だから、取り違えてもらえてよかった」


 私たちは、ものの考えや感じ方も、好きなものも、全然違う。

 人間として、似てないのだ。


 そんな二人が、例えばどこかで出会ったとして、友達になれただろうか。

 多分、難しかったと思う。


「――そうだねえ」


「だからね、そそっかしい天使に感謝しちゃうな、あたし」


「怪我の功名みたいなかんじだ」


「そうそう。それに、交換した人生だと思うと、絶対に粗末にできないもん。

 幸せになろうって素直に思える。今まで、そんなふうには全然考えられなかった。

 クソみたいな人生だから死のう、とかね、やぶれかぶれに考えたりして。

 勿論、実際行動するほどのことじゃないんだけどさ」


 サリーは長い指で私の手を捕まえて、覗き込むような目をして私を見つめる。


「幸せになるよ。あたし。元はあなたの人生だもん」


「――私も、頑張る。いい人生にする。

 だって……諦めてた物、取り戻したから。

 ……身長とか」


 真面目に引き締まっていたサリーの顔が、一瞬の間を置いてぶっ壊れた。

 あっはっはっは、と身体を折って笑う。


 今の私たちは、完全に、テンションの上がりきった放課後の女子高生だった。


「たしかにねえ、高い身長はどうしようもないよね。

 低い身長はこれからの可能性に期待できるけど」


「もうっ……ほんとに、気にしてたんだからね」


「わかってるよー。ああ、可愛いなあ、アン。面白い」


 身長のコンプレックスを打ち明けたのはサリーが初めてだ。

 今まで誰にも言えたことがない。


 おかしな話だ。

 今はもう、山内杏は不恰好に背を丸めて歩くことはない。


 ぴんと胸を張って、堂々とした姿を見ていると、

 どうしてあの長身がそんなに嫌だったのか分からなくなる。


 サリーの使い方が上手いのだ。

 私の人生を、サリーが上手く使ってくれている。


 それが嬉しかった。

 だから私も、サリーの人生を良く続けたいと思う。


「ね、彼氏できたら一番最初に教えて。

 あたしも最初はアンに連絡するから」


「うん。いいよ、約束」


 何気ないふうにサリーが提案して、私も軽く受け流すように約束を交わした。


 サリーは明日にはこの約束を忘れてしまうだろう。

 それくらい、ふとした思い付きのような言葉だった。


 でも、なんとなく予感がある。

 私は絶対、最初にサリーに教えると思う。


 それからも、生涯を通してサリーの友人でいると思う。

 そうして、なんでも話せる気ままな親友として、様々なものを分かち合うのだ。


 結婚して、子供を産んでも。

 子供が大きくなって、私たちがおばあちゃんになっても。

 きっと、一番近くに彼女がいる。


 そんな予感。外れるかもしれないけど。


 でも、今は信じられる気持ちだ。


 そうなっても、私たちは誰にも打ち明けずにいるだろう。

 天野紗璃は、昔、山内杏だった。

 山内杏は、昔、天野紗璃だった。


 サリーがアンで、アンがサリーだった。


 そんな話、誰が聞いたって信じないだろう。


 だから――

 これは、私たちの秘密。


 私たちだけの秘密だ。

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