サリーとアンの秘密【03】

「お待たせ」


 そう言って、サリーはカップが二つ並んだトレイを運んできてくれた。


 こうして見ると、山内杏は確かに満員電車の中で「おかま」とからかわれても仕方がないように見えた。


 背が高くて胸は平たくて手足が長くて、髪は短くて。

 一言で言えばボーイッシュだ。


 中学生男子の中に放り込んだら、ちょっと見では女の子だと分からないんじゃないだろうか。今は制服に救われている。


「いや~、びっくりしたよね」


 カップの中身を一口あおると、サリーは吐息と一緒にそう言った。


「ええっと……まさか会うとは……いや、会うかもとは思ってたけど……」


「あ、そっちじゃなくて。ほら、身体。朝起きたら、あたし、知らない家に居てさ」


「ああ、そっちの……」


 驚いた。

 びっくりしたよね、なんていうサリーの口調はとても軽率で、

 お互いの身体が入れ替わってしまったことに言及したようには思えなかったから。


「ね、どうする? これって、元に戻るのかな?」


 いきなりの質問に、私の心がびきっと強張った。

 当然と言えば当然の疑問だった。


「やっぱり……戻りたいよね?」


「え? アンは戻りたい?」


 意外そうな目をして、サリーが問い返す。

 どういう意味でいったのか、しばらく分からなかった。


 まさかと思って、恐る恐る確認した


「サリーは……前の生活に戻りたくないの? 山内杏のままで、いいの?」


「うん、わりと」


 軽い返事に、咄嗟に反応が追いつかない。


 なんだか、予想していた『天野紗璃』と随分違う。


 サリーはカフェオレに砂糖をざらざら流し込み、雑にかき混ぜながら、


「あたし、けっこう気に入ってるんだよ? 山内杏の生活」


「そうなの――?」


 それこそ、予想もしていなかったことを言う。


「うん。まず背が高いじゃない。それにショートカットが似合うし。

 それと部屋に本がいっぱいあって楽しいかな。

 ほら、通学時間が長いじゃん? だから一日一冊読んでるの。面白いよ」


「ほんと……! あのね、棚の上から三番目の右側。

 湯本香樹実って作家の本があるから――私、大好きなの。是非読んでみて」


「あっ、それもう読んだ。面白かった!」


 ――まさか、意気投合するとは思わなかった。


 私たちは、お互いが入れ替わってしまったことも忘れて、しばらく本の話をした。


 私が気に入って大事にしていた本を、サリーも気に入ってくれたのだ。


 なんだかすごく嬉しくて、舞い上がって、沢山お喋りしてしまった。

 誰かとこんなに本の話をしたのは初めてだった。


「ねえアン、メアド交換しとこうよ。お互い、困ったことがあったら助け合おう。

 でも、アンのほうは適当にやっちゃっていいからね。あたし、気にしないから」


「うん。私も……友達少ないし、あんまり困ることないと思うけど、

 分からないことがあったら聞いて」


「ありがと。それじゃ……あ、懐かしい。

 ストラップもそのまま使ってくれてるんだ。あははっ」


 お互いにテーブルの上に出したスマートフォンを眺めて、

 なんとも言えない気持ちになった。


 サリーのスマートフォンは私が以前使っていたiPhoneだ。

 私のは、カラフルな色のアンドロイド。

 幸いにも、お互い指紋認証でロック解除が出来て、そのまま使っていた。


「っていうか、自分のメアド、覚えてるよね?

 あたしも覚えてる。なんだ、もっと早く連絡すればよかった!」


 たった今思いついたようにサリーが笑う。

 うっかりしてた、と恥じ入るように。


 私はもっとずっと前に気づいていたけれど、

 サリーに連絡するのが怖かったなんて言うのが恥ずかしくて、たった今気付いたふりをして一緒に笑った。


 ――こうして私たちは、友達になったのだ。


 思ってもみない展開だった。


「いつ戻るかなんて分からないじゃん、こんなの。

 それとも、もしかして割と普通にあることなのかな?

 学校で教えてくれないだけでさ……実は、大したことない現象なのかな?」


「人格が入れ替わるのが?

 そんなに簡単に起こってたら、もっとパニック起きないかな?」


「でもさ、アンはどう? 学校でパニック起きた?」


「ううん、全然。みんな、何の疑いもなく、私のこと天野紗璃だって信じてるよ」


「あたしも。

 あたしのこと、山内杏以外の何者でもないって感じで付き合ってくれてる」


 へんなの。

 へんだよね。


 私たちは顔を見合わせて、二人同じ方向に首を傾げる。


「まあ、普通さ、朝学校に来てさ、

 友達が今日はなんかおかしいなって思っても『さてはこいつ、中身が別人だな』なんて思わないよね」


 サリーがそう言って、カップに口をつける。


「確かに……そうだね」


 私はまだ一滴も飲めないまま、

 カップの中身が冷めていくのを手のひらで感じている。


「交換日記しようか」


 出し抜けに、サリーが提案した。


「は?」


「文章にして整頓するの。自分の状況や気持ちを。

 自分でも客観視できるようになるし、お互いにお互いの立場を把握しておくのって役に立つ気がする。

 気づくことがあればアドバイスできるし。どう?」


「なるほど……」


「週に一回。メールでもいいけど……ううん、やっぱノートに書こう。

 ね、ノート探しに行こうよ。定期でしょ? 改札出られるよね」


「あ、うん」


 サリーに手を引かれるまま、改札を抜け、イトーヨーカドーへ向かう。


 サリーは背筋がしゃきっと伸びていて、何をしても悪びれないような気ままな顔をしていて、ちょっとかっこよかった。

 元々は自分の身体だったのに、とてもそうは思えなかった。

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