5.はみ出し者の会合

 オオスの病院は活気に満ちていた。いや、病院がそれでは困るのだが、ほかにどう説明しようもない。

「ジョンさん」

 『平出ひらいでまもる』と書かれた個室を開け中に入ると、妙な活気の元凶たるギターの音が全身に飛び込んできた。

 恐らくドクターやナースたちもとうに諦めてしまっているのだろう。元気な怪我人が“ヘイジュード”を熱唱していて、おとなしくしていなければならないはずの患者たちがシンガロングに応じて、その周りにはさらに見舞客という名の観客がひしめいていた。

「ありがとう!ラブ&ピース!」

 独演会が終わると同時に看護師たちがぞろぞろとやってきて患者たちを部屋に戻し始める手際の良さは、撤収の遅いアマチュアロックバンドたちも大いに見習ってほしいところだと思った。

「サブも来たんだ」

「アカネ、どうしたんだこの騒ぎは、いや、何も言うな、大体分かる」

「さすが弟子だね」

 ベビーカーに乗った赤ん坊が、俺の前髪を引っ張りたそうに慌ただしくうごめいたが、そうはいかない。

「あんたも、いい加減にしないと乳母車に放り込んで縛り付けるぞ」

 横着ぶりでは幼児と大差ない弾き語りシンガーに言ってやるが、ジョンさんはまったく懲りていない。

「一度ならず地獄を見れば、怖いものなど無いよ」

「どうやら撃たれる部位を間違えたらしいな。よく頭を狙えと伝えておけばよかった」

 この会話の流れは在りし日の路上ライブを思い出させる。ただ、如何せん演者も観客も少なすぎるところがネックだ。

「っていうかさ、今気付いたんだけど、なんか臭わない?」

 アカネが鼻をひくひくとさせる。リョウタはおとなしくしているので、粗相ではないだろう。

 俺も鼻腔を広げて確認する。あのモグリ医院とは月とすっぽんの、清浄に保たれている部屋の空気。その中に、確かに微量な異物の存在を確認した俺は、昼寝の体勢に入った容疑者を確保すべく、声を吐いた。

「どこに隠している」

「……何のことかな」

「アンタの汚れきった肺とお口の恋人だ。出せ」

「―――洗面台の裏側……」

 ホシはあっさりと陥落し、ブツの在り処を吐いた。喫煙警察の役割を十秒で解かれた俺は、言われた場所からマルボロを取り出し、ポケットにしまった。

「殺生な……」

「悪いなジョンさん、アンタの傷の治りが遅れることなんてどうでもいいが、とっとと退院しないと、病院側に迷惑だ」

 俺たちのやりとりに、アカネがまたコロコロと笑った。

「ところで、シンジローさんは、どうしてる」

「どうって……、普通に仕事してるけど?」

「鼻を怪我してたろう」

「ああ、あれね、バカだよね~。アスファルトに顔からいったって」

「そうか」

 俺の何とも言えない返事で会話が途切れるのを嫌がるように、ジョンさんが口を開いた。

「サブくんの方は、大丈夫なのかい」

「ちょっとハードだが、充実した毎日を送っている」

「そうかい」

 結局、沈黙の来襲には逆らえなかった。こういうとき頼りになるのは空気を読むことを知らない猫と赤ん坊だが、リョウタは大人同士の愚鈍な会話に退屈したのか、寝ていた。

「―――せっかくだから、二人の歌が聴きたいな」

 意を決して放ったと思われるアカネの声に、俺とジョンさんは目を見合わせた。

「僕のギターは、さっき看護師さんに没収されてしまったよ」

「どこにあるの?」

「恐らく、給湯室の辺りだと思う」

「待ってて」

「マジか」

 アカネが、えへへ、と笑いながら「リョウのお世話お願いね」と言って出て行くのを、師と弟子は呆然と見送るばかりだった。

「彼女は、あんな女性だっただろうか」

 ジョンさんの疑問に、俺は何を今さら、と思いながらこう答える。

「俺たちはずっとそうだろう。はみ出す気もないのにはみ出て、何度怒られても反省できない。―――そういう生き方しかできない」

「僕はそうだったが、君がそうとは限らない」

 俺は否定も肯定もできず、首をほんの少し傾けて見せた。

「ところで、何か用があったんじゃあないのかい」

「ただの見舞いだ。ただ―――」

 身から出た錆とはいえ、ジョンさんのことはPEに対しての借りだ。きちんと、落とし前をつけなければならない。そう思っての見舞いだった。

 だが、そんな事情を話しても仕方がない。

「実は今夜、ずっと行けてなかった墓参りに行く」

 正確には、墓の場所をずっと間違えていたのだが。なっちゃんの墓と世間で思われているところには毎年行っているが、あそこに、彼女は眠っていない。

「そうか……」

 俺は、弟子の唐突で不可思議な言葉の意味を測っているらしい師に、没収したマルボロを取り出してみせた。

「こいつを、線香代わりに立てて来る」

「それは嬉しいね。よろしく言っておいてくれよ」

 それ以上の詮索はせず、ジョンさんは黄色い歯を見せた。

 浅い眠りから覚めたらしいリョウタのぐずる声が聞こえた。俺はベビーカーのところまでいき、すっかりお気に入りらしいヘアピンに触らせてやる。

「眠りが浅いと怖い夢を見るものな。大丈夫だ。ママはもうすぐ来る」

 ぽってりと膨らんだ頬を軽くつまみながら話しかけていると、すぐに軽いノックの音が聴こえた。

「さ、ライブ開演だ。お前に俺の歌を聴かせるのは、初めてだったな、リョウタ」

 そう言って俺は、再び病院で巻き起こるどんちゃん騒ぎの片棒を担ぐべく、病室の扉を開けにかかった。

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