12.イギリスの研究所

「しかし、同じ立場に立ってようやくわかったよ」

「何がだ」

「サブ君の気持ちさ。君も何か、裁かれぬ罪を抱えているのだろう」

 約二週間前、カナヤマ駅前で話したことを思い出した。『自分なんて要らないと思っているだろう』と、見事に内心を言い当てられた時と同じ空気感。

「自己否定が君の君自身による“罰”かい?他人を愛することを拒否してしまうのもそのせいだ。自分の夢を否定し、ひいては自分自身の生すら否定し、そうして自分を罰している。そうしたい気持ちが、今、僕には痛いほど分かる」

「俺にはよく分からないな。餃子を作る度に材料の生産元に懺悔しろとは言われるが」

 冗談で誤魔化した。ジョンさんは笑いも怒りもせず、穏やかな表情でこう言った。

「しかし、君は僕に『愛してるぜ』と言ってくれた。少しずつ、自分をその枷から解き放ってはいるようだね」

 そうなのだろうか。確かに、俺はジョンさんに言われた通り“罪”を抱えているのかもしれない。しかし、それが赦される日が来るとは、思えなかった。

「それにつけても、強制労働は辛いよ。こんなことなら、あの下宿先で不法滞在でもいいから居続ければよかった」

 手足を投げ出すようにして嘆くジョンさんに、それはそれで強制送還になるだけだろうが、と俺は笑いながら言ってやる。

「その下宿は、あのぼろアパートより居心地が良かったか」

「ああ、よかったね。あの宿も伊野波くんの紹介だよ。彼のお父さんが、昔そこに暮らしていたらしいんだ。それで―――」

「おい、ちょっと待て」

 俺は少々うんざりとしながらジョンさんの発言を止めた。

 いくらなんでも巡り合わせが良過ぎる。なんだってそこまで誰も彼もがリバプールにいるのだ。リバプールに一体何がある。俺は運命論者的な師匠に挑戦するようにこう訊く。

「なぁ、ジョンさん。あんたが会った、一風変わった研究機関ってのは、その下宿先から近いのか」

「ああ、目と鼻の先だよ。でも一体どうして?」

「研究機関の名前は?」

「サウストゥノースとかいったかな。地元じゃあ『ワーディ・ラボ』だ。セイレーンの彼以下、変人の巣窟だったね」

 自由の国と言えばアメリカだが、紳士の国もなかなかのものだ。

「それにしても、何度も危ない橋は渡っているというのに、また生き残ってしまったなぁ。ジョンのように逝き損なった」

 撃たれた腹を叩きながらぼやくジョンさんの声に、少しの残念さが滲んでいた。

「あんたは所詮バッタもんだ。“普通の人間”はそうそうカッコ良く死ねないのさ」

「ふっ、それも、そうか―――」

 観念したように言ったジョンさんが、ゆっくり目を閉じた。俺はそれを見届けると、病室を出て、携帯を取り出す。

 歩きながら、ジョンさんから聞いた名称を調べると、英語のサイトが出てきた。拙すぎる中卒程度の英語力で読み解くと、同名の私立大学が管轄する研究機関であることが分かった。目立った実績は無いが、人間工学、ロボット工学、音響心理学やバイオ研究といった広範な分野で研究を行っているようだ。研究者のリストのようなものは無い。

 ならば、直接訊いてみるか。俺は思い立ったらまず行動と、病院一階の人のいない閑散とした場所まで降りて、通路に備えられた公衆電話の受話器を取る。

 相手は英語圏ということで、何度か会話の予行練習をしてから小銭を積み上げ、電話をかけた。

 0033、01、44とプッシュする手に音声翻訳アプリを起動させた携帯。もう片方の手に公衆電話の受話器を持ち、件の研究機関にコールすると、ワンコールで相手が出た。

「Hello, South to north laboratory」

 出たのは女性の声だった。俺は、たどたどしい発音で伊野波という人物がいなかったか訊く。

「ハロウ。プリーズ テル ミー ピープル ネームド ミスター イノハ オワ ノット プリビアウスリィ エンロールド イン ザ ラボ?」

「Excuse me, May I have name again please?」

 もう一度言え、ということか。俺は伊野波という名前を繰り返し、ジャパニーズリサーチャーと付け加えた。

「Please… ah… Who are you?」

 警戒した様子で訊かれるので、これも予め用意しておいた返答をする。

「マイ ネーム イズ イノハマサヒコ。アイム ヒズ サン。アイ リサーチング ヒズ パスト フー ダイド イン ジ アザーデイ。」

 息子だと詐称した挙句、正没不明ではあるが、勝手に死んだことにさせてもらった。かくして少し戸惑った返事が返ってくる。

「I see… just moment please」

 しばし待たれよと言われ、保留音が聞こえ始めた。伊野波さんには後で謝っておこうと思った。ややあって、女性の声が返ってきた。

「Have I kept for waiting? Your father is enrolled in thirty years ago」

 三十年前に在籍していた。この街に“根本”ができ始めた時期と一致する。

「リアリィ?」

俺は思わず訊き返した。

「Yes, Your father was biotechnology expert, but he has been expelled」

 いわくつきの研究所でバイオテクノロジーの専門家として研究をしていたが、後に除籍。伝わってくるワードだけで、キナ臭い匂いばかりがする。俺は電話先の女性に礼を言うと、通話を切った。

 一つ、知人の“裏側”を知ったことで、芋づる式にほかの人物のそれも明るみになっていく。恐らく、ハヂメのメールにあった『君の知る“真実”は本郷新次郎のものだけでは無い』とは、ジョンさんのことだけでもないのだろう。

 次は伊野波さんの“真実”を知ることになるのだろうか、俺は待合室のソファに座り、既に疲れ切っている頭を根性で回転させる。

 彼が研究者であった父親、つまり“先代”からその意志を受け継いだ二代目ブルースだったとして、イブやシーナにこだわる理由はなんだろう。

 研究所。人間工学、ロボット工学、バイオテクノロジー―――アンドロイド、人間の生体研究……?

「まさかな」

 突飛な発想だと思い、独り言でその想像を打ち消そうとしたが、なかなかできない。なにしろ、あまりにもおあつらえ向きな形でパズルのピースが置かれているのだ。

「イギリスで、産まれた……」

 自分のその呟きに驚いて一気に疲れが飛び、頭が冴えた。シーナは“野良猫”ではない。あの子は、ほとんど生まれたときから“根本”にいた上に、この国の人間なら本来与えられているはずの戸籍がなかった。

 俺は携帯で、朝方いた場所にコールした。

『もしもし、こちら万屋よろずや小林―――』

「ユウ、起きていたか」

『うん。随分とお楽しみだったね』

 言い方に妙な棘があると思い、気が付いた。そういえば、こいつに連絡するのを忘れていた。

「目の前で見た銃撃戦の話は今度してやるから、俺の頼みを聞いてくれ」

『今度はなんだい?』

「イギリスの警察機関にクラッキングして、十年前の日本人行方不明者か死者について調べろ」

『―――なんだ、君も銃でやられたのか。撃たれたのは頭かい』

「良い冗談を言えるようになったな。場所はリバプールだ。早速取り掛かれ」

『いや、何を取り掛かれって言うのさ。のび太君でももう少しマシなお願いをするよ』

「ユウえもんに不可能はない。それに、兄は弟に逆らってはいけない。それが今日、お前が学ぶことだ。分かったか」

『はぁ……そんなこと、とっくに知っているよ、お兄様』

 折り返し電話する。という言葉を残して通話を切ったユウと同じく、俺もまた、新たな危ない橋を渡るべく、動き出した。

「伊野波さん―――あんたに訊かなければいけないことがたくさんあるんだ。出てきてくれ」

 その独り言と靴音が、誰もいない病室の通路に響いた。


[第七話 カプリチオ・オブ・セイレーン]終

続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る