11.英雄の報酬

「サブ、代われ。俺が押さえておいてやる」

 止血のために使っていたタオルと同等の血濡れの手を天谷店長がどかしてくれる。俺はフラフラと立ち上がり、杉野を睨みつけた。

「どうやら、あんたは他人をクズ呼ばわりできる人間じゃなかったようだな」

 いつか杉野が、ヤクザたちに語った言葉を引用して言い放つと、その小太りな顔がゆっくりとこちらを捉えた。

「―――あの時の……サブ……そうか、お前が……」

 呆けた表情が、次第に硬くなっていった。こいつ、俺のことを知っているのか。

「悪いが、サインはお断りだ」

「ふん、なるほどな。ハヂメの言っていた通りだ」

 そう言って、再び視線を落とした。一体なんだというのか。ハヂメから俺のことを聞いているのか。しかし、何故この男が。

 救急車のサイレンが近づいてきた。疑問は膨れ上がったままで、俺はとりあえず血に塗れた手を洗うべくトイレへと向かった。


 ―――夕刻。

 腹部からの失血によるものではなく、撃たれたことそれ自体のショックで失神していたジョンさんが目覚めたのは、警察からの事情聴取や小松さんに対する事の顛末の説明、出かける旨の書置きはしておいたものの心配しているかもしれない同居人たちへの電話などを行い、質問と怒声と罵声の波状攻撃を受けた俺が総合病院に着いたPM7:00のことだった。ちなみに、飯は警察でカツ丼を食べた。聞いていた通り、自腹だ。

 受付で、ジョンさんが入院している部屋の番号を聞いて笑った。数日前までヒロが入院していたベッドと全く同じ場所だったからだ。

「よぉ、街の英雄で諸悪の根源」

 俺がそう呼びかけると、点滴を打たれていない方の手を上げて苦笑してみせた。

「いやぁ、こんな形でニュースに出るとは思わなかったよ」

「ジョン・レノンを騙る様子のおかしい無職のミュージシャンは、こんなことでもなければ出られないだろう」

 俺の手厳しい物言いに、白い入院着でその栄養失調気味な身体の線が露わになった様子のおかしいミュージシャンは、がっくりとうなだれた。

「ほんの出来心でイギリスに行っただけなのに、えらい目に遭ったよ」

「ほとんど自業自得だろう。伊野波さんも、金を工面したことを後悔していたぞ」

 そう考えれば、このセイレーン騒動の諸悪の根源は、ジョンさんではなく伊野波さんであるかもしれないと思った。無論、冗談だ。

 警察は、いよいよ最後までセイレーンの存在を公にはしなかった。昼から何時間もぶっ続けで特番を組んでいるニュースでも、興味の対象はもっぱら白昼堂々の銃撃と、杉野が行っていた違法な風俗の経営についてだ。ジョンさん、すなわち平出ひらいでまもるは、杉野に脅迫され銃撃された純然たる被害者として扱われていた。無論、PEプライベートエデンのプの字も出ない。ハートオーシャンの事件と銃撃事件が同時期に、同じくライブハウスで起こったことから、関連性を疑う声がネットのあちこちから上がってはいたが、やがてセイレーンが街から駆逐されるのと同じく、下火になっていくだろう。

 俺は、こうして全てがPEにとって都合よく展開していくのを見て、改めてプライベートエデンという教団、そして教祖ハヂメの力の大きさを実感した。

 近いうちに、連中と直接相対せねばならないときがくるだろう。勝てるだろうか、この町全体を覆う、大きな“歪み”の中心に―――という心配はとりあえず今脇に置いて、俺はボーっとニュース特番を観ているジョンさんに「一つ、話がある」と切り出した。

「分かっている通り、あんたは逮捕も起訴もされないが、それは形式上の話であって、付けなきゃならないけじめみたいなものはあるんじゃないかと思う」

 “けじめ”などという、自分らしくない言葉が出てきて内心苦笑するとともに、何かこれが、ヤクザの“手打ち”をしているようにも思えてきた。

 ジョンさんは一瞬、息を飲むように押し黙った後で「それは、そうだろうね」と絞り出した。

 Sing4youのメンバーをはじめとする音楽仲間、それを見に来たお客さん、ハートオーシャンのスタッフたちは、命に別状がないとはいえ未だほぼ全員が入院中だ。

 ジョンさんがこの、現場から遠く離れた総合病院に搬送されたのも、付近の大病院が満床だったからだ。

「あんたは多くのものを傷つけた。分かっているな」

「もちろんだ。身体がいうことを聞けば、たとえ門前払いになろうとも、今すぐ警察に出頭したい気分だ」

 しょぼくれた目に涙を浮かべながら言うオッサンに、まだ良心があることを再確認した俺は、こう言ってやった。

「なら、こちらの方で相応の罰を用意した。ある意味、これは懲役や死刑よりも重い罰だ」

 甘んじて受けよう、というように、ジョンさんは静かに目を閉じて俺の言葉を待っている。

「強制労働だ。無賃金で、死ぬまで働いてもらう」

 刑罰を言い渡された“被告人”が驚愕した様子で目を見開く。

「まずは、今日散々店をめちゃめちゃにしてしまったセブンスフォックスで一ヶ月みっちり。もう天谷店長に話は付けた。そして次に、Sing4youのローディーだ。何なら、マネージャーも兼ねてもらおう。それをやりながら―――」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 思考が追いつかないというように、ジョンさんが俺の言葉を制した。

「まず、凄く基本的なことだが、働くのに無給なのかい?」

「ああそうだ。収入なら生活保護を頼れ。あんたが従事するのは全てボランティアだ。詐取ということにはならないはずだ。金は、もう生活保護それで残りの人生を逃げ切れ。もう、どうにもならないことは、あんたにも分かっているだろう」

 寝床なら、あの短気でお人好しの大家が経営するアパートがある。そして月々渡される微々たる金と、最低限の衣食と、一本のギター。十分ではもちろん無いが、必要なものは大体ある。

「大金は無い。だから、せめて“人”と“場所”で生活を潤せ。ほかの奴には、こんなこと口が裂けても言えないが、あんたなら、それができる」

 人間、最後に物を言うのは、その人自身が持つ人懐っこい雰囲気というか、愛嬌なのかもしれない。見た目は小汚いオッサンだが、彼の周りには自然と人が集まる。それを生かせば、きっと、絶望せずに生きていける。

「あんたは、誰にも裁かれない罪を犯した。それはあんた自身が罰して、あんた自身が赦さないといけないものだ。そのチャンスを、俺が与えてやる」

 上段から放つような物言いだったが、ジョンさんは深く頷いた。

「ありがとう。努力するよ」

 そうして、話は終わった。俺たちの間に、静かな時間が訪れる。ややあって、ジョンさんが口を開いた。

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