10.トラブル

「くそ、トラブルの発生源は俺か」

 我が身を呪いながら楽屋を出て行く。外に出すか共に隠れるか。いずれにしても、ここに部外者がいると、杉野に要らぬ刺激を与えてしまう。

「小松さん」

 俺が呼びかけると、一昨日よりは顔色の良い雑誌編集者が破顔した。

「おお!やっぱりサブ君だったか。ここでアルバイトでもしているのか?」

「そんな感じです。それより小松さん―――」

 何とかして外に出さなければ、と、焦るあまり口が回らない。完全にテンパっている俺たちとは逆に、小松さんは呑気な口調で天谷店長に挨拶をしている。

「天谷さん、お久しぶりです。昨日まで別件でナゴヤに来ていたんですが、ハートオーシャンであのようなことがあったのでSSSについて改めてお話をと思いまして。そうしたら、サブ君もいたので、失礼ながらアポなしで訪問させてもらったという―――お邪魔でしたか」

 ああ、邪魔だよ。と、きっぱり告げてしまおうか、いや流石に失礼だろうとか、いろいろと考えているうちに、楽屋の方から声が飛んだ。

「おい!やっこさんが来たぞ!!」

 ああもう、なるようになれ、と、俺は小松さんの手を引っ張って楽屋の中に入った。

「どうしたって言うんだ?この人、警察か?」

「どうも、ナカムラ署の者です。ちょっと犯人逮捕に協力を願います」

「はぁ」

「そこでじっとしてくれ。すぐに終わる」

 俺や大木の言葉に怪訝な顔をしながら、小松さんが雑然とした楽屋の奥に引っ込んでいくと同時期に、ジョンさんの声が届いた。

「やぁ、杉野さん。道中、大丈夫でしたか」

「大丈夫ではないね。あちこち警察だらけだ。どうやら、すっかり教団からは裏切られてしまったらしい」

 無線から聞こえる声が次第に大きくなっていく。やがて、どん、という音と共に音声が安定した。杉野が腰かけたようだ。

 さぁ、ここからが本番だ。と、俺はジョンさんの口八丁に期待をかける。

「もうじきこの街からおさらばできるさ。彼に協力してもらってね。この店の店長、天谷君だ」

 ジョンさんが天谷店長を紹介する。

「箱に来てくれるお客さんを病院送りにするわけにはいかないのでな」

「こんなチンケな店を守るため、か。私には理解できないな」

 ナゴヤ駅前でヤクザ二人に怯えていた時とは全く違う、尊大な口調で杉野が言う。相手によって態度を変える、典型的な小物だ。

「それで、どうやってこの忌々しい街から逃げおおせるというのかね」

「機材車に、中身の空っぽな大きなアンプがある。その中に入ってもらう。外からは見えないから、車の中を検められても大丈夫だ」

「本当か。警察犬なんかを導入されていたらどうする」

「検問だって、それほど大々的じゃあない。楽に抜けられるさ。杉野さんはセイレーンを持ってとんずら、また、この“金の成る木”を使って、別の場所で商売を始めればいい」

 セイレーンのUSBメモリ(無論、偽物だ)を取り出して見せつつ、軽妙に語ったジョンさんに、杉野はしばし考えを巡らすように唸る。モニターを見ると、足を組んで座っているが、短すぎて片足がかろうじて引っかかっているという状態だった。辛いだろうに、と思っていると元に戻した。そして、口を開く。

「ふん、PEのように良い隠れ蓑がそうそう見つかるとも思えんが、仕方ないか」

 余裕のあるふりをしているが、どう考えても穴だらけの脱出計画に簡単に乗った。作戦の第一関門はクリアだ。

「話は済んだか。俺は少し準備があるから、店の奥に行っている」

 作戦の第二関門。天谷店長がゆっくりと立ち上がる。

「おい待て」

 杉野から鋭い声が飛び、心臓が早鐘のように鳴った。

「そこから逃げ出すつもりじゃないだろうな」

「この箱の出入口は一つしかない。何なら確認するか」

「いや、いい。早くしろ」

 気が立っているのか、イライラと貧乏ゆすりをしながら杉野が言う。やはり、あまり刺激しない方が良さそうだ。

「杉野さん、僕はトイレに行ってくるよ」

「ちっ、あんたもか。さっさと行ってこないか」

 よし、作戦通りだと拳を握った瞬間、背後から身体を思い切り揺さぶられるような衝撃が走った。振り向くと、小松さんが楽屋に積んであったシンバルを何かの拍子に落としてしまった音が正体だと分かった。分かったところでどうしようもない。最悪だ。

「なんだ、今の音は!?」

 かくして杉野が気のふれたような絶叫と共に立ち上がる。大木の舌打ちが聞こえる。

「おい、作戦変更だ。突入するぞ!」

『はい!』

 大木が楽屋を飛び出していく。俺は全くいうことを聞かない身体の中で唯一動いた首を回し、モニターを見た。杉野の手に、小さな塊が握られていた。それが銃だと分かったのは、風船が破裂したような音と共に、その物体の先から硝煙が吹き上がったからだった。そして、その銃口の先には―――

「ジョンさん!!!!」

 最初、大声の出所が分からなかった。喉に痛みを感じ、自分があらん限りの声で叫んだことに思い至ったときには、既に撃たれたジョンさんが崩れ落ち、大木が拳銃で杉野の太腿を撃ち抜き、隙ができたところで長野が制圧した後だった。

 俺は急ごうとして逆に空回りする足を必死に抑えつけながら楽屋を出て、仰向けに倒れるジョンさんの傍に跪く。

「ジョン、ジョン・レノン―――」

 撃たれたショックか、自らの敬愛するミュージシャンの名を何度も呟いている。

「銃……撃たれ……死―――」

「悪いがあんたは死なない。伝説になるなんて柄でもないだろう」

 俺は血が流れ続ける銃創をタオルで押さえつけにかかりながらその声を制した。あっという間に真紅に染まったタオルと、鼻腔をつく硝煙の臭いに絶望を感じたが、傍らに、大柄な男の気配がして、そっとタオルをどかした。

「見たところ、銃弾は脇腹を貫通している。出血は多いが、内臓がズタズタになっていることはねぇだろう、止血を続けな。おう長野、救急車は―――」

「もう呼びました。それにしても大木さん、なかなか射撃の腕が良いですね。初めて知りましたよ」

 長い警察人生の中でも初めての発砲だっただろうベテランが、不敵に笑う。

「子供の頃はオオスの射的場が俺の遊び場でね」

「そうですか、俺はセガのガンシューティングです」

「けっ、そうかよ。じゃあ、次は―――」

 言って、大木が向かった先には、無理やり椅子に座らされた杉野がいた。

「おい、次のセイレーンをどこに仕掛けた」

 憤怒の形相で、長野によって簡単に止血手当をされた足をだらんと投げ出した杉野に尋問を始める。

「さぁな。ジャンキーのバンドマンに渡したから、場所は知らんね」

「そいつの名を教えな」

 杉野がぼそぼそと答える。その、聞いたこともないバンドマンの名を聞いた長野が無線で何事か早口で話し始めた。

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