9.セブンフォックス

 地下鉄サカエ駅の十一番出口から、徒歩で五分足らずの場所にあるテナントビル。その五階に位置するセブンスフォックスに、俺とジョンさん、それに警察の大木と長野が着いたのは午前十時ごろだった。

「で、このUSBメモリの中身がセイレーンだっていうのか」

 誰もいない、音もないライブハウスのフロアに、俺たちと警官二人が向かい合って座っている。大木が、セイレーンの原盤をしげしげと見つめる。

 天谷店長が飲み物を持ってやって来た。寝癖の取れていない巨漢が、眠そうにしている。

「店長、無理を言ってすまないな」

「いや、レコーディングのエンジニア明けでようやく眠りにつくところだったんだが、大丈夫だ。それより―――」

 ドン、と、大きな音を出して飲み物の乗ったトレイを机に置く。

「ったく、物騒なモン流しやがってよぉ、ジョンさん!?」

 ここにきてずっと神妙にしている、付き合いの長い男に叱責の声を上げる。

「面目ない。全て僕のせいだ」

「そういうことじゃねぇ!ボロい商売に手ぇ出す前に、俺のところに来いっていうハナシだ!あんたなら雇ってやれたかもしれねぇのによ」

 その荒っぽい優しさに、またジョンさんの涙腺が緩む気配がしたので、俺は話題を杉野の確保に向ける。

「見ての通り、切れるカードは一枚きりだ。奴を捕えるチャンスも一度だけ。二人には控室に忍んでいてもらう。俺たちがおびき出したら、ワッパをかけろ」

「大雑把な作戦だな」

 長野が口の端を曲げて言う。

「シンプルでいいだろう。単純バカの熱血漢にはちょうどいい」

「なんだと!?」

「褒めているのさ」

「とてもそうは思えねぇがな。ま、俺らを信じて通報してくれた市民の恩義に報いるとしようや、長野巡査」

 公僕は辛いねぇ、と嘯く大木巡査長が、USBメモリを天谷店長に差し出す。

「店長さん、これはあんたが持っていてくれ」

「大木さん!?」

 証拠品の譲渡に長野が声を上げるが、大木は全く意に介さない。

「要らないってんなら、ゴミ箱にでも捨てておいて構いません。ただ、我々が持っているのは危ない」

「どう、危ないんですか」

 天谷店長の問いに、大木は渋面を見せる。

「知っているかもしれませんが、ウチの管内の警察組織、かなり腐っておるんですわ。それこそ、そいつを証拠品として渡したら、そのまま握りつぶされて、何事もなかったかのように、元あった場所に戻されるほどに、ね」

 組織のしがらみにがんじがらめとなった壮年警察官の、せめてもの足掻きだと思った。その意志を汲んだのか、天谷店長がそれを受け取った。

「私も、エンジニアとして音の専門家を気取っていますが、これが本当にドラッグなんですか」

「聴いてみることはお勧めしませんが、本物です」

「なら、波形編集ソフトにぶち込んでみますよ」

 オッサン二人のやり取りが終わったところで、俺がジョンさんと天谷店長に対し、順に頼む。

「じゃあ、ジョンさんは杉野にメールを送ってくれ。店長は、機材車を出して路駐しておいてくれ。カモフラージュのための機材の詰め込みは、俺も手伝う」

「じゃあ僕も」

「ヘルニア持ちは座って、警察の事情聴取を受けていろ。豚箱行きになるかは、この人らへの協力次第だ。だろう、大木さん」

 少しは話の分かる方の警察官に話を振る。

「出世の糸口になったら考えてやらぁ」

 俺はぶっきらぼうな口調で言った大木に笑みを返すと、天谷店長と共に外に出て行った。チャンスはこれ一度きりだ。何も起こってくれるなよ、と祈りながら、大きなアンプを運び出しにかかる。


 正午前、全ての準備が完了し、俺は大木と共に、使われなくなったシンバルや古いベースなどが乱雑に転がっている落書きだらけの楽屋で、杉野がやってくるのを待っていた。

「奴は本当に来るか?」

「来るさ。そっちこそ、身体は動くのか」

 中年太り気味な腹を指差して言ってやると、大木は不敵に笑う。

「これでも荒事には慣れてる。それに、署の方に電話して、ここらを警戒してくれと言っておいた。逃げられやしねぇさ」

「そうか」

 自分でも口数が減っているのが分かる。ライブ前と同じように緊張してしまっている。建物の外側で張っている長野から報告があるはずだ。

 楽屋に入っているモニターから、客席の様子が見える。天谷店長が椅子に腕組みして座り、腰の悪いジョンさんは「この方が楽だ」と立っていた。

 杉野が武器を携帯している可能性を考慮し、確保のタイミングは、一旦店内に入れた杉野を残し、準備があると言って天谷店長がスタッフルームに、その後、ジョンさんがトイレに、それぞれ入ってからとなっていた。やり取りは机の下に仕込んだ無線で、動きはこのモニターで分かるようになっている。

 携帯で時刻を見る。AM11:17。機材車の準備を終えてここに潜んでから、まだ数分も経っていないが、時が長く感じる。いつの間にか握り締め、汗ばんでいた手を炎天下の作業中にと貰ったタオルで拭っていると、長野から無線連絡が入った。

『不審な人物がそちらに上がっていきます。一人です』

 身体が硬直するのを感じる。準備を終えてまだ数分。思った以上にギリギリだった。

「随分と、お早いお着きだな。杉野か」

『いえ、奴より若く、小柄な男です。仲間かも知れません』

 更なる情報に、気持ちが暗くなる。トラブルはやめてくれよ、と俺はロックの神様にお願いをする。

「一人で逃げ回ってるって聞いていたがな。とりあえず中に招き入れる。警戒しろよ」

『了解』

 警察をおびき出す作戦とも考えられるということで長野に待機を命じた大木が無線から手を離し、腰に付けたホルスターを少し撫でる。


 ややあって、ライブハウスの重い扉が開いた。

「失礼します。J-Rock編集部の小松と申します。こちらに、霧島三郎という人はいらっしゃいますか」

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