8.ブッキング

「僕の行ったイギリスのリバプールに、一風変わった研究をする機関があってね。そこの音響研究者の一人と仲良くなったことが始まりだ」

 屑籠にティッシュを一杯にした後で、ジョンさんが話し始めた。

「有り体に言ってイカれた男でね、『本物のモンスターミュージックはこれだ』と言って渡されたのが、セイレーンの原盤だった。初めて聴いたときは、ぶっ飛んだよ」

「つまりはアッパー系特有のハイテンションというやつか。このジャンキーが」

「僕はあれ以来やっていないよ。煙草に麻薬じゃ、いよいよ破産だ。物乞いはしても、借金はしないのが僕の流儀だからね」

 憑き物が落ちたようにいつものペースを取り戻し、ジョンさんが言う。

「それで、そいつをこっちにいるPEに」

「いや、そうではない」

 俺がそう言いかけると、ジョンさんが手で制した。

「教団の人間が、偶然同じ街にやってきていたのだよ」

「なに?イギリスに信者がいたのか」

「ああ。そこのバーで話をしたんだ。外国での布教活動だと言っていたね」

「それは……」

 あり得ない、という言葉が喉元まで出かかったが、押しとどめた。今はそのことについて深く訊くときではないと思った。

「どうした?」

「いや、何でもない。続けてくれ」

 偶然か。

 確かに、あり得ないことではないが、それでも合点がいかない。

 イギリスは人口100人の島ではないのだ。単なる布教活動だったとして、まだ自国内ですら数10万の信者を抱えるに過ぎない新興宗教団体のメンバーが、ピンポイントでリバプールにいる可能性など、まして偶然立ち寄ったバーで酒を酌み交わすなどということが本当にあり得るのか。

「杉野たちと話し合う中で、足のつきにくい、付いたとしてもリスクの低い売り捌き方を考えていった。そして、元々商売に使うことなど考えていなかった研究者から原盤を譲り受け、僕は愚かにも奴らと手を組んだというわけだよ」

 それが一年前の話。原盤はジョンさんが厳重に管理し、杉野らはその音質、つまり“中毒性”を劣化させたコピーをデータにして、イギリスから持ち帰った。

「ナゴヤに帰ってきたのは、ビザが切れただけではないのだろう」

「ああ、こっちで、もっと良い商売があると誘われてね」

「良い商売とは、何のことだ」

「それが、どうにも要領を得なくてね。とにかく世界がひっくり返るような、ものすごいものが生まれる。そして“こちら側”にいれば僕にも莫大な利益がもたらされると聞いて、のこのこと帰国したというわけなんだ」

「杉野の言いなりになっていたのも、その“利益”のためか」

「そうさ。だが、もう未練はないよ。お金よりもリッチな物を貰ってしまったからね」

「一応訊くが、それはなんだ?」

「“愛”さ」

 それには全く反応してやらないことにして、俺はいよいよ朝の通勤ラッシュが始まったと見える外を走る車の音を聞き、部屋の窓から外を見た。今日も街は平穏そのものだ。

「そうだ。平和でもある」

「そう、ラブ&ピースが何より大切―――」

 俺が口走った言葉にジョンさんが被せるが、首を大きく振ってその声を止める。

「いや、そういうことじゃない。平穏すぎるのがおかしいんだ」

 杉野の目的はなんだ。街から無事に逃げおおせることだ。

 その後はどうする。セイレーンのことを警察に、いや、それでは奴も売春の元締めとして逮捕される。この街にいようがいまいが、杉野は教団と心中するしか道はない。

 ならば、何故こそこそと逃げ回る。今時誰でもネットで犯行予告や告発ができる。

 何故ヤクザや警察だけに自分の考えを伝え、一般市民を騒ぎに巻き込まない。

「一体どうしたんだい」

 長らく沈黙していた俺に、ジョンさんが心配そうに声をかけてきた。

 俺は思考の深海から浮き上がり、泣きすぎたせいで鼻の赤い男に言う。

「杉野は何故、PEを直接攻撃しないのか、気になってな。ネット動画や昔の人脈で連中の違法行為を告発することだってできるだろう」

「それもそうだね。僕にも、ほかの信者には絶対に言うなと言ってきた」

「奴はそれほど熱心で敬虔けいけんな信者ではなかったと聞いているが」

「うん。彼は実務担当の幹部だ。僕が言うのもなんだが、神より金、名より実利を取る、即物的な男だよ」

「そんな奴をよく幹部まで立てたものだな」

「運営にはプロが必要だと思ったのだろう。教祖のハヂメは、信者の数を増やすことにこそ積極的だが、それ以外のことは全くのノータッチだ。きっとセイレーンや売春のことも、ほとんど知らなかったんじゃあないかな」

 あのメールにもセイレーンには関与していない、と書かれていたことを思い出す。

 それにしても、運営にあまり手を回さずとも信者が吸い寄せられるとは、よほど魅力あふれる“特典”があるのだな。と、そこまで考えたとき、ふと、勧誘活動をしていたフジサワとのやりとりを思い出す。


『御神体が復活したとき、プライベートエデンへとたどり着ける』


 その“特典”が明確な“実利”を示したいたとすれば、そしてそれが教団内部の人間でなくなったとしても受け取れるものだとすれば。こうした状況に陥っても、杉野がメディアを通してPEを糾弾する様子が無いのも頷ける。

 奴らは何を守っている。“御神体”とは何だ。

 再び考えを巡らせ始めた俺の耳に、携帯の着信音が届いてきた。ジョンさんのものだった。

「奴さんからメールが着た。検問が設置されて、身動きが取れないらしい。どうする」

 “信心”を失っていないとはいえ、いよいよ本当に詰んできている杉野の状況を鑑みるに、より極端な行動に出てもおかしくはない。

「おびき出す、か」

 俺は呟くと、メールの文面を思案する。

「ハートオーシャンと同じ事件を起こす、とライブハウスの店長を脅迫した。機材車に紛れて逃げ出す算段が出来たから、打ち合わせをしたいと伝えろ」

「そんな方法で逃げ出せるかな。奴は僕のことも警戒しているんだ」

「なら、セイレーンの原盤を付けると加えておこう。金の成る木があると分かれば、警戒は緩くなるはずだ」

「まぁ、なるようになるか。返信をしておくよ」

 かかるかどうか微妙な罠だったが、かくして逃げ場のない魚は食いついてきた。

「来たよ。奴と落ち合う場所はどこにする」

 俺は取り急ぎ、まだ眠っているだろう人物へ電話をかける。

「サカエのセブンスフォックスだ。天谷店長にはこれから話を付ける」

 ヤクには厳しいあの人にセイレーンのことを話すことになる。ジョンさんと共に説教は食らいそうだが、協力はしてくれるはずだ。

 何回かコールし続けると、思った通り眠そうな声が返ってきた。

『おう、こんな時間から何の用だ』

「店長、休みのところすまないが店を開けてくれ。そこでライブをやりたい。ブッキングしたい糞野郎がいるんだ」

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