8.教団の集会

 来るときはフシミから地下鉄に乗ってきたが、帰りは比較的乗車数の少ない中央線に乗って、ナゴヤ駅へと向かう。俺たち二人以外乗客のいない各停電車の窓からは、夕暮れの色を含んだ西日が差し込んでいた。

「Sing 4 youは良いバンドだっただろう」

 差し込む陽を背に受けながら、俺は、隣に座ったプロのミュージシャンに言う。麦わら帽子を取って少しボリュームが無くなったショートヘアを露わにしたヨンジーは頷く。

「上手いバンドだな。でも、あのコマさんて人、サブに色目使ってたからぶっ殺す」

「おい」

 いくらなんでも閾値が低すぎる上に変わり身も早すぎるヨンジーに突っ込む。しかし、その横顔は嬉しそうに笑っていた。

「コマさん、あたしをサブの彼女だと思ってた。あたしたち、恋人同士みたいに見えるか?」

 数センチ低い目線から、俺の顔を覗き込んでくる。先ほど猫を被っていた時と同じような上目遣いの表情に答えてやる。

「引率の先生と生徒には見られないだろうな」

 この中途半端なジョークに、ヨンジーが怪訝な顔をする。

「なんだそれ。どんな意味だ」

「特に意味は無い」

 滑ったジョークの説明ほど小っ恥ずかしいことはないので、御免こうむりたい。

「良いから教えろ。あたしが知らない言葉だ」

 かなりしつこく食い下がるが、俺は無視する。

「サブ……」

 突然、ヨンジーが全体重を俺の肩にかけてきた。俺は大きくバランスを崩す。

「やめろ―――あれ、どうしたんだ?」

 肩口に顎を乗せてむくれているヨンジーの目から涙が溢れていた。泣いているところを見られたくないのか、急いで目をこすると、唇を尖らせてこう言った。

「分からない言葉が無いようにしたいんだ。二年前は、全然上手く話せなかった」

 東海地区大会で当然ながら失格になった俺と、そのまま全国優勝を果たしたネクサスだが、同じくナゴヤで活動しているということで、その後の半年間は、よくライブハウスで一緒になった。俺はほとんどネクサスの前座扱いだったが、それでも、あの大入りになったライブハウスでの演奏は、気分の良いものだった。

「まぁ、そのおかげで俺も少しお前の国の言葉を話せるようになったけどな」

 楽屋でも彼女たちとはよく話した。メンバーの中で一番よく絡んできたヨンジーは、その頃から大変口が悪い。というか、最初に覚えた単語が簡単な挨拶と『ぶっ殺す』だったらしく、当時から多用していた。教えた奴は名を名乗れと言いたくなるが、その他の語彙は貧弱そのもので、俺の言っていることが分からないと、俺が同時翻訳のアプリケーションを駆使して、ヨンジーの国の言葉を話すことになった。

「サブと話したくて、沢山勉強したんだぞ。ヨニよりもヘヨンよりも。断じてプロモーションのためじゃないんだからな!」

 ツンデレ……いや、違うか、デレツン?ぶんむくれているくせに、やけに素直だ。

「だから、知らない単語とか言葉の表現とか、そういうのは全部知りたいんだ」

「そうか」

 何ともいじらしい少女の思いに応えてやりたいところだが、その内容がとてつもなくつまらないことに、俺の口は重くなっていた。

「サブ、やっぱりいきなり来て、迷惑だったか?」

「いや、そんなことは無い。ヨンジーに会えて嬉しかったよ」

「そうか」

 少し弾んだ声が返ってきた。上機嫌になってくれたようで、俺は一先ずホッとした。

「で、さっきはどんな意味なんだ?」

「ホッとできねぇ!!」

 だが、何とか会話は中断できた。ツルマイ駅に到着した電車がドアを開けた瞬間、土曜日の夕刻だというのに、スーツ姿の人間たちが数十人単位で乗ってきたからだ。性別も年齢層もバラバラだが、皆、一様に同じ紙袋を手にげていた。

「なんか、いっぱい乗ってきたな」

「そうだな」

 何があったのだろうかと思って乗車してくる人間たちを見ていると、見知った顔が乗り込んできた。

「マナミ?」

 すぐに判断できなかったのは、マナミの出で立ちがいつものようなギャルっぽい化粧と服装ではなかったからだ。他の乗客たちと同じようなスーツ姿の女が、こちらに気付いて驚いた表情を作ったところで、ようやく確信が持てた。

「サブちゃん!?どうしたの、こんなところで」

「VIPの護衛さ。マナミこそどうした。ここらで転職説明会でもあったか?」

 麦わら帽子を目深に被りなおしたヨンジーの頭に手を置いて言った。

「ああ、別に就職活動のためのスーツじゃないよ。何となく普段着だと居辛い場所だったから。―――その人は?イブちゃんじゃ、ないよね」

 ここ一週間の間、二度ほど家事の助っ人を頼んだことで、マナミとイブは顔見知りだ。ヨンジーが帽子を少し上げ、顔を露わにして軽く会釈する。

「よ、ヨンジー!?マジで!?」

「声がでかい!」

「あ、ごめん。でも、なんでここにいるの?」

 同じライブハウスでやっていたので、当然ネクサスのヨンジーとも顔見知りである。そして、今朝からのゴシップニュースのことも知っているはずだ。

「寮の飯が不味かったらしい。耐えきれなくなって、今朝、俺の家に来た」

「え?でもサブちゃんのご飯だってゲロマズでしょ?」

「あはは。お久しぶりです、マナミさん。覚えていてくれて、ありがとう」

 マナミの歯に衣着せぬ物言いに笑ったヨンジーが、また妙な猫かぶり口調で話す。

「わたしたちは、オオゾネで路上ライブを見てきました。マナミさんは、どうしてここにいるんですか?」

 ヨンジーの問いに、マナミは他の乗客が提げているのと同じ紙袋に印字された文字を見せて答えた。

「“Private Eden”?なんですか、これ」

 プライベートエデンか。勧誘の男に会ったとき登録したメールアドレスに、何通かのメールが届いていたが、全て読まずに削除していた。そうか、今日が例の『イベント』の日だったか。恐らく、定例集会か何かだろう。

「なるほど、新興宗教の集会か。本部はツルマイにあるんだな。興味があったのか?マナミ」

「う、ううん。ただ、イベントに有名人が来るっていうから、ちょっと……」

 それでも、信心など持ちあわせていなさそうなマナミが行くにしては意外な場所だったし、なりより、以前ヒロと俺との会話に同席して、その得体の知れなさを聞いているはずだった。だが、それでも敢えて集会に足を運んだ理由。

「そうか。なら、俺も行けばよかったな」

 歯切れの悪い口調から考えて、訊いても答えは聞き出せないだろうと思い、詮索するのはやめにした。

 それにしても、すっからかんだった乗車率を一瞬にして70%は押し上げる程度には、魅力的な集会のようだ。俺は席にありつけなかったマナミに自分が座っていた場所を譲りながら、車内を埋め尽くす信者たちを観察した。マナミも含めて、どこにでもいそうな人間ばかりだが、そんな中に“根本”を襲撃した連中がいるのだと思うと、自然と身体が強張るのを感じる。

「ありがとうサブちゃん。……どうしたの?」

「いや、教祖のハヂメってのはどんな奴なのかなと思ってな」

 イカれた街を、さらに狂わせる第三の勢力。

 外見だけは若く見えた教祖の顔を思い出しながら、俺は呟いた。

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