7.オオゾネ

 ナゴヤ市の東にある、JR、私鉄、地下鉄、ガイドウェイバスの四つの乗り場を構えるオオゾネ駅は、20年ほど前にドーム球場が造られて以降、特に賑わうようになった。

 高架や屋根がある場所が多いため、小雨が降っても路上ライブができるため、天候に構わず演奏したいナゴヤのストリートミュージシャンが好んで拠点にしている。

 人目に戦々恐々としながら、別の場所で遅めの昼食を済ませた午後二時。ヨンジーと共に駅に着いた俺は、ガイドウェイバス乗り場の真下、赤いポストがある場所にたむろする一団を見つけた。

「コマさん!」

 二週間ぶりに会う、民族衣装のような服を身にまとう小柄な女性に向かって声を出す。

「あ、サブ君だ!おーい!!」

 四人組アコースティックバンド『Sing 4 you』のボーカル・コマさんが、小さい体を目一杯動かしてこちらに手を振ってくる。俺も遠慮がちに手を振り返す。ギターやカホンを持った、その他三人の男性メンバーも俺に気付き、顔を綻ばせる。

「よぉサブ、ここまで来るなんて珍しいな。ひょっとして、あのヤクザと“仕事”か?」

「ええ、そうです。だから、今日からムラさんを兄貴と呼ばせていただきます」

「俺はヤー公じゃねぇ!!」

 カホン―――アコースティックバンドにおけるドラムのような役割を果たす長方形の民族楽器の上に跨ったスキンヘッドのムラさんが、二週間前にした安藤とのやり取りを持ち出して来て言うので、俺も彼の堅気に見えない顔を引き合いに出して返す。

 一笑い起こったところでヨンジーを―――若干の嘘も交えて―――紹介しようとした矢先、今年27歳になるコマさんが脇の甘い魚の如く、俺の隣に立つ長身の少女に食いついた。

「おお!彼女だ!ねぇヒラタさん、ついにサブ君童貞卒業したよ!」

 小さな体に見合わず太く良く通る声でこの人は何を言ってくれるんだ。気にしていることではないが、気にしていると思われている男性チームに気まずい思いをさせてしまっている。

「違います。残念ながらまだ卒業の見込みは立っていません」

「あら、それは残念だったね」

「コマさんがフリーになるのを待っているんです」

 そう言うと幼児の様にコロコロと笑う。年々化粧は濃くなっているが、恐らく心は一生すっぴんなのだろう。ギターのヒラタさんが、口の動きで「ごめん」と言った。俺は気にしない。

「っていうか、その子、ひょっとしてネクサスのヨンジーじゃないか?なぁ、サブ君」

 ベースのクラノさんが訊いてきたので、俺は内心歯噛みする。流石に普段、音楽コラムライターをしているだけあって、海外のバンドマンについてもよく知っている。

 どう誤魔化そうか思案していると、ヨンジーが口を開いた。

「そうですよ。よくご存じですね」

 俺は驚いた。ヨンジーがあっさり身分を明かしたことにではなく、その丁寧な口調にだ。

「今日はお忍びなので、しー、でお願いします」

 相変わらず少しカタコトながらそう言い、口元に人差し指を当て、小首を傾げて見せる。

 おい、こいつは誰だ。竹を割ったような口ぶりで「ぶっ殺す」を連呼する全自動暴言メーカーはどこに行った。いや、是非どこかに行って欲しいが。

「へぇ、この子が朝からニュースになってた子かぁ。でも、ヤバくないの?」

 コマさんが少し真剣に“井口小鞠いぐちこまり27歳”の顔を覗かせて訊く。ここは『沈黙は金雄弁は銀』であると心得て、黙っておくことにする。が、当然ヨンジーの口を閉じさせる方法は無い。

「サブは、大丈夫だよって言ってくれました」

 言ってない。あと口調戻せ。

「もし国から事務所の人間が来たら、俺が追い返してやるからって」

 言ってない。むしろありがたく強制送還の片棒を担ぐ所存だ。

「へぇ~、やるなぁサブ」

 ムラさんが蓄えた顎鬚あごひげに手をやりながら言う。他の三人も感嘆の息を漏らさんばかりにこちらを見ている。

 これは、まずい。三年前から共に切磋琢磨してきたバンドから、あらぬ誤解と妙な感心の眼差しを向けられてしまっている。あとヨンジー、その得意気な顔やめろ、ぶっ殺すぞ。

「わたしのことは問題無いので、皆さんの演奏を聴かせてください」

「おお、プロに聴いてもらえるぞ。コマ、覚悟はいいか?」

「そう言われると緊張してきた」

 俺たちがやり取りをしている間に、Sing 4 youのファンたちが集まってきていた。

「せっかくだから、サブ君も一緒に演ろうよ。俺のギター使いな」

 ヒラタさんにギターを渡される。ボーカルとコーラスに専念したいのだろう。俺は苦笑しながら緊急サポートギターを引き受ける。コードは知っているが、念の為にと譜面台を置いてもらう。

「じゃあ、行ってみよう。最初の曲ー!“ハイとローの島”!」

 ムラさんが四つカウントを取り、四つ目が終わった次の瞬間ギター・ベース・カホンとシンバルの大きな音が駅に鳴り響いた。俺はバンドのグルーブに身を任せるようにして、ヤイリのアコースティックギターをバッキングしていく。


≪“ハイ” 朝みたいな名前だから 君に会うと笑顔になる

“ロー” 穏やかに凪いだ海のようなセカイをあなたにあげたい


二人、創って 一つ、壊して 泣いたあめに種が育って

もう完璧じゃなくたっていい ここは僕らの島だから


溺れずに泳ぎ切って 会いに 会いに来て 太陽 太陽浴びて

零れずに受け止めて 愛を 愛を Oh… Cry for cry for you…≫(ⒸSing 4 you『ハイとローの島』)


 ゆったりとした横ノリのリズムで鳴らされる音楽と共に、コマさんの大らかな歌声が響き渡っていく。

 実はコマさんが同棲している人との間にできた子供を流産してしまったときの体験を元に書かれた歌詞に、ヨンジー含め、二十人ほどの聴衆が笑顔で聴き入っている。これがポップミュージックの魔法だ。

 一曲目を終え、俺がサポートギターから解放された後も、Sing 4 youの路上ライブは四人が出す音のように緩やかに続いた。

「今日はここまでっ!ありがとうございましたー!投げ銭してくれてもいいよ。僕たち貧乏なの」

 いよいよ夏が到来し、街も暑くなっていたが、日陰の中で時たま涼風が吹き抜ける場所での路上ライブは熱中症患者を出すことなく、午後四時前、無事に終わった。

「ありがとうね、サブ君!ヨンちゃんもカムサムニダ」

 コマさんが歌うときのスタイルである素足で寄ってくる。ヨンジーが、営業スマイルで応対する。なるほど、これが芸能界か、と少し思った。

「ありがとうございました。とっても良かったです。今度わたしたちはこっちでもデビューするので、ライバル、ですね!」

「へぇ、そうなんだ。じゃあ、これからサブ君は二つの国の最大手芸能事務所を相手取ってヨンちゃんの為に戦うんだね。ご愁傷様……じゃなくて、お幸せに!」

 色々と間違っているし、とてつもなく笑えないジョークを食らったが、俺はそれでも何も言わないでおく。果たして本当に『沈黙は金』なのだろうか。

「うふふ、ガードしてもらいます」

 猫かぶりモードのヨンジーが腕に纏わりついてきた。

「なら、追っ手の黒服たちが現れる前に帰るぞ、ホイットニー・ヒューストンさん。銃で撃たれたら歌ってくれ」

 ヨンジーの手を引いて、一刻も早く帰ろうとする俺に、コマさんが「相変わらず、オヤジ臭い趣味だね」と言ってニヤニヤと笑う。

「どういう意味ですか?」

 どうやら冗談の意味が通じなかったらしいヨンジーがコマさんに訊く。

「ほら、『ボディガード』って映画、知らない?こんな歌、歌ってるやつ」

 コマさんが有名なエンディング曲のサビを歌うと、ヨンジーも合点がいったようだった。

「ああ、何だか観たことがある気がします」

「サブ君、映画好きだもんねぇ。でも世代がずれまくってんの」

「あはは。面白いです。サブ」

 ついには俺にまで敬語を使い始めたヨンジーとコマさんがふざけて『オールウェイズ・ラブ・ユー』の有名なフレーズを歌い出した。

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