6.スターの秘密

 フシミ駅の九番出口を降りて、少し行った先、初見ではなかなか見つけ辛い脇道にライブハウス『ハートオーシャン』はある。多くのメジャーアーティストがインディーズ時代を過ごし、またアマチュアに出戻ってしまったミュージシャンも多く受け入れている。キャパは二百五十人。決して大きくはないが、歴史は古い。だからこそ、俺はここを最後のライブを演る場所として選んだ。

 地下一階の場所にある店は『CLOSE』の札がかけられていたが、夜に行うライブのリハーサルでもやっているのか、ベースとドラムの低音が地上にも響いてきていた。

「う~ん、久しぶりだ。何も変わってないな」

 顔を隠すためなのか、縁の広い麦わら帽子を被っているヨンジーが大きく伸びをしながら言った。麦わらの網目から射す陽光に照らされた顔は、化粧も直されている。

「しかし、お前は中途半端だな」

「何がだ?」

「全身それなりに良いファッションで固めてあるのに、足元がお留守だ」

 その辺の靴屋で投げ売られているようなスニーカーを履いた足を差して言ってやる。

「これも全部スタイリストからもらった服だからな。お化粧もメイクの人に教えてもらった」

 そう言って、あはは、と開けっ広げに笑う。そもそも興味のアンテナが音楽と、中学の頃からやっている陸上の長距離競技以外には向いていない女だ。夏らしい爽やかなコーディネートでまとめつつ詰めの甘いところが、いかにも彼女らしい。髪型も、似合ってはいるが、どうせ美容院で『とりあえず短めで』と言ったアバウトな要求をしただけに違いなかった。

「店の中には入れないらしいが、満足したか、お姫様」

 アートホールから出た後、「次はハートオーシャンに行きたい!」と言って俺の手を引っ張ってきた少女に言う。ここでは、先ほどのような無茶なワガママは言わなかった。

「うん!ありがとうサブ」

 常にこうしてニコニコとしていてくれるといいのだが、そうもいかない気性の激しい少女の満面の笑顔に苦笑する。さて、洗濯物の処理を任せている同居人たちの姿を想像し、帰ろうかと思ったが、一年以上ぶりに再会した“盟友”との交流を、もう少し続けたいという気にもなっていた。まぁ、ここ最近は気を張ることばかりだったことだし、別に罰は当たるまい。

「じゃあ、次はゲーセンにでも行くか。ポッ○ンにお前たちの曲が入っていたぞ」

 俺が箱の近くにあるゲームセンターの裏口を差して提案するが、ゲーム好きだったヨンジーは首を横に振った。

「ううん。それより喉が渇いたな。どこか店に入ろう。あたしが奢るぞ」

 時刻は昼時で、休日のナゴヤヒロコウジ通りは人も車も多くなっていた。

 ヨンジーの言葉に甘える形で、ライブハウスから少し離れたところにあるオープンカフェに落ち着く。

「なんでここに来たんだ?」

 無職の男と隣国で一躍スターとなった少女という組み合わせだが、気付かれることも関係に妙な疑問も抱かれることなく随分と良い席に通され、出されたコーヒーを飲みながら、俺は会話を切り出した。

「ハートオーシャンを見ておきたかったんだ。なぁサブ、あたしたち、またあそこでライブするんだ」

 苦いものがダメなヨンジーが、ほとんどミルクそのものと化したカフェオレを一口飲んでから、身を乗り出すようにして宣言する。

「そうなのか」

「うん。こっちでもデビューするんだ。それで、その最初のライブが『ハートオーシャン』」

 既にアジア圏では人気を獲得しているネクサスにしては、あの箱のキャパは狭いと言える。恐らくそこでもヨンジーが事務所と“やり合った”のだろう。

「それは、小林店長も喜ぶな」

 あの昼も夜も無くライブを回し続ける超人的な店長の顔を思い浮かべたのか、ヨンジーの小さな顔にまた笑い皺が刻まれる。

「そういえば、ほかの二人はどこにいるんだ?ベースのヨニと、ドラムのヘヨン。一緒じゃないのか?」

「……いない」

 ヨンジーが笑顔を引っ込め、さらに俺からも目を逸らした。会話の雰囲気が変わった。

「―――何を隠してる?吐け」

「何にもないよ」

 微妙に発音がカタコトになったヨンジー。尋問のし甲斐がない奴だ。

「新サカエでライブの出番前に俺のギターのネックをぶち折ってくれた時と同じ顔だ。あの時みたいに怒らないから正直に言ってみろ」

 怒りはしなかったが、リペア代はきっちり請求した俺に見据えられ、麦わら帽子をより目深に被り直すヨンジー。この反応の素直さも、あの時と全く一緒だ。あの時はドラムのヘヨンの後ろに隠れていた。

「二人とも、いない」

「一緒には来ていないということか」

「うん」

「何故だ」

「……言えない」

 強情な奴だ。だが、基本的には素直なはずのこいつがここまで意地を張るのは相当なことだ。何かスキャンダルでも抱えているのではないだろうか。黙秘を続けるヨンジーの様子を観察しながら、俺は考える。

「―――まさか」

 そして、とんでもない推測に行き当たった俺は、急いで滅多に触らない携帯端末でニュースを確認する。そして、大手ポータルサイトのトップニュースでその記事を見つけた瞬間、地の底から這い出るような、驚愕を通り越した声が漏れた。

『≪ヨンジー脱走!?事務所が「彼女は国内にいない」と発表≫

 近日、日本デビューを予定しているアジア全土で人気のロックバンド・ネクサスのリーダーであるヨンジーが事務所の寮を抜け出し、さらには本国国内にもいないことが明らかとなった。

 関係者によると「現在、高校生の彼女たちは一応夏休みということで休暇が与えられているが、安全のため、出かける際には事務所に申請を出し、許可を得ないといけないことになっている。無断で国外に出ることなどもってのほか」(関係者)。

 彼女たちは留学生だった高校一年生時にJ-Rock主催の音楽コンテストで優勝したことを契機にデビューしたバンドであり、今年からはこちらでも活動範囲を広げると発表したばかり。ひょっとしたら、今回は新たな活動現場の個人的な“下見”であり、あなたのすぐ近くに、赤毛の美少女がいるかもしれない。』


 記事の最後に記者の署名が無いのが惜しいほどの値千金、特大160mホームラン級のスクープ記事を読み終えた俺は、オープンカフェで小さくなってカフェオレのカップを傾ける“赤毛の美少女”(東報スポーツ談)に、その文章を見せた。

「スポーツ新聞の与太記事もバカにはできないな、ヨンジー」

「あ、あはは……。あたし、まだ文字はあんまり読めない―――」

 ニコッと笑って誤魔化すことは許させない。俺はぴしゃりと言い放つ。

「帰りなさい!今すぐに!!」

「嫌だ!」

 案の定、反発する。

 なら、と、折衷案を提示する。

「ならせめて親御さんに電話しろ。このままでは国際問題になりかねん」

 向こうの法律がどうなっているかは不明だが、こうしてヨンジーを連れ回している状況が、誘拐に当たらないとも限らない。

「ダメ!連れ戻される!!」

「ダメじゃありません!むしろこの状況がダメです!」

 保護者のような口調でそこまで言って、はたと気付いた。

 周囲の注目をかなり集めてしまっている。

 意地になってこちらを涙目で睨みつけているヨンジーは、どうやら簡単に折れそうもない。ここで騒ぎを大きくしてSNSに写真でも載せられたら事だ。

「よし、分かった。ひとまず姫が城から抜け出した話は終わりにして、移動しよう。どこに行きたい?」

 とりあえず問題を先延ばしにしたことで機嫌を直したらしいヨンジーが、少し考えてから言う。

「うーん、じゃあ、オオゾネ」

「また中途半端な場所だな。野球観戦ドームに行くならまだ時間が早いぞ?」

「そうじゃなくて、路上ライブを見たい。サブ、前に見せてくれただろ」

 つい先月のことの様に二年―――否、正確には一年と少し前のことを言うヨンジー。ライブハウスが主戦場の彼女たちにとって、路上ライブは刺激的な体験だったらしい。かなりはしゃいでいたことを思い出す。

「しかし、俺は今ギターを持ってないぞ」

「それでもいい。行こう!」

 千円札を置いて立ち上がると、ショルダーバッグを持っていない方の手で俺を引っ張る。

「お釣り、要りませーん!」

 そんなことを宣言して駆け出すので、どちらにしても目立ってしまう。俺はできるだけ早くこの場から立ち去るべく、手を引っ張るヨンジーよりも前に走り出た。

「お!競争!?」

「いや違う鬼ごっこだ。鬼は携帯機器を持っているこの街の人間全員で、Twitterにアップされたらゲームオーバーだ。分かったら急ぐぞ!」

 手を繋いだまま、ヒロコウジ通りを駆け抜けていく俺たちは、どう考えても、誰よりも目立っていただろう。

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