5.思い出の地

 サカエの商業ビル最上階に、その全席座席で1000人のオーディエンスを詰め込むホール会場はある。俺が演者として訪れた中で最もお客さんが多かったライブであると同時に、演者としてライブをやらなかった場所でもある。

「どうやら、今日は閉まっているようだな」

 吹き抜け構造のビルを貫くエレベーターに乗って最上階に来たが、ホールに至る扉には『準備中』と書かれている。

「きっと、明日の準備があるのだろうな」

 明日はあれから丁度二年、ユースロックコンテストの地方大会がある日だ。今はJ-Rockのスタッフたちが準備に追われているはずだった。

「む~、ちょっとだけで良いから、入れてもらえないか、頼んでくる」

 諦めきれないヨンジーが、出てきたスタッフの一人を捕まえて、何事か話す。俺はそれを黙って見ている。無理だろうが、何でもやってみなければ納得できない女子だ。好きにやらせて、ダメになって凹んでいる彼女をどう宥めるかを考えておく方が有益だ。

「良いって!」

「なに!?」

 会場のセキュリティはどうなっているのだと思ったら、そのコンプライアンス意識の低いスタッフが、俺の下に駆け寄ってきた。

「霧島君!サブ君!!」

 勢い込んで、と、まさに文字通りな仕草で俺に話しかけてきたのは、三十路を少し過ぎたくらいの小柄な男だった。そう、名前の通り。

「小松、さん?」

 俺を超絶美化する文章を書き殴ってくれやがった雑誌編集者および今コンテストのオーガナイザーは、無精髭と目の下の隈でボロボロな顔を盛大にくしゃくしゃにして見せた。


「いやぁ、まさかこんなところでサブとヨンジーに会えるとは思わなかったよ。しかし、どうしてこの国にいるんだい?」

「えへへ、お忍びで、みたいな」

 ヨンジーが恥ずかしそうにしながら「あんまり言いふらすなよ」と、割と偉い人相手に敬語も使わず釘を刺す。

「ああ。ジャーナリスト的には涎が出るほど書きたいネタだが、よしておくよ」

 いよいよ三徹目だという超多忙なライブ統括者は、眠気も三周してむしろハイになっている調子で言う。

「サブ君、あの記事は読んでくれたかな」

 即席のゲスト用パスを作ってもらい、ホール内へと歩いて行きながら小松さんと話す。

「ええ、まぁ」

 歯切れの悪い返事に、このコンテストが社員として任された最初の大仕事だったという老舗ロック誌の編集者が「ライター人生をかけた文章だったんだがなぁ」と、ぼやく。

「同居人からは好評でしたよ」

 一応、フォローを入れておく。だが、やはり当事者としては、冷静に読めるものではない。ステージの目の前に辿り着くと、小松さんが俺の方を向いた。

「一度は取材を拒否された身分で言うのもなんだが、どうしてもこれだけは直接言いたかった。ありがとうございました」

 言って、深々と頭を下げる。

「あの時は、バタバタとしていてちゃんと話もできなかった。改めて、直接礼を言いたかった」

 俺は視線の持っていき場に困って、隣のヨンジーを見た。まだ照明の入っていないステージ前でも分かるほど、にっこりと笑っている。どこを向いてもむずがゆい。

「大したことじゃない」

「いや、歴史に残る名アクトだ。編集部の連中も、編集長や社長に至るまで、全員がそう言っているよ。君は絶対的に正しいことをした。それだけは胸に留めておいてくれ」

「そうだぞ、サブ!」

 ヨンジーがそう言って俺の肩を叩くと、「ちょっと遊んでくる」と、ステージに勝手に上がって走り回り出す。咎めるものはいないものの、同伴者としてせめて謝罪をしようとすると、小松さんが先に口を開いた。

「サブ君。音楽は、辞めたんだったね。それは、このコンテストで思うような結果が出なかったから―――」

「―――では、ないです」

 そこは、はっきりと言っておく必要があった。いくらもてはやしたところで、歌わなかった人間を優勝させることはできない。そこに負い目があるのなら、取り除くのが失格になった者の役目だ。

「そうか。評論家ではなく、一音楽好きとして、寂しく思う」

 それには、答えられない。

 照明の準備ができたようで、ステージに光が灯った。

 俺は光に満ちたそこを、客席から呆然と見つめていた。

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