4.増え過ぎた同居人
ヨンジーの仏壇に手を合わせる作業が終わり、改めて四人で居間に落ち着いた。シーナはレノンと一緒に二階に上がっている。
「さて、改めてだが、こいつはヨンジー。お前たちも聞いたことがあるかもしれないが、お隣の国のロックバンド・ネクサスのギターボーカルで、俺とは二年前に半年くらいの間、ナゴヤで音楽活動をする仲間同士だった。だから会うのは一年半ぶりだな。テレビでもたまに見ていたが、元気だったか?」
「うん、デビューしてからは休みが全然無かったけど、病気とかはしなかった。ヨニとヘヨンも元気だ」
「そうか、それは良かった」
口調がやや乱暴なのは生来の気質だ。俺は何とかこの口の悪い少女に丁寧な話し方を教え込もうと奮起し、敢え無く散っていった残りメンバー二人の疲れ切った顔を思い出し、少し笑った。
「ヨンジーさんは、何故この街にまた来たんですか?」
イブが聞いた。見た目年齢的にも同い年のはずだが、何故かイブはヨンジーに対して敬語だ。
「ん?まぁ、デビューしてから初めてちゃんとした長いお休みが貰えて、でも、向こうの寮生活も、何だか窮屈だったから、久しぶりにサブたちに会いたいなって思ったんだ」
「そうか、ならあとで、ライブハウスで対バンしていた連中にも会いに行こう。何日くらいいられるんだ?」
「一週間!休みは全部こっちで過ごすことにしたんだ」
随分と長い。だが、滞在が楽しみなのだろう。目を輝かせて言うヨンジーにそれを言うのは野暮と思い、質問を変える。
「泊まる場所はあるのか?」
それを聞いた途端、ヨンジーが目尻を少し下げ、縋(すが)るような視線を俺に寄越してきた。どういうことなのか察した俺は重々しく言った。
「すまないが、霧島家は今のところ満室なんだ」
「そうなのか……」
肩を落とし、明らかにしょげてしまったヨンジーに、何とか案を提示したいが、寝床はもう一杯だ。あとは俺が居間のソファで寝るくらいしか無い。
「なら、僕が一旦家を出よう。それで部屋が一つ空くだろう?サブ」
ユウが申し出た。というかこいつ、今日初めて喋ったな。
「良いのか、ユウ」
「つい勢いで出てきてしまったけど、あの部屋のものを全く処分していないしね。一週間かけて、大掃除をしておくよ」
その申し出に、最も迅速に反応したのは海外からのお客様だった。垂れていた首を、爛々と輝かせた顔と共に上げたヨンジーが立ち上がると、ちょこんと正座をしていたユウに飛び掛かっていった。
「やったぁぁぁ!!」
「ぎゃああああ!!」
女性どころか人間自体に全く免疫が無く、ここ二週間でようやくイブにも慣れてきたという塩梅のユウが、突然の身体的接触にアレルギー反応を催す。いや、他人からいきなり飛び掛かられて押し倒されたら誰だってそうなるか。
「ありがとう!!お前いい奴だな!!」
「や、やめて、そこは……いや……」
男女が畳の床の上で抱き合って寝転がっているのに、なんとなく同性同士の絡みに見えてしまうのは、中世的な顔と身体をしたユウが背負った業というところだろうか。むしろ、割と見た目はボーイッシュなヨンジーが華奢なスウェット姿の少女に頬を摺り寄せて襲い掛かっているように見えなくもない。
「ねぇ、サブ。ヨンジーさんって、結構スキンシップ激しい人だね」
イブの言葉に頷く。スキンシップといっても、肌どころか肉をぶつけてきている。俺に対してはそうでもないのだが。
―――まさか。
「おい、ヨンジー、言い忘れていたが、ユウは男だぞ」
俺の言葉に激しいスキンシップを止め、改めてユウの姿を見るヨンジー。押し倒される形でヨンジーの下になっていたユウは真っ白な顔を紅潮させ、荒い息を吐いている。紺色のスウェットが乱れて肩口と下腹が露わになってしまっていた。
「え……ええーーー!?사내아이!?」
驚きすぎて母国語がまた出ている。多分「男の子!?」と言っている。そう、男だ。
「全然分からなかった。あ、ごめんね、ええと、ユウ?」
「別に良いよ。自分でも男っぽくないのは分かっているから」
この家に来た初日の“強制女装事件”から、自らの宿命を知ったらしいユウが、達観したように淡々とヨンジーの謝罪を受け入れた。
「まぁ、とりあえず、一週間はユウの部屋で寝るということにして、だ」
心の中でユウに惜しみない賛辞と労いの言葉をかけながら、俺は話を戻す。
「ほかに何か用事があったんじゃないか?わざわざ俺のところに来たのも、俺に何かしてほしいんだろう」
デビューのこともあって、この国にいたのは一年ほどだが、知り合いは多いはずだ。ほかにも色々な選択肢があった中で俺の家を訪ねたのには理由があると思っていた。かくしてヨンジーは「察しが良いな」と言わんばかりに口角を上げた。
「用事って程じゃないけど、あたし、行きたいところがあるんだ。ナゴヤは久しぶりで、道が分からないから、案内してくれ」
「思い出巡りか?」
「何でもいいだろ。ほら、行こう」
とりあえず、といったように俺の手を取ろうとするヨンジーを、俺は制す。
「待て。その前に俺たちにはやることがある。俺たちの衣類が裏庭で助けを待っているんだ」
ユウが干そうとしたが、今は昨日まで降っていた雨のせいで泥だらけになっているらしい可哀想な洗濯物たちを救助しなければならない。それが終わってからだと言おうとした俺を遮る声が上がった。
「いいよ、サブ。ヨンジーさんに付いて行ってあげて」
声の主は、普段この手の雑事を一切やりたがらないイブだった。
「サブのことを頼って来てくれたんでしょ。じゃあちゃんと応えてあげなくちゃ。洗濯物のことは、私たちだけで十分だから―――って、きゃあ!!」
言い終える前に、イブが叫び声を上げた。ヨンジーが飛び掛かる様にしてイブの腰のあたりに抱き付いたからだ。
「ありがとうイブ!あんたも良い人だな!」
「きゃっ、よ、ヨンジーさん、ちょっとお尻触ってるよ!サブ、止めてよー!ユウ君でもいいからー!」
イブは恥ずかしそうにヨンジーを引き剥がそうとするが、“本気”を出して怪我をさせることに躊躇しているのか果たせずにいる。ユウは止めようとするでもなく、先刻まで、謎の敵愾心丸出しで食ってかかっていた少女の現金過ぎる変わり身に苦笑いだ。
「おい、ヨンジーそろそろやめろ」
「なんで?まさかこの子も!?」
どうやら、相手が女子であれば抱き付いていくというマイルールがあるらしい。
「いや、それは大丈夫だが、そろそろやめておかないと、イブがオーバーヒートする」
「Overheat?なんだそれ。機械じゃあるまいし」
機械なんだよ。と、言ってしまいそうになるのを堪えて「良いから、どこに行きたいんだ?」と訊く。ヨンジーはイブを開放すると、うふふ、と悪戯っぽく笑ってから行先を告げた。
「アートホールだ。あたしとサブの、思い出の場所」
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