2.新たな訪問者

 ―――2016年7月13日。

「おい、何を読んでいる」

「きゃああああ!!」

「うるさい。演技経験が無いのにホラー映画の主演に据えられたアイドルか。カメラに向かって叫んでいるだけで役が貰えるのは一回きりだぞ、イブ」

 背後から突然声をかけたのはまずかったと思うが、それでも甲子園のサイレンのような悲鳴を上げたイブに、俺は右手で耳を塞ぎ、左手で、後ろ髪を結んでいる後頭部を軽く叩く。

「いたっ……って、サブか。あぁ、びっくりしたぁ。もう、気配も無く近付いてこないでよ。後、ノックくらいして」

 本人のだらしなさを具現化したようにシーツがくしゃくしゃになったベッドの上で、ぺたんと膝を崩した体勢で座っていたイブが後頭部を擦りながら振り返る。

「自分の部屋に入るのにノックする必要があるのか」

 このアンドロイドと、今現在家の“家主”と格闘しているのであろう幼女との出会いから今日で十二日目であり、この部屋の所有権も完全に移りつつあったが、それでも俺はそう言った。

「今日は土曜日だ。火・木・土は昼飯までに洗濯をしてくれるんじゃなかったのか」

「あ、今すぐや―――」

「もういい、ユウがやっている」

「あう……ごめんね?」

「いや、どうせ早晩全員でやることになる」

 人間が四人も集まっているのに、全員自活能力がほとんど無いというのはなかなかに致命的で、ブルースに会い、ジョンさんと再会したあの日から今日まで俺たちは、アカネかマナミに手伝いに来て貰ったり、炊事と洗濯は何故か上手いジョンさんを呼んだりしながら、何とかやっているという次第だ。無論、その間全く音沙汰の無い仮面モグラのブルースは、イブとシーナに対する保護責任者としての責務を放棄し、我が家への家賃滞納を続けている。

「何とかしないといけないな。色々と。―――それは良いとして、何を読んでいるのかと訊いているんだ」

「ああ、これこれ。サブ、すごいじゃない。こんな私が生まれた頃からある老舗の音楽雑誌に載るなんて」

 そうか、俺が生まれた時には既に国内随一のロック誌だった『J-Rock』も三十年の歴史があるのか。などと感心している場合ではない。

「没収」

「あぁん。何すんの!せっかくサブのカッコいいところが書いてあるのに」

「会場中を変な空気にしてしまったことのどこがカッコいいんだ。現場を知らないからそんなことを言えるんだ」

 この、徹底的に俺を美化してくれてしまった文章では伝わらないが、俺の次に出演したバンドのライブは最悪の底を打っていた。絶対に俺の妙な行動のせいだと思う。

「え~、でも自分が載ってるから買ったんじゃないの?」

「編集部の人が送ってきたんだ。誰がこんなの自分から買うか」

「ああ、MCが恐ろしくしどろもどろだもんね。正確に書き起こすっていっても、もうちょっと装飾してくれたっていいのにね」

 イブの指摘通り、自分でもかなり下手糞なMCだったと思う。一対一なら何のことは無いが、大勢の前に出ると、どうしてもこうなってしまう。これは内弁慶というやつなのだろうか。恥ずかしいったらありゃしない。と、読まれたくない理由はそれもあるが、それだけではないのだ。

 俺は今でも、あの時俺がやった行為の正当性に自信を持てない。周りの人間―――シンジローさんやジョンさんらは異口同音に「良かった」と言ってくれたが、俺自身はライブの流れをぶった切ってまでやるべきだったとは、どうしても思えないのだ。

 ただ、自分が納得できないだけであって、ライターの人が記事にすることは全く問題ない。故に取材は断ったが、記事にすることは了承した。そうしたら、こうして完成した記事の載った雑誌が無料で送られてきてしまった。

「とにかく、この号はこのまま資源ごみにするか、俺の記事の部分だけを切り取ってから本棚に並べる」

「えー!勿体ないよ!むしろ記事の方をスクラップにしようよ!」

 俺の検閲行為にイブが抗議しながら俺から雑誌を奪い取ろうとする。俺はイブが取れない高さまで雑誌を掲げながら、足元の悪い部屋の中を逃げ回る。

「こらぁ!逃げるな~!」

「おい、こんな物が散乱してる部屋で暴れたら転ぶぞ」

「大丈夫!もうこの部屋の配置は頭に入ってるから!」

 どこか楽しそうにしながら俺から雑誌を奪い返そうとするイブが俺を巻き込む形で転んだのは、その発言から二秒後のことだった。

「きゃあ!!」

「言わんこっちゃない!」

 流石は稀代の高性能ポンコツアンドロイド。製作者に出会ったとき食らわせるパンチの数がまた増えた。

「いたぁ……」

 俺とイブはベッドの上に倒れこんだ。体勢は、俺が下でイブが上。逆だったら既に俺の顔は原型を留めなかっただろうが、今日は大丈夫だ。ジーンズなので、パンツが下から見えることも無い。だが、イブは顔を赤くしている。

「おい、午前中からオーバーヒートはよせ。面倒くさい」

「な、何言ってんの!そんなしょっちゅうするわけないじゃない。私はハイテクなんだから!」

 確かに、ここまで感情豊かな人工知能レベルは、最早オーバーテクノロジーといって差し支えないと思うが、どう考えてもその情緒の浮き沈みが人一倍のポンコツぶりに繋がってしまっている。

「そうか、なら早くどけ。そろそろユウが物干し竿を洗濯物と一緒に地面にぶちまけている頃だ」

 しかし、イブは俺から離れず、逆にその少しふっくらとした幼さのある顔を近づけてきた。結んだ後ろ髪の“尻尾”が垂れ下がり、俺の顔にかかる。

「おい、くすぐったいぞ」

「ちょっと待って。ふふ、ヘアピンがずれちゃってるよ。直してあげるから、動かないで」

 ポニーテールをどかしながら俺の前頭部にある黄色の髪留めに手を伸ばす。

「はぁ。早くしろ」

「はいはい。でもこれ気に入ったの?毎日付けてるね」

「付けなかったらお前が無理矢理付けに来るんだろう」

 一旦ヘアピンが外され、久しぶりに前髪が視野を狭める。イブの顔がよく見えなくなる。

「本気で嫌がったら、また新しいのを買いに行くよ」

「逃げ場無しか」

 パチッという小気味良い音がして、再び俺を見下ろす少女の顔がくっきりと見えるようになった。

「うふふ。はい、できた。割と良い顔してるんだから、ちゃんとしないとね。それに―――」

 さらに大きな瞳をぐい、と近づけて、イブが囁く。

「現場がどうとか分からないけど、私は、本当にサブのこと、カッコいいと思ったよ」

 甘い匂いがした。イブの匂いを嗅ぐのは、あの夜以来だな、と思った。

「……そうか」

「うん!」

「サブー!ユウお兄ちゃん洗濯物落としたよー!!」

「なにっ!?」

「なんだ―――グホッ!」

 大きな声と共に突然開かれたドアに反応したイブが、弾かれたように半身を起こす。そのついでに俺の胸部に思い切り両手に全体重を押し付けてきたので、思わず息が漏れる。

「あり?またプロレスごっこしてるの?」

「あああああの、これはね―――」

 沸騰したヤカンのようなイブは無視する。

「ああそうだよ。イブの一ラウンドフォール勝ちだ。参ったからどいてくれ、イブ。おい、聞いているのか」

 涼しそうなワンピース姿で、何故かレノンを頭の上に乗せているシーナが見る人によっては性的な体勢を想起させる男女二人をそう言ったので、同意する。下からイブを見上げると、シーナの方を向いたまま固まっていて、どうやら自称ハイテクアンドロイドはまたオーバーヒートを起こしている。排気系統に重篤な欠陥があるのだと確信し、製作者を絶対にとっちめてやると誓う。

「し、シーナ、これはね、違うの。ちょっとだけふざけてて―――ちょ、バカ!どこ触ってんの!動かないで!」

「うるさい。高性能なアンドロイドは重たいんだ」

 俺はイブの手をどかすため、彼女の二の腕辺りを掴んでいた。肌の感触は同世代の少女と同じような柔らかさなのに、なんでこんなに力と重量だけはあるのだと思う。設計として、痒いところに手が届いていない。

「あー、シーナ、悪いが先に行ってユウを助けに言ってやってくれ。俺もすぐに向かう」

「はーい!行くよ、レノン―――あれ?何の音?」

 聞きなれない電子音にシーナが首を傾げる。滅多に鳴らない玄関のチャイムの音だ。ここに来る人間はチャイムなど鳴らさず、ノックも無しに入ってくる気の置けない連中ばかりなので、純粋な意味での来客は珍しい。

「はいはーい!ちょっと待っててくださーい」

「おい、イブ、待て―――グホォッ!!」

 まだ少し平常心を失っているイブが、勢いよく立ち上がり、俺の腹を踏みつけて一階に降りていく。

 内臓のどれかが駄目になったかもしれない。ベッドの上で、プロレスでもやらないであろう本気のストンピングの苦しみに身悶えていると、急に視界が純白に染まった。

「サブ、大丈夫?」

 それが、シーナがしゃがみこんだことで見えたパンツの色だと分かった瞬間、俺は痛みを倫理観で消し去る術を一瞬にして会得し、立ち上がった。シーナの頭―――の上に乗ったレノンを撫でながら言う。

「ああ、大丈夫だ。レノンの弱点は人の頭の上だったようだな。貴重な情報をありがとうシーナ。さぁ、来客の応対をするか」

 白いパンツの持ち主の頭上で、無抵抗の猫が俺に咎めるような目を向けてきたことに関しては、何かの間違いだという風に償却し、俺は何かを振り払うように部屋を出た。

「胃の中身どころか、胃がそのまま出てくるかと思ったぞ」

 ぶつぶつと愚痴を吐きつつ、訪ねてきた人物について憶測を巡らせる。電気・水道・ガス・電話代は一応まだ滞りなく払えているし、ほとんど一日中シーナがその身柄を拘束しているおかげで、脱走したレノンがそこらの車に引っ掻き傷をつけたなんてことも無い。

 と、いうことはここ一週間音沙汰の無い“根本”関連の使者でも来たか。そうなると、こちらも緊張感を高めないといけない。

 さまざまなことを考えながら一階に下りていくと、玄関に出ていたイブが不安そうな表情を貼り付かせてこちらに寄ってきた。

「どうした?」

「サブ、お客さんなんだけど、なんかちょっと怖い。私が挨拶しても一言も喋らないし、なんか、外国人みたい」

 靴を履き、二人で家の外に出ながら小声で話す。

「外国人?そういえばお前、この国の言葉しか喋れないんだな。高性能アンドロイドの癖に」

「うるさいな!」

 言語は一種類、知能指数も人並み以下で、すぐに怒って暴力を振るうときている。本当に痒いところに手が届かない。

「バカなのに力だけは強い。アラレちゃんか」

「うるさいわ!!」

「―――ゴホン」

 俺たちの喧々諤々のやり取りを遮るように咳払いが聞こえた。来客を無視していたことに気付いた俺は、改めて『少し怖い外国人っぽい人間』に向き直る。

「ああ、すまないな、なにか―――」

 そして、身体が硬直した。口を開いたまま、動けなくなってしまった。そんな、まさか。という言葉が頭の中を空転し、収まりどころが見つからない。

 来訪者は、キャリーケースを携えた、今年で18歳になるはずのアジア系の少女だった。人形のような顔にあるキッとした勝気そうな目も、ショートボブの髪に赤いメッシュが入っているのも、初めて会ったときと変わらない。

「ユウお兄ちゃんとお茶準備したよ~。あり?サブ、このお姉さんはどなた?」

 猫が栗毛の上に乗っているせいで足元をフラフラとさせながらやってきたシーナが、固まったままの俺に訊く。ごめんシーナ、俺は暫く口が聞けないから答えられない。あと、レノンを下ろしてやれ。いい加減へたばってきている。

「あの、どなたでしょうか?この家に、何か御用ですか?」

 落ち着いたイブの問いかけに、何故か少しむすっとした表情を浮かべた少女が動いた。俺の傍らにいるイブを刺すように一瞥すると、左手をキャリーケースから離し、俺の顔へと持って来た。

「いててててて!」

 ギターを弾く者特有の、ざらついた指先の感触を額に感じた次の瞬間、俺の視界は玄関先のアスファルトを捉えた。少女が俺の長い前髪を止めているヘアピンに手を伸ばし、思い切り引っ張ったからだ。頭皮と毛根へ甚大なダメージを与える暴力に、俺は抵抗するが、目標が視認できず、苦戦する。

「やめろ!ヨンジー!やめろクマントゥラ!」

 自分の母国語と彼女の国の言葉で抗議する俺に答え、少女が手を離してくれた。

「ああ~、痛かった。全く、やっぱりそっちの国で暮らすと“猟奇的”になるのかヨンジー」

 彼女の国で作られたヒット作(多分)を引き合いに出した冗談は全く受けない。そして、隣国のスターロックバンド『ネクサス』のボーカル&ギターであるヨンジーは、以前と比べて流暢になった言葉遣いで、俺にこう言った。

「サブ、なんでほかの女がいるの?ぶっ殺すよ」

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