第五話 Re:Re:Re: リ・リ・リ

1.名アクト

≪『今年もやってきた『ユースロックコンテスト』の季節に寄せて~僕のロックが死にかけた日と、それを救ってくれたあるミュージシャンの勇気ある“名アクト”』


 2014年7月14日。ナゴヤアートホール。

 ただ一点を見つめる双眸は長い前髪に隠れ、その表情の全貌を窺い知ることはできなかったが、ギターも持たず五百人のオーディエンスが集う『ユースロックコンテスト』東海地方大会のステージに立った彼からは、明確な“怒り”を感じた。

 その視線の先にいたのは、隣国からの留学生バンドとして出場したスリーピースガールズバンド『ネクサス』に向かって「在日は出ていけ!」「チョンは全員死ね!」との言葉を発した集団か、若しくは、運営側の人間としてレイシズム丸出しの発言をする差別主義者を放置してしまった、これを書いている僕かも知れない。

 これから書くのは、僕が自分のロック人生で最大の汚点となった日の、いわば“恥”の物語であり、それを咎め、正しい道を選ばせてくれた、一人の少年ロックミュージシャンとの出会いの物語だ。


 誰もが生きる人生というステージは、選択と妥協と諦めの連続だ。常に正しい道ばかりを選べないし、相手に合わせて折り合いをつけなければならないことも当然ある。

 しかし、ここで退いてはならないという鉄火場もまた、多くあるのだ。「退くな」という魂の指令を忠実に遂行できるものを、僕らはロッカーと呼び、彼ら/彼女らの音楽をロックと呼ぶ。


 僕も、そういう風に生きていると思っていた。あの日までは。


 ネクサスがステージに立つと、ボーカル&ギターのヨンジーが自分たちの自己紹介を始めた。

「私たちはナゴヤの高校で勉強している交換留学生です。この国で思い出を一つでも多く作りたくて参加しました。皆さんも楽しんでいってください。よろしくお願いします」

 と、いうようなことを、まだあまり流暢ではない発音で話し、一曲目に入った。

 そして、二曲目を演奏までのわずかな合間に、先述した罵声が四つ上がった。個人的に、文字に起こすことも憚られるが、もう一度、正確に書いておくと

「在日(彼女たちは留学生であるので、この呼び名は間違い)は引っ込め」

「チョン(ネット上での蔑称)は死ね」

「ツリ目のキムチ女が歌ってんじゃねぇよ」

「犬食い民族は滅びろ、カスが」

 と、いうものであった。

 こうした発言は総じて芸が無く、人間の言葉というよりは発情した猿の喚き声のように知性が見られず、下品且つ野蛮であるが故にストレートに対象を傷つける。

 三人とも、よく耐えたと思う。今では本国及び海外でスーパースターの階段を着実に上る彼女たちも、当時まだ15、6歳。突如として理不尽に向けられた謂われなき差別と怨念のこもった声に、“無視”という手段で立ち向かったネクサスの三人には深い謝罪と、惜しみない賛辞を贈る。

 しかし、これは本当に痛恨だが、それによって、僕も安心してしまったのだ。一瞬、不適切な発言を聞いたことで緊張が走ったが、それに彼女たちが“大人の対応”を見せ、憎悪が拡散していく様子が無いことに僕は安堵してしまった。そして、愚かにもオンタイムでライヴを進行ために、排外主義者たちに向けるべき矛を収めてしまった。

 そして、ネクサスの次。ギター一本で歌うシンガーなのに、アコースティックギターを持たずステージに上がる=ここでのアクトを明確に拒否する姿勢を見せた彼の視線にさらされた時、僕は自分を猛烈に恥じた。

 彼の目は、やはり僕を射抜いていたのだと思う。そしてこう言っていた。

「あんたは、“あれ”を無かったことにする気か」

 と。


 黒のジーンズに白のTシャツという、本当にそれだけの出で立ちで現れた痩せ型の少年に対し異様さを感じ始めた観客たちに、彼は口を開いた。彼本来の性格なのであろう緊張しいなところも見せながら語ったその全てを、録音したレコーダーを再生しながら、できる限り正確に書き起こしたいと思う。


「ええと……すみません。あの……俺は、ここでは歌えません。ごめんなさい。

 理由は、ええーっと……ここは、音楽を鳴らす場所だから……まぁ、政治的な事とかを主張しても良いとは思うけど、それは、ステージに上がってすることだと思う。こんな、何人いるか分かんないですけど、誰が言ったか分かんないようなところから言うのは、違うと思うし。……うん、そうだ。音楽を聴きに来ていない人たちがいる場所で、俺は歌えません。それが理由です。はい。

 ネクサスの人たちが外国人だとか、この大会に関係ない……ですよね?18歳以下なら誰でも大丈夫って募集要項にあったと思うし。(会場の数人の観客が頷き)うん、そうだよね。国籍も関係ない。ありがとうございます。

 ……誰が言ったのか分かんないし、誰が言ったか犯人捜しなんてどうでもいいけど、ああいうことを無視して、俺がここで普通に、知らん顔して歌ってしまったら、きっと、俺は俺を許せないし……違うな。そんなんじゃない……。

 ……(一分ほどの沈黙)。スクリームキャッツってバンド、知ってますか。俺、そのボーカルの佐倉恭介さんに憧れて音楽始めたんですけど、あの人みたいになりたいなと思ってて、もう死んじゃったんですけど、もし佐倉さんが生きてて、自分の前のステージであんなことがあったら、きっとこうするだろうなと思ったから。

 すごく勝手だし、せっかくここまで来てくれた人たちにも申し訳ないんですけど、俺は、ここでは歌えません。

 あと、ネクサスの人たちも、ごめんなさい。せっかく留学してまで来てくれたのに、嫌な思いさせて、でも……俺はネクサスの曲、すごく良かったと思うし。……そうだったでしょ(会場から拍手)。うん、数の話じゃないかもしれないけど、ここにいるほとんどの人はネクサスの音楽を好きになったと思う。だから、自分たちの演ったことには、自信を持って欲しいな。俺なんかはほら、予選のネット投票で上位の人たちに不正があったとか、県大会を勝ち上がった人が体調不良になったとかで、訳分かんない間にここまで来ちゃっただけだけど、ネクサスは違うから。

 ええと……もう時間がヤバいかな。主催者の方々には、申し訳ないです。みんなも、変な時間にしちゃってごめん。黙って辞退しても良かったけど、どうしても話しておきたかったから。あー……ごめんなさい、ありがとうございました」


 ―――万雷の拍手の中、申し訳なさそうに背を丸めながらステージから下がっていった彼が守ったものは、あまりにも多いと僕は思う。この国のロック音楽の矜持。そして、異国のバンドにもたらされかけたこの国への失望を、ギリギリで取り除いた。


 その後の顛末は読者の皆さんも知っての通り、ネクサスは東海大会のオーディエンス投票と審査員投票で最多の得票数を獲得し、そのままの勢いで進出した全国大会も優勝。そして本国でメジャーデビューし、今年はこちらでも活動することが決まっている。

 一つ、野暮なことを書かせて頂くと、僕は、ネクサスのシンデレラストーリーの裏に、ある勇気あるロックミュージシャンの“名アクト”という後押しがあったと確信している。


 さて、紹介が遅れてしまった。僕とロックを救ってくれたミュージシャン。


 霧島三郎きりしまさぶろう


 急逝した天才アーティスト佐倉恭介の、まさにロックそのものを体現していた精神を受け継いだ、今はまだ無名のシンガーソングライターである。

 この原稿を書く前、僕は霧島に取材の依頼をしたが、叶わなかった。なので、最後に、どうしても本人の目を見て伝えたかったことを書いておく。彼が読んでくれていたら幸いだ。


 霧島三郎様。

 あなたのおかげで、僕のロックは死なず、今年の『ユースロックコンテスト』も無事、開催されます。顔の見えない物陰からでしか罵詈雑言を浴びせられない卑怯者たちにも、厳正に対処します。本当にありがとうございました。


 音楽雑誌『J-Rock』編集部 小松幸助 


 そして、全国のユースロッカーの皆さん。『ユースロックコンテスト』は三回目を迎え、無事開催できることになりました。是非、今年もその若さと青春のパワーを音に込めてぶつけてきてください。出場条件は18歳以下であるということだけ。性別・国籍・人種・その他諸々は一切問いません。各予選会場でお待ちしています。≫

(『J-Rock』Vol.367より抜粋。)

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