9.プレゼント
「ほう……」
二階の六畳間を開けると、俺は冷淡な目で部屋を見渡した。
掃除はしていない上に、大変好き勝手に俺の部屋が使われていることが分かる。ベッドはぐしゃぐしゃ、服は脱ぎっぱなし、あれはまさかパンツか―――それは見なかったことにして、パソコンが置いてある机の上には戸棚のスナック菓子が散乱している。
さらによく見ると、ベッドの位置が少し変わっていた。どうやらイブが“何か”を見つけようとしたらしいが、生憎とエロ物件はその手の機械に疎い祖母対策の名残で、HDDに鍵付きで保存してある。アンドロイド女子高生と不死の幼女にそんなものを見せる愚を冒して部屋を明け渡すと思ったのか。
ギターをケースに入れ、改めて部屋を見る。
ぐっちゃぐちゃにしてくれたイブのお蔭で、多少は殺風景さが解消されたような気がする。アンプや高性能のマイク、作曲用MIDIキーボード、路上用の立て看板やフライヤーを印刷するための大き目のプリンターなど、音楽活動をするために買い集めたものは四月の“音楽活動引退ライブ”の翌日にほとんど処分、売却した。勉強の為にと買い集めた輸入盤CDなども、全て個人用のクラウドに突っ込んで売り払うと、残ったのはパソコンとベッド、それに今手に持っているアコースティックギターだけとなった。八万円のレスポールも投げ売りされていたベースも手放せたのに、中学の時溜めこんでいたお年玉を全部崩した買った六万円―――本来は七万円のところを値引きしてもらった―――のこれだけはどうしてもだめだった。
そして、中途半端に辞めて、未練がましく歌い続けている。ジョンさんの言う通りだ。腹を括れていない。
「……はぁ」
俺は妙な倦怠感を感じ、ベッドの上に座った。精神的に疲弊しているのだろうか。
『君の人生には、誰が必要なんだい?』
ジョンさんの言葉が思い出される。俺に必要だったものは―――
『なっちゃん。今日は天気が良いから、外で遊ぼうよ』
『……うん。でも、やっぱりちょっと怖いな』
『大丈夫だよ。俺が、ずっと手を繋いでいてあげるから』
“なっちゃん”との、最後の会話を思い出してしまう―――きっと、あの歌、“夏籠”を歌ったからだ。
『いつだって、『自分じゃあなくても良い』と思ってる。自分にしかできない、自分しかいないんだと腹を括れない。受け入れる度量があるのに、受け入れさせようとしない。それが君の弱点だよ』
ジョンさんの言う通り、俺は他人と繋がることを怖がって、逃げている。それはきっと、あの日から始まっている。
ベッドに腰掛け、しばし物思いにふけっていたところに、どたどたと誰かが二階に駆け上がってきた。
「さ、サブ、ごめんね。掃除はしたかったんだけど、レノンが占拠しててね―――」
イブだ。どうやら自分たちの悪行が露見することに気付いてやって来たらしい。だが、俺は生憎と小狡い責任転嫁をする少女に良い反応が返せない精神状態だった。
「あれ?どうしたの?怒らないの?」
「ん、そうだな。」
生返事をする俺に、イブが困惑と心配がないまぜになった表情で近づいてくる。
「隣、座っていい?」
「ああ」
右隣にイブがそっと座る。2.5人分の体重を引き受けたスプリングが、少し揺れる。
「今日、ずっと外に出てたけど、何かあったの?」
「いや、特に何もなかったが、色々考え事があって、少し疲れた」
「私たちのこと?」
「それもあるが、ほとんど自分のことだ」
正面を向いたまま喋る。イブはどんな表情をしているのだろうか。確認したいが、如何せん身体が重い。
「そうなんだ。あのね、私たち、結局、格安の家賃も全然払えてないし、掃除も―――やろうと思ったけどできてないし、お世話になってばっかりだし」
やろうと思ったのかは疑わしいところだが、それ以外については概ねどうでもいい。
「邪魔ならすぐにでも叩き出しているさ。いざとなればお前の食費を削ればいい」
「酷くない!?」
「食べなくても大丈夫なんだろう」
話しているうちに、どんどん力が抜けて行ってしまった。どうやら自分で思っている以上に疲れているらしく、イブの肩にもたれかかってしまった。
「そりゃそうだけど―――って、どうしたの、サブ!?」
イブが慌てるが、身体がいうことを聞かない。首筋から甘い匂いがする。イブの匂いだ。
「あの歌のことなんだが―――」
ほとんど眠っているような精神状態で、気が付くと口走っていた。理性が黙らせようと奮闘するが、身体は言うことを聞かない。
「あの歌って、さっき歌っていた“夏籠”のこと?」
何故かオーバーヒートも鉄拳が振り回されることもなく、イブはおとなしく俺に肩を貸してくれていた。
「十年前―――」
そんな、誰かにもたれかかった安心感のままに、俺は喋ってしまった。
「俺は、友達を一人、殺したんだ」
「え?」
言ってしまった後で、はっと気づいてベッドから立ち上がった。
「ねぇ、サブ、どういうことなの?」
「何でもない。忘れろ」
この話をするのはまずい、そう思って、足早に部屋から出ようとすると、イブに服の裾を掴まれた。
「待って」
「なんだ?」
俺が振り返ると、イブはもう目前に迫ってきていた。いつかと同じように、白くきめ細かな肌が触れ合うほど顔を近づけてくる。
「動かないでね」
その言葉に妙な呪詛の力でも宿っているのか、俺は動けないでいた。イブが俺の髪を結んでいたゴムを解き、代わりに何かをつけた。パチッ、という音がして、俺は前髪に圧迫感を感じた。
「うん。これで良し。いつまでもそんなちょんまげじゃカッコ悪いと思って、ヘアピン、買ってきたの。エプロンは、ついで」
ふふっ、と、イブが満足気に顔を綻ばせる。俺は、以前よりきつく留められた前髪を撫でた。
「何も訊かないけど、辛くなったら、いつでも言ってね。何もできないかもしれないけど」
そう言って照れ笑いするイブは、俺の額に手を触れた。
「えへへ。おでこ丸出しだね。こっちの方が似合うよ、サブは」
「そうか」
「あんなエッチなゲームの主人公みたいになってるよりずっといいよ。自分の顔に自信無いの?」
「そういうわけじゃないが、なんというか、視界が隠れていた方が、落ち着くな」
なんで一応見た目年齢は17歳のお前が18禁ゲームの主人公について知っているんだ、と訊きたかったが、それは止めておく。
「ふふ。私みたいに可愛いアイドルに見つめられると照れちゃうんだ」
「そうだな。お前も中身はともかく、顔だけはアイドルらしい可愛い顔だからな」
そう言った瞬間、イブが押し黙った。俺はどうしたのかと思い、イブの泳ぎ出した目を覗き込むと、身を引いて俺の脇をすり抜けて行った。
「じゃ、じゃあ、また洗い物の続き、してくるから!へ、部屋は明日絶対に掃除するからー!!」
足早に部屋から出て行ってしまった。どうしたのだろう。俺が黙ってじっと見つめていたのが気まずかったのだろうか。
さて、と、俺は少し伸びをすると、今日のユウの寝床を作るべく、もう一つの客間に向かった。ヘアピンのおかげか、眠気は少し覚めていた。
そして、今夜は“あの夢”を見なかった。
[第四話 アライブ・オワ・デッド, ラヴ・アンド・ピース]終
続く
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