8.ライブ

 夕食が終わった。さて、今日は疲れたし早めに寝るか、と思った矢先、ユウがとんでもないことを言い出した。

「久しぶりに、サブの歌が聴きたいな」

「は!?」

「え?何々、何かするの?」

「サブ~、レノンいたよ~」

 話を聞きつけた例のエプロン姿で片づけをしていたイブが、洗い物をほっぽり出してやってきた。シーナも、どこからか捕まえてきたレノンを抱きながら居間に現れる。

「おい、ユウ。何を言ってくれるんだ」

「良いじゃないか。この家の隣は駐車場で、近所迷惑にもならないんだし」

「そうは言ってもな」

 正直、今日は全く歌う気分ではないのだ。俺があれやこれやとごねていると、しびれを切らしたようにイブが声を上げた。

「シーナ!」

「はいっ!」

 イブからの鋭い声に敬礼をせんばかりに弾んだ声で返答するシーナ。

「サブの部屋からギターを持ってきて、あの部屋の隅っこに立てかけられてたやつ」

「はーい!」

 床を素足でペタペタと鳴らしながらシーナが元気よく俺の部屋へと駆け出していった。俺は慌てる。

「おい待て!誰もやるとは言ってないぞ」

「良いじゃない。減るもんじゃないんだしさ。ねぇ、ユウ君も聴きたいよね」

「あ、はい……」

 まだイブに対しては警戒心を解けていない様子のユウも、半ば流されるように返事をする。もうどうにでもなれという気持ちで俺は立ち上がった。軽く伸びをしながら唇をプルプルと震わせる。歌うにも準備運動がいるのだ。


 親指と人差し指に挟まれたピックが、少々複雑なアルペジオを奏でる。目を閉じて耳を澄ますように聴くユウが静かに言う。

「“夏籠”だね。好きな曲だよ」

 座布団の上で胡坐を掻いて歌うには少し雰囲気が違うミディアムな曲だったが、俺は構わず歌い出す。

≪木目の階段を上って二つ目の部屋

純白のカーテンにくるまって笑う黒い髪


「見ぃつけた」「見つかった」七度目の夏

穏やかな二時の日差し いつまでも続いてく気がして


触れる君の震える手を強く引いた 儚い青い空の下に連れ出したくて

君がいたあの場所は鳥籠のようで 閉じた窓 開け放って カーテンは揺れ出した≫

(Ⓒ霧島三郎『夏籠』)https://www.youtube.com/watch?v=5wGHmy88Kww


 歌い終わった後は、いつもそうだが、何をしたらいいのか分からない。気の利いたMCもできないし、歌に乗せて全て吐き出してしまうように、頭が真っ白になってしまう。ライブハウスで演るときも、最初に自己紹介をしたらひたすら歌い続けて、逃げるようにステージから降りていた。

「やっぱり、何か落ち着くね、サブの歌は」

 座布団の上に胡坐を掻き、目を閉じて聴いていたユウが感想を述べる。

「話し声は普通だけど、歌声は結構低いんだね」

 改めて論評されるのは恥ずかしくていけない。俺はイブに「やめろ、何も言うな」と言ってやめさせる。

「悲しい歌」

 少し沈んだような表情でシーナが呟く。歌詞の意味などよく分かっていないだろうが、この歌の本質を的確に表した言葉だ。俺は羽毛のような栗毛頭を撫でてやる。

「ねぇ、ほかには無いの?」

 またおかしなリビドーを刺激してしまったのか、目を輝かせているイブが訊いてくる。

「俺なんかの曲で良ければ、二階のパソコンに二十曲ほど入ってる。好きに聴いていいぞ」

「そうじゃなくて、直接歌って聴かせてよ」

 蛙のように飛び跳ねながらこちらに身を寄せてきたイブに催促され、俺は面倒くさいと思いながらも了解した。

「分かった分かった。また今度な」

 もう、今日はそんな気力が無い。

「ねぇ、サブは歌手になるの?」

 俺の手を頭に乗せたシーナが朴訥とした様子で訊いてくるので、俺は苦笑を表に出さずに返答する。

「もうその道は諦めた」

 それを聞いたシーナは丸い目を剥いて驚く。

「えー!?でもお仕事もしてないし、毎日どこかにブラブラ出かけてばっかりだし、料理もほとんどできないのに夢も諦めちゃっていいの?」

「……」

 ああ、この純粋で軽率な言葉が全国の俺みたいな連中の心を抉るんだろうな、と思う。

「それに―――」

 と、頭に乗った俺の手の甲に自分の手を添えるシーナ。小さな掌の感触が伝わる。

「なんでそんなに辛そうなの?」

 シーナの声が届いた瞬間、脳が掻き混ぜられたかのように視界が揺れた。シーナの顔に、違う人間の顔が重なり、慌ててシーナの頭から手を離し、目を逸らした。瞬間、視界が揺れた。

「どうしたの!?」

「いや、何でもない。ギター、片付けてくる」

 そう言い残すと、怪訝な顔の同居人たちには構わず、ギターを持って居間を出て行った。

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