7.食卓2
夕飯の時刻だ。流石に今日は餃子ではない。俺は買い物袋を開け、手早く調理を開始する。
「カネモトに『ビビンバの素』というのがあったから、それを試してみようと思ってな」
「ビビンバ?」
相変わらず、食べたことが無いらしいシーナがキッチンからかなり離れたところで訊いてくる。包丁が刺さったことが堪えているらしい。
「すぐにできるさ。少し待っていろ」
作り方はパッケージの裏に書いてあるので簡単だ。十分ほどでモヤシやら菜っ葉やら安いキムチやら、とりあえず“ビビンバっぽいもの”をドカドカと入れた丼(どんぶり)が出来上がった。
「ボクも手伝おうか?」
「いや、大丈夫だ、ユウ―――」
言って、振り返った瞬間、俺は絶句する。ピンク色の、フリルのついたエプロンを着けたユウが立っていたからだ。
「いやぁ、せっかく買ってきたから、着けなきゃ損じゃない?」
悪びれる風でもないイブの頭を、持っていた木製のヘラでぶん殴る。
「こんなどうでもいいもの買いに、掃除もサボってわざわざサカエまで買い出しに行ったのか、お前」
前髪のちょんまげをイブに押し付けるようにしながら詰問する。
「い、いやん、くすぐったいよ、サブ。……これは、ちょっとしたおまけで―――」
「もういい。今日は怒るのも面倒なほど疲れてる。俺が渡したお小遣いを変なものに使ったのも不問にしてやろう。飯にしよう」
夕飯を並べ、席に着いた。上座には俺。向かいにイブ。その隣にシーナが座り、どうやら完全にイブが苦手になってしまったらしいユウは俺の隣で静かに座している。
「それじゃあ、食べよう」
住人が増えたが、特に乾杯などというテンションでもない。俺は淡々というとシーナが嬉しそうに「いただきまーす」と言って、それを合図に食事が始まった。
「生卵かけるか?」
「あ、うん。もらう。シーナも欲しい?ユウ君は―――」
「こいつは卵アレルギーだ。だから最初からかけなかった」
「そうなんだ。よく知ってるね」
「もう一人の弟みたいなものだからな。なぁ、ユウ」
「う……うん」
ビビンバを食べるのに箸にするかスプーンにするか迷っている様子のユウを見て思う。これはイブが苦手というより、こういう状況になれていないと見るべきだろう。緊張してしまっているのだ。
「ユウお兄ちゃん、はいこれ」
シーナが嬉しそうに笑いながらお茶を注いでユウに渡す。
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして~」
未だ乳歯の残っている白い歯をむき出しにしてコロコロと笑っているシーナに、ユウが尋ねる。
「なんで、そんなに楽しそうなんだい?」
「え?だって、みんなで食べると美味しくなるんだよ?ねぇ、サブ」
昨夜の餃子のことか。俺は頷く。
「そうだな。それに、食卓が暗くなるとイブが怒り出す」
水を向けられたイブは、案の定膨れる。
「そんなことないよ!」
「ほら、怒ってる~!」
「怒ってないもん。ほらシーナ、あんまりからかうとくすぐっちゃうよ~」
「いや~!」
キャッキャッと戯れだす“子供”二人を俺が母親よろしくたしなめる。
「お食事中は静かにしなさい」
「はい!」
「はいはい」
「イブ、“はい”は一回だ」
「……ふふ」
隣で、ユウが微笑んだ。
「サブ、失楽園も悪くないかもしれないね」
「―――そうか」
そうして、食事前の騒ぎが一段落し、いざビビンバに取り掛かる。箸でグシャグシャと丼を掻き混ぜ、具材と辛味を含んだ味噌と生卵が絡んだ飯を口に放り込む。最初にモヤシの歯ごたえを感じ、次に濃い卵黄と白米が程よい辛味と共に舌に伝わる。
「なんか、滅茶苦茶辛くない?」
しかし、一口食べたイブが顔をしかめる。
「そうか?こんなものだろう」
とはいえ、確かに俺が初めて食べたビビンバは、所謂“本場”の味だったことを思い出す。こちらで出す物はもう少しマイルドなのだろう。辛味スパイスを抑えた方が良かったかと反省する。だが―――
「うん。そんなに辛くないよ」
なんの痛痒も無い様子でパクパクと食べ進めるシーナの言葉に、イブが「ええ!?」と、驚く。
「うん、それほどでも……」
横で食べ始めたユウも同様だ。イブが憔悴したように俺に目配せする。
「舌が敏感なんだろう、きっと」
とりあえず、そうフォローを入れておく。
「なんでだろうなぁ。本来は別に食べる必要はないのに」
イブは痺れているらしい舌をひぃひぃ言わせながら食べ進める。完全に人造のアンドロイドが一番味覚―――辛味は痛覚だったか―――に敏感とは、面白いものだと思った。
「ユウお兄ちゃん、美味しい?」
「ん?……うん、まぁ」
「あたしも~」
隣では生来の人見知りを存分に発揮しているユウが、向かい合った天真爛漫の塊たるシーナと、とりあえず楽しそうに喋っている。どうやら新しい同居人とは上手くやれそうだ。
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