6.ユウ


 七月に入り、じりじりと暮れ落ちるのを粘るようになってきた空も流石に暗闇を迎え入れた頃、俺は同居人が三人と一匹に増えた我が家の前に戻ってきた。

「……はぁ」

 ひょんなことから朝風呂と相成った80階建ての高層ビルに始まり、病院で幼馴染の犯した悪行を暴き、宗教の手が入ったカフェのアメリカンコーヒーを啜り、マンホールチルドレンの巣窟ではアノニマスかVフォーヴェンデッタ被れの仮面男と口喧嘩、それが終わると駅前の路上でオッサンの説教を聞いて、将来有望なミュージシャンの歌を聴くという今日の道程を思い返し、ため息を一つ吐く。

 思った以上に疲れる一日だった。カナヤマから市バスに乗り、最寄りのバス停で降り、家の近くのスーパー『カネモト』で買い物をしてから帰宅したのは午後七時の少し前だったが、足が重い。あまり運動をする方でもないので、当然ともいえる。

「帰ったぞ、イブ、シーナ、あと、ユウ」

 いつもの如く素早くドアを開け閉めするが、年中無休で脱走の時を伺っているはずのレノンはやってこない。その代わり、何やら居間の方で騒ぎになっている。俺はブルースとの会話を思い出し、手に持っていたビニール袋を落とすと、急いで現場へと向かう。

「どうした―――おい、何をやっている」

 何が起こったのかを確認すると、自分でもよく分かる弛緩しきった声で同居人たちに事の経緯を訊いた。

 頼んでおいた掃除はなされておらず、部屋は散らかっていた。まぁ、何も期待してはいなかったからそれは良いとして、それ以外についてだ。

「あ、お帰りサブ。いやぁ、急に可愛い男の子が「しばらくここに住みます」って言って来ちゃったら、なんていうか、リビドー?的なものがほとばしっちゃって」

 アンドロイドにそんな欲望リビドーを搭載した作成者を絶対にぶん殴ると強く誓ってから、再び惨劇の間を見渡す。憐れにもイブが着ていた女子高生用ブレザーを着させられ、的確な化粧を施されたユウは、元々が女形のように中世的で整った顔立ちだということもあって、初対面なら完全に女と見間違う程になってしまっている。だが男である。

「ユウお兄ちゃん、可愛いねぇ」

「はは、そりゃ、どうも」

 ユウは何か大切なものが壊れてしまったのか、相変わらず何故かおとなしいレノンを抱いているシーナの、無邪気且つ弱った心に止めを刺す言葉にも無感動に返答している。

「はぁ~、いいなぁ。こんな可愛い“妹”欲しかったなぁ。ねぇユウ君、この家にいる間はその格好でいてくれない?」

 我が世の春とばかりに恍惚としたイブのセリフに、ユウがいよいよ泣きそうな顔でこちらを見てきた。分かった、分かったからそんな保健所の子犬のような目を向けないでくれ。

「イブ、分かっているとは思うが、そいつは男だ。そしてその格好は、ユウの男児たるプライドをズタズタにしてしまう狂気の服装だ。どうか、その辺で終わりにしてやってほしい」

 その話を聞いたイブは、暫く訝しげな目でこちらを見ていたが、ややあって「ん」と、頷いてくれた。

「メイド服とかも着せたいと思ってたのにな。残念」

 どこから調達してくるつもりだったのか少し興味が湧いたが、碌なことにならなさそうだったので黙っておく。

「サブ」

 FXトレードで全財産失った上に元本割れで借金まで背負わされたかの如き呆然とした声色で、ユウが俺に話しかける。

「どうした、ユウ。カウンセラーを呼ぶか?」

「いや、それは良いんだ。ただ、アダムボクきみを一生許さないと思うよ」

 幽鬼のような表情でそう言われては、何も言い返せない。俺はただ謝る。

「うん。ウチのイブがすまなかった」

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