2.ブルース

「初めまして、“根本”のブルースさん。俺は霧島三郎。いきなりで恐縮だが、初対面の人間に綺麗な舌打ちをかますお宅の教育方針に異議を唱えたい」

 両手をステッキの上に乗せ、その手の甲に顎を乗せている体勢のブルースが、静かに喉を鳴らす。どうやら笑っているらしい。

「君は面白いな。相手が暴力団の幹部であってもカルト宗教団体の会員であっても構わず、正面きって冗談と皮肉を飛ばす。親からそうして躾けられたのかな」

「少し古い映画が好きで、それを見させられたからかな。お気に入りはセガールの『沈黙』シリーズと『ダイ・ハード』だ」

「そうか。ようこそ若きマクレーン刑事。ここが、君の仲間である“野良猫”が集う“根本”の緊急避難場所だよ。よく見つけたね。やはり、“監視員”を味方に付けているだけはある」

 ガイ・フォークスの面を被った地下の支配者は、余裕を崩さず、俺の素性と、ここに来るまでの動きを知っていることを遠まわしに伝えてきた。

「そこまで知っているなら、用件は言わなくても分かるだろう。そちらのお子さんをお返しに来た。家賃はモンプチ三つ分二百四十円。シーナの分はまけておいてやるから、それだけ耳を揃えて払ってもらおう」

 反応が無い。庭園には小鳥が巣を作っているのか、鳴き声が聞こえてきた。俺は足元の小石を拾ってキイに「眠っていないか確かめていいか」と訊いた。

「ちょ、ダメだよ。起きてるよ……多分」

 慌てて俺を静止したキイの言った通り、ブルースは起きていた。何事か考えをまとめたらしい様子で、こう言った。

「すまないが、もうしばらく君の家に居させてやってほしい。我々は今、身動きが取れないでいる。君はまだ敵にマークされていない。安全だ」

 くぐもった声で保護期間の延長を願い出てきた。俺は眉間に皺を寄せて反論する。

「ばれるのは時間の問題だ。いずれプライベートエデンの連中も嗅ぎ付ける。待っていれば、何か策があるのか」

「ああ。だからもうしばらく匿ってやってほしい。二人は“全ての鍵”だ。失うわけにはいかない」

「二人、か。シーナだけでなく、イブも重要だと」

「そうだ。どちらが欠けても、こちらの負けだ」

 ブルースが、ステッキをより一層強く握ったように見えた。

「負け、とは何だ?誰に負ける?」

「この街に根を張った悪魔に、だ。ここ、ナゴヤの中枢に位置し、我々の生活を管理し、監視している者たちにだ」

 前半は意味不明だが、後半は何となく分かる。行政と警察とヤクザと新興宗教が手を組んだこの街の歪な権力構造のことだろう。

「なるほど、大体は分かった。それで、連中に勝つための“策”とやらを教えてもらおうか」

 一瞬見せた身体の強張りは既に無く、ブルースは淀みなく言葉を繋いだ。

「一見強固に見える街のトップ三者の関係も、少しでもバランスが崩れれば瓦解する。そこを突くのだ。一つが崩れれば全てがドミノの様に倒れていくだろう」

「悪いが、中卒にも分かるように説明してもらえるとありがたいな」

「この街は、およそ十年前からある少女を中心に危ういバランスを形成している」

「それは、シーナのことか」

 ブルースは首肯するでもなく、仮面越しにこちらを見つめ続けている。埒が開かないと思い、俺は質問を重ねる。

「一時期の保護監督者として聞いておく。“野良猫”なのに戸籍が無いシーナの出生について、知っていることを話せ」

 ブルースは暫く思案しているように仮面を地面の方に傾けた。彼の足もとには、つい昨日芽生えたような花の芽が生えていた。

「差し詰め“生命の木の実”を食べた者。と、いったところだな」

「なんだと?」

「あの子は十年前、まだ赤ん坊の時に、私の手元にやってきた。親も無く、名前も無い。私は彼女に“椎名こころ”という名を与え、“根本”の子供たちと同じく育てた。だが―――」

 そこで、ブルースは少し言葉を切った。考えをまとめるように黙り込んだ後、先ほどまでと変わらない淡々とした調子で、話を再開した。

「シーナの特異さに気付いたのは、1歳の頃だ。シーナを抱いていた子供が、誤って地面に落としてしまった。コンクリートに叩き付けられたシーナは、痛みで泣いたが、それだけだった。頭の傷はほぼ一瞬で治り、コンクリート上には血ではなく、半透明な液体が付着していた」

 シンジローさんの家で包丁が刺さった時もそうだ。傷はすぐに完治した。

「私は父から“根本”を守るよう言われた。人には誰であれ、その生命が営みを終える最期、死ぬときまで生きる権利がある。だから見捨ててはならない。その考えに深く共感したからこそ、“根本”を受け継いだのだ。行くあての無い命を守ることに、誇りすら覚えている。だが、シーナは違った」

 風がどこからか吹いてきた。草木が揺れる。

「霧島君、君はあの子を“人間”だと言えるのか」

 以前までの淡々とした口調とは違う、仮面の奥にしまい込んだ感情を、思わず外に漏らしたような声色で、ブルースが俺に訊いた。

「君も見ただろう。血ではない何かが身体を流れ、心臓ではない何かがそれを送っているのを見て、あれは、命を冒涜していたとは思わなかったか」

 生い茂る植物の群れに囲まれた俺とブルース、それに二人の会話をずっと聞いているキイの間で、しばし静寂が訪れた。聞こえるのは風の音だけだ。

「……ふっ」

 数秒後、俺は吹き出した。仮面は玉座に座った老王の様に微動だにしない。俺はその気取った姿勢を取る“地下の神”に向かって言ってやった。

「今、知恵の実を食った人間に怒った神様の気持ちが、ちょっとだけ分かった気がするよ」

 非常に、バカバカしかった。

「確かにこれは厄介だ。無駄に知恵を付けた奴は、碌な事を考えない」

 そして、腹立たしかった。

「あいつは―――シーナは、上下合わせて1000円の服を着て、俺の作ったクソ不味い餃子を我慢して食って、夜一人でトイレに行けず、付き添った奴と一緒に俺の布団に潜り込んでくる。今日だって、今頃ウチの“家主”と戯れてるはずだ」

 たった三日。それだけの期間を過ごしただけの俺がここまで言えるのに、目の前に座っているこの男の体たらくはなんだ、と思う。

「仮面を外して、その目でしっかりシーナを見てみろ。あいつは人間だ。俺たちと何も変わらない、“命”だ」

 言い放ち、きびすを返すと後も見ずに俺は庭園を出て行った。

「サブ!」

 キイが早足に俺を追ってきた。

「何か用か?」

 13の、中学を中退しかけている少女の歩みに少し合わせるように歩調を緩め、訊く。

「ブルースさんが、ちゃんと帰り道を案内してやれって言うから」

「人を迷子にさせる妖精さんでも出るっていうのか?必要ない」

「そんな、怒らないでよ。シーナのことはウチらだって大切にしてるよ?」

「あのナゴヤのVフォーヴェンデッタはそうじゃないようだが?」

「そんなことないよ。ただ―――」

 その後の言葉は出てこないが、大体は分かる。要するにあのブルースという男にも、共に暮らした者が分かる温かみがある、というようなことだろう。なら何故それがシーナにも当てはまらないのか、そういうところに俺は怒っている。

 俺は立ち止まり、頭二つ分小さな少女に目線を合わせる。

「シーナを、人間だと思うか?」

 キイは困惑の限りを尽くしたような表情で首を振る。

「……分かんない。難しいことは分からないよ」

 自分の認識と、“親”たるブルースの考えのはざまで、考えがごちゃ混ぜになってしまっているのだろう。俺はキイの小さな肩をそっと持つと、諭すように言った。

「いいか、キイ、自分の目に映ったものを信じろ。それ以外は、誰に何を言われても話半分で聞いておけ」

 少し緊張気味になりつつ、小刻みに頷くキイに満足して、俺は手を離した。

「今度は、シーナも連れてくる。その時、一緒に遊んでやってくれ。その後にまた、同じ質問をする」

 外に出ると、黄昏の気配が近づいている時刻だった。だが、まだ帰るわけにはいかない。俺は再び地下鉄メイジョウ線に乗り込み、カナヤマへ向かった。

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