3.ジョン


 PM5:30。ヤバ駅から三つ目、ナゴヤ駅からは、普通電車で二つ目の場所にあるカナヤマ駅南口の広場には、ナゴヤを拠点に活動するミュージシャンたちが集まり出していた。

 近くのコンビニで買い物を済ませた俺は、買った水を飲みながら“彼”を探した。“彼”は決まって、年季の入ったギターで、ビートルズの“Mother”を歌っているか、何人かのミュージシャンで交代しながら歌い回している。いずれにせよ、彼の周りには人が自然と集まるようになっている。

「よーし!じゃあ次、マサ君の渾身の二曲!行ってみようか!」

 ―――いた。高校生くらいの新米路上ミュージシャンたちに混じって、彼らの若さに全く押し負けない甲高い声とテンションで即興合同路上ライブを主催している。初めて会った時からそうだが、このバイタリティには恐れ入る。

「ほらほらほらほら、何をそんなに恥ずかしがっているんだい?声を嗄らせ!弦を引き千切れ!愛を込めて、明日の平和に祈りを捧げろ青少年!」

 俺たちくらいの世代からすると絡みづらさ満点だが、壮年者らしい引き際も心得ているので、受け入れやすい。十代の彼ら彼女らも、いい歳のオッサンが出す文化祭前夜のような雰囲気に上手く乗せられている。

 何はともあれ、割と早くに見つかったことに安堵しながら、コンビニ袋を手土産に背後から声をかける。

「リバプールはどうでしたか?ジョンさん」

 一見するとホームレス一歩手前のみすぼらしい成りの男は振り返ると、最初、俺だとは気付かなかったようにキョトンとしていたが、すぐに破顔した。

「サブ君!?サブ君じゃあないか!久しぶりだね!!」

 ジョンさんが大きな声を上げると、周囲の人間も一斉に俺の方を見た。

「みんな、ちょっと僕は抜けるよ。音楽の力を忘れないように、歌は“愛”を伝えるためにあるんだ!ラヴ&ピース!!」

 野球帽に印字されたロゴをそのまま読み上げると、恐らく今日が初対面と思われる路上仲間たちから大きな歓声が上がった。こうした妙なカリスマ性が、プライベートエデンのような新興宗教を生んだのではないかと推測する。

「ちょっとあっちの方で話そうか。いやーそれにしても久しぶりだ。元気にしていたかい?」

「それはこっちのセリフですよ。一年も何をしていたんですか。それと、帰ってきたのなら、連絡くらいください。みんな心配していましたよ」

 歩きながら話す。フケだらけの髪を掻きながら、ジョンさんは恥ずかしそうに言う。

「いやぁ、割とすぐに帰ってくる予定だったんだが、思った以上にイギリスの空気が合ってしまってね」

「空気じゃなくて煙草けむりでしょう」

 そう言ってから、コンビニで買ったマルボロを渡す。

「おお!気が利くじゃないか。ってあれ?サブ君、煙草を買えたっけ?」

「あんたがいなくなってる間に二十歳になりました」

「そうだったかぁ。じゃあ酒も飲めるってことだな」

「痛風でしょう。それに俺は酒を飲みません」

 一緒に買っておいた水のペットボトルを渡す。しぶしぶ手にしたジョンさんの口元にライターを持っていくと、餌を貰うヒナの如く喜んで煙草を咥え、発ガン性物質の塊に火をつけた。

「旨いな。こっちに来て初喫煙だよ」

 全国的に禁煙が主流にも拘らず、ナゴヤでの路上喫煙はほとんど取り締まられていない。その理由は、恐らく行政トップの例の三人が愛煙家だからだ。ここまで来ると、ちょっとした独裁にも思えてくるが、別に煙草の煙も匂いも気にならないのでどうでもいい。

「そこに座ろうか」

「はい」

 タクシーやバスが乗り入れするロータリーの前で、車の進入を妨げるための縁石の上に座り込み、話し始める。

「一年も一体何をしていたんですか?」

「色々だよ。アビーロードを観光したり、地元のライブバーに入らせてもらったり」

 丸いサングラスをかけ、頭に被ったよれよれのハットからは白髪交じりのぼさぼさした髪の毛がだらしなく出ているオッサンが喋る。古き善きヒッピー族がジョン・レノンに被れると、こうなる。

「いつごろ帰ってきたんですか」

「つい最近だよ。ビザが切れるギリギリまでいたら帰りの飛行機代が無くなって、必死にかき集めた」

 碌にコミュニケーションの取れない外国で、人のよさそうな金持ちに無心したり、路上ライブで日銭を稼いだりして帰ってきたという。恐ろしい男だ。

「人生は神秘的な出会いに満ちているよ。それに気づかせてくれたのが一年のイギリス滞在だった。こうして君と再会できたことも小さな奇跡だ。いや、路上ここで会うのは必然かな。相変わらず音楽は続けているんだろう」

「―――そのことなんですが」

 ついにこの人にも、この話をする時が来たか、と思い、俺は覚悟を決め、声を発した。

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