4.音楽を辞める理由

「音楽は諦めました」

「諦めた!?」

 酒と煙草とその他さまざまな不摂生でボロボロにも関わらずよく通る素っ頓狂な声がカナヤマ南口に響き渡る。

「な、なんで?あんなに一生懸命やってたじゃないか」

「三年間続けて決めました。石の上にも三年っていうでしょう。三年経ったら、いい加減、“ただの石”からは降りないと」

 サングラスの奥の目は未だ戸惑っていたが、努めて穏やかに、意思確認の声を紡いだ。

「本当に、それでいいのかい?」

「そもそも、最初のライブで、最初の音を鳴らした瞬間に、分かってしまったんです。ああ、これは無理だなって」

 この話をするのは何度目だろうか。反応はみんな異口同音だ。ジョンさんも例外ではなかった。

「そんな……まだ、たった三年じゃあないか。君の好きなスクリームキャッツだって、デビューするまで七年かかった。続けていけば、まだ知らない感覚に出会えるかも知れないよ。そんな不確かな予感、いつか絶対に跳ね返せるはずだ」

「ずっとそうしようとしてきました。でも、全然無理だったんです」

 少しずつ、自分の声色にイラつきが混ざってきているのを感じる。これはまずい兆候だと思う。

「正直、今振り返ると、自分を諦めさせるためにやってきたんだなって思います」

 ジョンさんと初めて会ったのも、このカナヤマだった。15歳の時、初めて路上ライブに一人で来て、何をすればいいのか分からなかった俺に声をかけてくれた。

『僕もそこで一緒にやっていいかな?』

 それから、今回の様な失踪が数回ありつつも、もう五年が経つ。本格的に音楽活動をするよりも長い期間だ。その間にギターや歌のことを教えてもらった。ライブハウスの人間に掛け合って、出演させてくれたりもした。だから、この話をするのは誰に話すより言いづらい。

「そうか……」

 ジョンさんの目が見られなかった。俺はタクシーやその他の車が乗り入れするロータリーを見つめながら、彼の言葉を待った。

「そんな風に思っていたのか。すごく残念だな。せっかく良いものを持っていると思ったのに。君にとっての音楽活動とは、そうだったのか」

 失望を感じさせるジョンさんの言葉。

「でも、そうやって自分には才能が無いことを確かめるために、言うなれば、ただ諦めるためにやってきたというのなら、それじゃあ、君の三年間は全く無駄だってことにならないか」

 少しだけ冷たい風が、南から吹いた。

「俺は、本気でやってきました。朝から晩まで、時には三日間寝ないで曲を作って路上に言ってバイトに行ってガラガラのライブハウスでライブやってノルマ払って、またバイトに出かけて、その帰りに路上に行って―――あんな感覚、何かの間違いだと思いたかった、けど」

 何度ライブを重ねても努力しても、こびりついて消えない感覚。むしろ、やればやるほど強まっていった。

「けど、なんだい」

 ジョンさんの問いかけに答えなくてはと思ったが、明確に言語化できない。数分の沈黙をもたらしてしまった気まずさも手伝って、俺はまだ固まっていない気持ちをと吐き出した。

「何かを、誤魔化している。そう、自分に言われている気がして……うん」

 不明瞭な声と共に頭を抱えて俯いた俺の頭上で、煙草を一吸いする音がした。そして、何かが覆いかぶさってくる気配がした瞬間、頭に鋭い痛みが走った。

「面を上げい!」

「い、痛てててて!!」

 また“ちょんまげ”を掴まれた。そのまま、ぐい、と頭を引っ張り上げられる。

「やめんかクソオヤジ!」

「ぶぇっ!!」

 あまりにも痛かったので、思わず拳を固めて殴ってしまう。もんどりうって倒れこんだヘルニア持ちが亀の様に路上に横たわっているのを見て我に返った。

「あ、ごめんジョンさん」

「い、いや、僕も悪かったから。―――ゴメン、起こしてくれるかな?」

 腰が悪いというのは難儀なものだなと思いながら助け起こしてやる。そこでサングラスが吹き飛んでしまった彼の目に涙が浮かんでいるのを見た。そういえば、俺は自分の話をするのに夢中で、相手の顔を全く見ていなかったなと思う。再び縁石に座り、会話が再開されると、できるだけ顔を上げ、目線を真っ直ぐにして話すよう努める。

「少し言い過ぎたね。すまなかった。君が本気だということくらい十分に分かっていたはずなのにね」

 ジョンさんがサングラスをかけなおしながら謝罪するが、俺は首を振る。

「いえ、こちらこそすみません」

 そこからまた数刻、会話が途切れた。俺は言うべき言葉が見つからず、ジョンさんは言葉を探しているようだ。いよいよ広場の街灯が点いた時、会話が再開された。

「サブくんは、もっと自分に自信を持つべきだと思うな。それに、君を好きだって言ってくれる人を、もっと信じるべきだと思う」

「信じていないように見えますか」

「見えるね。あの女子高生の女の子、アカネちゃんって言ったっけ。あの子のことも、結局何もないままだっただろう」

「別の、もっと良い人と結婚しましたよ。今じゃ子供もいます」

「そういうところがいけないと言っている!」

 マルボロを俺に突き付けるように言い放つ。赤々と燃える炎を向けられ、俺は押し黙る。

「いつだって、『自分じゃあなくても良い』と思ってる。自分にしかできない、自分しかいないんだと腹を括れない。他者を受け入れる度量はあるのに、受け入れさせようとはしない。それが、君の弱点だよ」

 ふん、と鼻を鳴らすついでに紫煙を吐き出す。夕焼けに染まりつつあるカナヤマ駅には、ジョンさんが集めた若者たちのほかにも、少しずつストリートミュージシャンが集まり出している。あちこちでギターやキーボード、ドラム代わりのカホンの音が響き始め、ちょっとしたお祭りのリハーサルを思わせる風景に変わりつつある。

「さっき僕と一緒にやっていた彼らを見てみろ。まだまだ全然未熟で、ゆずとコブクロとMr.Childrenを足して十で割ったような手垢のついた歌しか歌えない。でも自信満々だ。自分の音や思いが伝わり、世界を変えられると思っている。そうでなくても、自分が世界に必要不可欠な人間だということを疑っていない」

 ジョンさんが大きく手を広げて指示した方を見た。大きな立て看板や黒板ポップを出して多くの集客を狙う者、あくまで生音にこだわってギター一本でやってくる者、それをわざわざ駅前まで聴きに来る者。数か月前まで自分もその一員だった景色に夕日が強く差し込み、俺は目を落とした。

 いや、本当に俺はストリートミュージシャンたちの“一員”になれていただろうか。自分自身すら疑って音楽をやっていた俺は、この眩しい景色の一部にはなれていなかったのではないだろうか。

「前に僕が話したことを覚えているかい?」

 考え込む俺を現実に引き戻すように、ジョンさんが言った。

「神様は人間を作った、なら神様は誰が作った?」

「“必要”でしょう。覚えていますよ」

 丁度、今朝その話をユウにしていたことを思い出し、苦笑が漏れる。俺も随分このオッサンに影響されている。

「そうだ、“必要”が無くなれば神は死ぬ。裏を返せば、どんなにみっともなくても、何かを必要としない人間に、救いの神は現れないということだ。そこでだよサブくん」

 再び俺の胸元にマルボロを突き付けるジョンさん。因みに、これはもう三本目だ。もっと大事に吸えばいいのに。

「君の人生には、誰が必要なんだい?」

 俺たちの近くで、誰かが演奏を始めた。耳を澄ますとMr.Bigの“Addicted to that rush”だ。下世話なラブソングが、アコースティックギターの千切れるようなストロークと共に歌われていく。

 その音の方を見やりながら「おお!明日のエリック・マーティンを志す若者がいるねぇ。関心、関心!」と嬉しそうにしながら、ジョンさんは再び俺の方を向く。

「必要とされるだけの人間は、それこそ神様と一緒だよ。神様はね、誰も何も必要としていないから、いつでも一人ぼっちだ。“必要”―――いや、“愛”を求めない人間は、寂しい存在になってしまうんだ。何もない空っぽの人間は、夢すら持てない」

 “LOVE&PEACE”が描かれた帽子を撫でながら言う。

「愛していこうぜ、誰かを、この世界を、な!」

 そう言い、俺の背を思い切り叩いたジョンさんは立ち上がると、相棒のギターを背負う。

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