7.教え


 ヒロ、マナミと別れた俺はバスと地下鉄を乗り継いでフシミに着いた。ここに来るのは二カ月ぶりだ。俺は最後のライブをする箱になったライブハウス『ハートオーシャン』の前を通り過ぎると、その裏手にあるゲームセンターに向かった。

 不良への一歩目は遊技場か楽器屋にたむろすることだと相場が決まっている。ヒロが言っていた通り、フシミのゲームセンター近くに背広を着た男が営業スマイルを貼り付かせて立っていた。恐らくここで年端もいかないを捕まえるのだろう。

「やぁ、あんた、プライベートエデンの人か?」

 自分から勧誘に話しかける人間はほとんどいないのだろう。友好的な雰囲気で話しかける俺に、二十代後半と見える男は一瞬面食らったようだったが、すぐにセールスマンとしての顔を取り戻した。

「はい、そうでございます。ひょっとして、信者の方ですか?」

「いや、そうじゃないんだが、知り合いの親戚が信者で、少し興味があったんだ」

「そうですか。ありがとうございます。では、立ち話もなんですから、あそこの喫茶店にでも入ってお話をしましょう」

 またコーヒーか、と思いながら俺は個人経営と思われる瀟洒しょうしゃなカフェに付いて行く。

「ここも、我々の信者の方が経営していらっしゃるんです。経費で落ちますので、何でも注文してください」

 なるほど、こうして勧誘に引っかかった人間を囲い込むわけか。俺はアメリカン・コーヒーを注文しながら周囲の客を観察する。この人数なら、いざとなればいつでも逃げられると思い、少し深く座り直した。

「まずは、これは教団が発行しております経典とパンフレットです。そして、こちらのアンケートにもご記入ください」

 分厚い経典は放っておいて、俺はパンフレットに目を通す。宗教法人プライベートエデン代表・教祖『ハヂメ』と書かれた文字の上にこじんまりとした写真が載っている。メディアへの露出は無いが、顔出しはしているらしい。事前の予想に反し、ハヂメは若い男だった。

「随分と若くして悟りを開いたんだな。おたくの代表さんは」

 俺の言葉にフジサワと名乗った勧誘の男が、よくぞ訊いてくれたという顔をする。

「そう見えるでしょう。実は齢40を超えております」

「ほう、この顔でか」

 不覚にも、意外だ、というリアクションを抑えられなかった。多少加工は入れているだろうが、皺やほうれい線のまったく見えない顔は、どう見ても二十代にしか見えない。

「神の意志に触れた者は年齢を超越するのです。ほかに、何かご質問がありますか?」

 その凄まじいアンチエイジングの講習だけでも金が取れると思ったが、それは置いておいて、俺はフジサワに訊く。

「ああ、まず、プライベート・エデンという団体名についてだ。エデンというのは旧約聖書に出てくる楽園のことだろう?」

 よくご存じで、と、笑みを絶やさない男は言い、こう答えた。

「一応、便宜的に団体名として使わせて頂いていますが、そもそもプライベートエデンとは、我々の最終目標地点なのです」

「ほう、その心は?」

 訊きながら、俺はコーヒーカップを傾ける。薄い苦味が口に広がっていく。

「その名の通り、一人ひとりにとっての“楽園”です。旧約聖書の『創世記』に描かれた楽園は、不十分でした。本物の楽園とは、もっと自由で全ての望みが叶えられる理想郷でなければならない。それを与えてくださる“神”の復活を、我々は目指しているのです」

 楽園、か。

「その楽園は、間違っても高層ビルの最上階とかではないよな」

「え?なんですって?」

 フジサワが困惑した顔をしたので、ユウとの会話を引き摺っていた俺は「忘れてくれ」と、首を横に振る。

「しかし、復活と言われても、俺は神様を直接見たことが無いから、どうも半信半疑だな」

 丁度、アンケートに『ほかの宗教を信仰していますか?』との質問に『なし』と書いたところだ。

「教団本部には、御神体が安置されています」

「御神体?」

「はい。現世に神を宿し生まれた方、現人神あらひとがみの御遺体です。それが復活するとき、この宇宙に大いなる革命が起こり、世界が祝福の光に包まれます。我らの教団に入信して頂くと、その祝福の光を誰より早く受け、プライベートエデンへとたどり着けるのです」

 いよいよオカルティックな領域に入り込んできた話をぶち上げる敬虔な信者の顔は恍惚に輝いていた。ヤクザまがいの経営を行いながらも、信心は本物らしい。

「それは魅力的な会員先行予約特典だな。それで、その“光”を浴びる順番はお布施の金額で決まるのか?」

 皮肉が通じていないのか単に聞き流すことに長けているのか、フジサワは変わらず朗らかな笑みを浮かべた表情のままだ。

「信じる思いが強ければ、誰よりも早く受けられますよ」

 そうですか、としか言いようがない答えだ。

「教団本部では月一回のペースで、有名なアーティストや芸能人の方も呼んで、大きなイベントを開催しております。遊びに来るついでに御神体を見ていただけると、我々の活動をより理解してくださると思います」

 流石に金持ちの新興宗教だ。それもまた、信者を釣る餌なのだろう。

「そうか。次のイベントはいつだ」

「ええと、確か、来週の土曜日です」

「なるほど、覚えておこう」

 恐らく、秒速で忘れてしまうだろうと思いつつ、アンケートを適当な言葉で大よそ埋めたところで、男が口を開いた。

「実はアンケートにメールアドレスを書いていただきますと、団体が企画するイベント情報や、当団体が手掛けた讃美歌を無料で聴いていただけます。配信の解除はいつでもできますので、ぜひ」

 “讃美歌”か。ありあわせの美しさで着飾った、聴く者を天国に昇った気分にさせ地獄に堕とす聖歌の配信。同じ音楽を作る者として許せない所業だ。これだけは、必ず潰す。

「分かった。足が付きにくいアドレスを書いておくよ」

「ええ、結構です」

 わざわざそう言って、パソコンのフリーメールアドレスを書き込む。アンケートに書いた経歴も、性別以外全てでたらめだ。

「今日はありがとう。入信するかはもう少し考えることにするよ」

 言って、さっさと立ち上がった。誰も引き留めや、強引な勧誘には入らない。まだそこまで末期的にカルトの様相は呈していないようだ。いや、今でも十分に末期か。

「ありがとうございました」

 フジサワも、何の未練もなさそうに頭を下げた。それか、よほど自分たちの“商品たち”に自信があるのか。

 カフェから出ると、その足で地下鉄のフシミ駅へと降りていく。

これで教団との、いつでも切れる繋がりができた。恐らく返信不可のメールだろうが、関係ない。こちらが持っているカードを少しだけ切り、反応を待つ。

 考えをまとめた俺は、駅のゴミ箱に経典を捨てると、長すぎる一日の後半戦へと向かった。


[第三話 ウェアー・ザ・プライベートエデン]終

続く

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