6.見舞い


 ―――PM12:00。ササシマのバス停留所に俺はいた。

 外に出ると、既に正午であり驚いた。四時間もユウの部屋で人探しをしていたことになる。

 今日は7月3日。日光が眩しく、アスファルトの照り返しが日に日にきつくなっていくのが辛い時期になってきた。人のほとんど乗っていない市バスが停まり、俺はそれに乗り込んだ。

 座席にありつけると、俺は携帯に今日のスケジュールを入力していく。長い一日になりそうだった。

 全く、手間をかけさせると思いながら、俺はユウのビルで当たりをつけた場所ではなく、数日前まで勤めていた職場の最寄りのバス停がアナウンスされたところで降車ボタンを押した。ブルースに面会する前に、確認しておきたいことがあったのだ。

 俺はその停留所の名前になっている大きな病院へと入っていった。今回の目的地は三年間螺子を打ち続けた工場ではなく、隣接しているこちらの方だ。あの工場に用がある日も、もう来ないだろうが。

 そういえば、見舞いの花を買うのを忘れたな、と、覚えていても買う気などなかったはずのことを思いながら、自動扉をくぐると、エアコンの盛大な冷風が身体を冷やす。病院にも関わらず冷房病患者を増やすつもりだろうか。

「あれ、サブちゃん?」

 受付で病室を聞き終えると、エントランスで見知った顔から声をかけられる。工場の作業着を着たマナミだった。今は工場が昼休憩の時間だ。

「どうしたの?バイト、戻ってきたの?」

 嬉しそうに言うが、残念ながらそうではないことを伝える口を開く。

「違う。ちょっと見舞いに来たんだ。マナミもか」

「ああ、うん、そう」

 歯切れの悪さに察するものがあった。マナミも俺やアカネと同じ、“野良猫”だ。里親は今年70歳になる資産家で、パーキンソン病に侵され、もう余命幾ばくも無い。だが、マナミがこうして見舞いに来てくれるなら、と、設備が完璧とは言えないこの病院で終末医療を受け続けている。

「今更だけど、親との仲、取り持ってくれてありがとうね、サブちゃん」

「よせ。大したことはしてない」

 手を払いながら言う俺に、マナミは黙って笑いかける。

「じゃあな」

「えー、待ってよ~!もうちょっと一緒にいよう。誰のお見舞いなの?」

 俺の腕に絡みついてくる。こうなると離れないことを知っている俺はため息を吐いて行先を告げる。

「今度お前の同僚になる柿崎って奴の病室だ」

「え!?じゃあ行きたい!良いでしょう?」

 働く前に職場の仲間とコミュニケーションを取っておくのも良いだろう。俺はそう考え、マナミを伴って7012号室に向かうエレベータに乗り込んだ。

「なんで急にバイト辞めちゃったの?」

「今まで打ち込んできた螺子に復讐される夢を見て怖くなったんだ」

「なにそれ。訳分かんない」

「頭に電動ドライバーを突き付けられる感覚を味わえば分かる。」

 冗談を飛ばしながら着いた病室のベッドは六分の三、埋まっていた。俺はその中で最も窓際のベッドへと向かう。

「よぉ、ヒロ、まだ生きているか」

 幼い頃と同じ呼び名でそう呼びかけると、包帯とギプスで覆われた幼馴染は昔から変わらぬ人懐っこい笑みを浮かべて出迎えた。

「サブか。この程度三日で治るって。―――って、どうしたんだ、その頭」

「三日ならもう経ったぞ。明日から退院だな。―――この頭については訊くな。借金の利子を増やすぞ」

 言い合って、笑い合う。と、ヒロが俺の背後の人影に気付いた。

「サブ、その人は―――」

「ああ、これは―――」

「は~い、どうも~。サブちゃんの元カノで―――」

「元同僚の西川真奈美だ。今度からお前が働く職場の先輩になる」

 マナミの声を遮って言った。

「マナって呼んでね。この朴念仁さんは絶対に呼ばないけど」

 冷たい扱いにも決してめげないマナミが言うのを、ヒロはボーっと見つめていた。入院という禁欲生活中に現れた肉感的な若い女の出現に脳がショートを起こしているのかもしれない。

「ヒロ、もう“立てる”よな。飯をおごってやるから少し話そう」

「あ!?ああ……いや、立ってねぇよ!」

「どうだかな」

「うふふ、面白い子」

 玩具を見つけたという表情のマナミに、しどろもどろになっているヒロを介助しながら、病院のカフェへと向かう。

「ごちそうさまで~す」

 松葉杖をついて歩くヒロの隣で、マナミが手を合わせて言う。

「お前の分はお前が払え」

「なんで~、ひどくない?ねぇ、ヒロ君」

「あ、はい、そ、そうですね、マナ……さん」

 ヒロの狼狽した対応に、どうやら力関係が決まったらしいことを感じながら、俺は自分の財布と相談を始めた。


 カフェに着くと、ボックス席に座る。俺の向かいに、ヒロとマナミが並んで座っている。

「なんか暑くなってきたよね~」

 マナミはそう言って、着ていた作業着のジッパーを下す。はだけた部分からスタイルの良さを強調するタイトなシャツが見えている。

「マナミ、ヒロに見られているぞ」

 俺がそう密告すると、横目でチラチラと見ていたヒロが慌てる。

「おい、サブ!」

「バーカ、気付いてないわけないでしょ。見せてんの。ねぇヒロ君、入院中じゃ、全然“息抜き”できないでしょ。もっと見ていいよ」

「いい、いいえ……それは―――」

 余裕の表情を浮かべるマナミと、明らかな狼狽の色を見せるヒロ。バイトは、長続きしそうだ。

「ねぇ聞いて、あたしね、サカエの路上で、この人に買われたの」

「か……っ!!」

 ヒロが絶句する。元ヤクザとは思えない純朴な反応に、俺はヒロを“精神的には童貞”と紹介した自分の感性が間違っていなかったことを確信する。だが、人買いとは心外である。

「人聞きの悪いことを言うな」

「だって本当のことじゃない。あたしね、20歳くらいの時にキャバと売春ウリやってたんだけど―――あれは丁度三年前、七月頭の木曜日だったかなぁ―――そこにまだ17くらいのサブちゃんが声かけてきて、『いくらだ?』って」

 どうせ止めても止まらないことは分かっているので、俺はマナミの話すに任せることにする。

「それでね、どう考えてもふざけてると思って、ふっかけて『一晩三万だよ』って言ったら、『分かった。倍出すから二晩俺の相手をしろ』って。17だよ?17でそんなこと言ったんだよ、この子!」

 マナミが興奮気味に俺を指差しながらヒロに言う。俺は目の前に来たその不作法な手をはたき落とす。

「その足で夜のATMからお金下ろして、あたしに渡してきて『じゃあ行くぞ』って家にお持ち帰りされて―――」

 話す最中、ずっとヒロが目を丸くしているのがおかしい。こいつ、実は肉体的にも童貞なのか。元ヤクザの癖に。

「そしたら、サブちゃんのお婆ちゃんにご飯食べさせられて、お風呂入って寝たの。お婆ちゃんと!」

 何がおかしいのか、俺の祖母と同じ布団で寝た段になって爆笑するマナミ。

「それで、何だかよく分かんないまんまサブちゃんは朝になったら仕事に行って、あたしはやることなくて猫と遊んだりしてたら帰ってきて、また『行くぞ』って言われて、フシミの方まで行ったの。

 いよいよホテルかなって思ってたら、ライブハウスでサブちゃんが歌ってるの見せられて。終わった後、『危うくお客が0になるところだった。ありがとう』って、あたし何が何だが分かんなかったんだけど、その時やっと分かったの。この人、このためにあたしのこと買ったんだって。バカみたいじゃない?六万でライブハウスのお客さん一人買ったんだよ!」

 そして、また爆笑。目に涙が浮かんでいるのは笑い過ぎたせいだろう。多分。

「その夜にね。ファミレスで一緒にご飯食べながら『週明けから俺の職場が忙しくなりそうだから、お前も来い』って突然言い出したの。面接なんて片手間で、一日くらいですぐに採用されるからって。それで、今の工場でアルバイトし始めて、それが意外と続いちゃって、キャバもウリも、知らない間にやめちゃった。相場の五倍くらいでサブちゃんに買われちゃったのがきっかけでね」

「そう、だったんですか。サブ、お前すごいな」

 幼馴染から送られる尊敬と羨望のまなざしが痛い。

「そんな大層なことをしたわけじゃない。ただの気まぐれだ」

「でも、それであたしはこうしてるんだよ。親のこととかも色々親切にしてくれたし」

「もうその話は良いだろう。俺の話をさせてくれ」

「はいは~い。黙ってま~す」

 マナミが口をつぐみ、ようやく本題に入れる。俺は出てきたコーヒーを飲み難そうにするヒロに訊いた。

「ヒロ、お前、何をやらかして組を追われたんだ?」

 それは無論、俺が安藤に頼んだからだが、それは裏側の理由だ。表向きには、それらしい理由をでっち上げる必要がある。それを聞いておきたかった。

「そんな話は、もういいだろ」

 人生の依存先の一つを永久に失ったヒロは露骨に嫌がる。気持ちは分かるが、こちらとて訊いておかなければならないことだ。久しく友人に復帰した人物を騙すようで忍びないが、カマをかける。

「女子高生を売っていたか?」

「バカ!んなことするかよ!」

「うっわ、ヒロ君ケダモノ~」

 マナミが芝居がかった仕草で口に手を当てる。

「違いますって!サブも変なこと言うんじゃねぇよ」

「じゃあ、クスリか。個人的なシノギに、何か売っていたな?」

 非常に分かりやすい性格の目が、若干俺から逸れた。なるほど、やはりそっちか。

「……やってねぇよ」

 それでもシラを切ろうとするヒロに、はっきりと告げる。

「売ったのは、セイレーンだろう」

 その言葉に、目を見開いた。本当に分かり易い。安藤との電話でも話したように、セイレーンの売買はリスクの少ない商売だ。暴力団の下っ端構成員が関与していても不思議ではないと思っていたら、案の定だ。

「―――そうだよ。訳が分からねぇよ。ヤクなんて、みんなやってるのによ」

「だろうな」

 組の下っ端に『ヤクを売り捌くな』と言うのは、時給750円足らずの扶養家族持ち非正規社員に『副業禁止』を言い渡すようなものだ。本業だけでは生活ができないのだから、やらざるを得ない。恐らく俺が安藤に相談しなければ、不問に付されていた案件だろう。

「そっかぁ、ヒロ君は運が無かったんだね。でも良かったじゃない。堅気に戻れたんだし、あたしにも会えたんだし」

 豊満なバストを持つマナミがヒロにそれを押し付け、しなだれかかるようにしながら言う。脊髄反射の様に、ヒロは身体を硬直させる。

「どれだけ自信満々なんだよ……」

 呟くヒロの目に思い切り自身の顔を近づけていく。昔取った杵柄きねづか、キャバ嬢が客を引き留めるテクニックだろう。

「あたしじゃダメだった?」

 目を逸らせず、無言で顔を赤くするヒロ。流石は精神的(ひょっとした肉体的にも)童貞。

「ヒロ、お前に“仕事”を回してきたのはプライベートエデンの連中だな」

 耳まで上気した幼馴染が、「どうしてそこまで知っているんだ」というように、呆気にとられた顔で頷く。

「どこで会った?」

「おい、まさか買う気か?」

「流行っている“新譜”には目が無いんでな。いいから場所を教えろ」

「……分かった」

 教えられた場所をメモすると、俺は一万円札を置いて立ち上がった。

「よし、じゃあ後は若いもん同士ってことで」

「おい、サブ。一体何なんだよ。何をそんなに急いでるんだ?」

 俺はヒロの問いに、こう答えた。

「俺にも何が起きているのか、よく分からない。ただ、お前の退院祝いの時までには終わらせたいから、急いでいる」

「あ、待って!あたしも一緒に行くから。じゃあね、ヒロ君、バイト先で待ってるよ」

 マナミも立ち上がった。呆然と俺たちを見送るヒロを尻目に、俺たちは病院から出て行った。

「なんか大変なことになってるっぽいね」

 歩きながら、マナミが話しかけてくるので、俺は適当にはぐらかす。

「どうだろうな」

「女の子関係だ」

「どうだろうな」

「絶対そうだよ。だってこの髪。絶対サブちゃんのセンスじゃないもの。誰にやってもらったの~?」

 言って、俺の“ちょんまげ”を触ってくる。

「やめろ」

「ふふっ、お化けみたいにしているより似合ってるよ。サブちゃん、綺麗な目してるし」

「どうだろうな」

 言って、俺は束ねた前髪を指で軽く弾いた。

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