5.プライベートエデン
風呂から出て、改めて目星をつけた場所に行く前、俺は自分からは一生かけまいと決めた番号に一本の電話をかけた。
『これはナゴヤに巨大地震でも起きますかね』
律義にワンコールで出た男の声が妙に嬉々としていて、俺は萎えていく気持ちを抑えながらとっとと本題に入る。
「単刀直入に訊く。安藤さん、あんたらの探し物はなんだ?」
電話の向こう側が静かになった。耳に、低いエンジン音が聞こえてくる。恐らく車にでも乗っているらしい安藤は数秒後、こう返してきた。
『どうしてまた、そんなことを訊くんですか?』
「白昼堂々、随分な数の“兵隊”を展開しているようだったから、気になってな。あの“犬猿カップル”も見かけた」
安藤が吹き出した。
『相変わらず面白い方だ。質問の答えですが、“企業秘密”ではいけませんか』
「それで納得できたらそもそも連絡などしない。少々ヤバいことになっているんだ」
『ヤバいこと、ですか。それをお教え願えますか。こちらが何か助けになれるかもしれません』
情報の交換か。俺はリスクを計算する。例えば、俺の推測通り、ヤクザ連中がイブとシーナを探していた場合、安藤は俺と組織のどちらを取るかは明白だ。できるだけ穏便に、二人を誘拐するだろう。
できるだけ、個人名は避けて言うことにした。いざとなれば、シラを切る。
「“根本”が襲撃されたことは知っているだろう。あれが原因で、知った顔の“野良猫”が俺に泣きついてきて困っているんだ。警察にも頼れないと言っているし、それならアンタら“裏側の人間”がいざこざを起こしているのではないかと思ってな。もしそうなら、いつケリがつくかくらい教えて欲しいんだ」
『なるほど、そういうことですか。それなら、多少こちらから提供できる情報はあります。ちょっと待ってください。人払いをします』
そう言うと、数秒後、聞こえていたエンジン音が止まり、ドアが開く気配があった。どうやら車を路肩に停め、安藤以外の組員を外に出したようだ。
『お待たせしました。まず、最初に申しあげておきますと、“根本”の襲撃は我々ではありません』
「その証拠は?」
『我々もその道じゃプロを気取っています。奇襲を仕掛けておいて結局全員取り逃がすなんて素人くさい真似をしちゃあ、末代までの恥です。そこは組の代紋に誓って、違うと言い切りますよ』
犯罪者集団にもそれなりの矜持があるか。俺は納得し、「分かった。続けてくれ」と、話を促す。
『“根本”を襲った連中が何を狙っているのかは分かりませんが、連中が何者かは分かります』
「誰だ?」
『“プライベートエデン”。ご存知ですか』
「ああ、まぁ名前くらいはな」
意外な答えだった。
「おたくの組長の親戚が心酔してる新興宗教じゃないか。」
敢えてストレートに“市長”とは言わなかった俺に、安藤が面白そうに喉を鳴らす。
『ええ、そうです。いよいよカルトが、化けの皮を剥がし始めたようで』
“ハヂメ”というふざけた名前の教祖が、ナゴヤで“プライベート・エデン”なる新興宗教を旗揚げしたのが約十年前。そこに市長の川上と市警トップの飯塚昭雄が入信したことが、今日に至るナゴヤの歪な行政を完成させたといっても過言ではなく、その意味では、市政、ヤクザに次ぐ街の“第三勢力”と呼んでもいいかもしれない。
「よほど魅力的な教えを授けてくれるんだな」
『私も一度、オヤジと教団本部に行ったことがあるんですがね、なかなか豪奢な場所でしたよ。“教え”とやらはちんぷんかんぷんでしたが』
金回りは良いということか。
「なるほど。それが“暴走”したのは何故だ?」
『そこのお題目というか教義というのが『命を洗練し、より高みに導く』というものらしくて、そのために“永遠の生命”を欲しがっている、と。そして、それを持っている者が“根本”にいる、と。それで例の襲撃です。連中は本気ですが、私から見ればふざけた話です』
“永遠の生命”。その言葉を聞いた瞬間、二人の人物が頭の中に思い浮かんでしまった。今は考えるな、と、少女たちの残像を振り払い、安藤に再度質問する。
「それで、そっちはなんでそんなところまで知っているんだ?大体察しはつくが」
『お察しの通り、我々が追っているのも、そのプライベートエデンです。連中は教団を隠れ蓑にやりたい放題だ。地元の芸能事務所と結託して女を誘拐し、教団名義の施設で売春させたり、街中で怪しいクスリをばら撒いていやがる』
地元の芸能事務所とは、イブが騙されたところだろう。あそこも教団と繋がっていたとは、思った以上に根が深いと見える。俺は安藤に、もう一つの方について質問する。
「ヤクザ顔負けだな。それで、クスリとはなんだ?」
『聞いたことはありませんか?今ナゴヤでちょっとした流行りを見せている、聴くドラッグ『セイレーン』ってブツです』
初耳だった。“聴くドラッグ”とは、電子ドラッグのようなものだろうか。
『その名の通り、聴くだけで
ドラッグについてはよく知らないが、アッパー系というやつか。安藤はさらに詳しく説明する。
『宗教の勧誘ついでにメールアドレスを聞き出し、そこから携帯端末に『セイレーン』がストリーミング再生できるアプリケーションを送り付けます。初回は無料ですが、一度聴き終わると同時に自動的にアプリはアンインストールされ、二度目以降はそれなりの値段をふっかけて買わせるそうです。おおよそ信者や売春婦をコマすのに使ってたのを、教団の
なかなか巧妙な売り方だと思った。路上などで薬物を売りつける、所謂“売人”が存在しない。脇の甘い若者を一旦釣れば、あとは直接会うことも無く客を
『迷惑な話です。奴らのシノギのせいで、ウチが探りを入れられてる』
「それは日頃の行いが悪いからだな。子供の頃、よく先生にそう言われていたんじゃないか?」
柔らかな、しかし乾きを伴った笑いが、耳に届いた。
『クスリも
「それで、狩り出しを行っているというわけか。よく分かった」
ヤクザとカルト認定される寸前の新興宗教とのいざこざか。以前までならアンダーグラウンド同士の諍いだと気にも留めない事案だったが、今はそうはいかない事情がある。今後はプライベートエデンにも注意しなければならない。
『サブさん。ご友人が泣きついてきたとはいえ、この件からは早いところ手を引いた方が良い。薬物汚染に人身売買に誘拐までする教団連中の動きは尋常じゃない。我々もいざとなれば
物騒すぎることを言い出す安藤だが、その口調は本気で俺の身を案じている様子だった。まさかヤクザより危険な橋を渡る日がくるとは。
「―――とりあえず、スパムメールが届いたら中身を
通話を終了させると、ユウが思そうなキャリーバッグを持って部屋の奥からやって来た。服装も普通だ。
「よぉ、お嬢さん。夜逃げの準備はできたか?」
「終わったよ、旦那様」
つまらなさそうに冗談で返すユウに、俺は家の鍵を預ける。
「悪いが、一人で行ってくれ。俺はこれから回らなきゃいけない場所があるんだ」
「はいはい。じゃあボクは行くから、出るときは鍵を閉めておいてね」
ユウは俺にそう言うと、何の未練もなさそうな動作で、とっとと部屋から出て行った。ドアが閉まる音がすると、俺は床に転がったギターを一つ手に取り、軽く弦をストロークした。一本三十万は下らない高級ギターは、チューニングが狂い過ぎていて、おかしな音を出した。
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