4.楽園追放


「どうして野郎二人で裸になって風呂に入らなきゃいけないんだい?」

 先ほどの会話から俺の言葉を引っ張ってきてユウが尋ねる。シンジローさん夫婦の家と同等かそれ以上の大きな湯船に浸かった俺は、向かい側でじっと三角座りしているユウに言う。

「見張ってないと、お前は身体を軽く濡らしただけで出てくる。俺がお前の“監視員”ってわけだ。それに、俺もここに来るまで少し汗をかいたしな」

 17歳の男子だというのに、ほとんど毛の生えていない滑らかな肢体と口までを湯に浸け、ブクブクと水面で気泡を作る。どうやら何を抗議しても無駄だと悟ったらしい。

「ねぇ、サブ。知恵の実を食べたアダムとイブが最初にやったことは何か知ってる?」

 自分のペースを取り戻したいかのように、ユウがまた小難しい話を始めた。俺は聞いてやることにする。

「イチジクの葉で身体を隠したんだ。所謂、“陰部”をね」

「それはタオルを腰に巻いたまま風呂に入ろうとしたことを止めた俺への当てつけか?」

 個人的な主義として、湯船にタオルを持ち込むのはNGだ。

「違うよ。そうじゃなくて、人間が初めて身に着けた“知恵”が“着衣”で、それに神は怒ったってことさ」

「ユダヤ教の神はヌーディストか」

 俺の推測に微笑して、ユウは細い指で額の汗を拭いながら話す。

「人間は“羞恥心”という知恵を付けたことで、楽園を追い出されたんだ。神は自分の子供たちに裸のまま、純粋なままでいて欲しかったんじゃないかなって、ボクは思うんだ」

 普段は古い映画の裏話やグリム童話の原典といった、本当に訳の分からない話ばかりしているユウだが、今日は少し違う雰囲気を感じる。ユウはどうやら、旧約聖書の話を持ち出しつつ、自分の話をしているらしかった。

「父さんはボクに全てを与えてどこかへ行ったんだ。いなくなる直前に言われたことを今でも覚えているよ。『ここなら安全だから』って」

 恐らくユウが一生を使っても使い切れないほどの財産。自分の住む世界を一望できる、何でもそろった部屋。およそ生活において、全く不自由のないようになっているユウの住む環境は、さながら楽園エデンか。

 俺はユウまでの少しの距離を泳いで行った。小さく湯船に浸かったままの引きこもり少年の眼前までやってくる。

「俺と一緒に風呂に入るのは恥ずかしいか」

 俺に見下ろされる格好になっているユウは俯き加減に、こくん、と頷く。逆上のぼせてしまったのか、少し顔が赤い。

「多少は……ね」

「ならお前も、“楽園”追放だ」

 その言葉に顔を上げるユウに、さらに重ねて言ってやる。

「知恵はもうついている。どうでもいい余計なことまでな。だから、お前の監視員かみである俺が命じる。この全てが完備された完璧な部屋らくえんからは追放だ」

 暫く呆けたような顔をしていたユウだが、ややあっていつものミステリアスを気取ったペースで話し始めた。

「“失楽園”はいいけれど、それじゃあ新しい住処はどこになるのさ」

「俺の家だ」

「はぁ!?」

 もう完全に年相応の反応になったユウが勢いよく湯船から立ち上がる。

「物置と化している客間があった。暫くそこに住めばいい。あと、“家主”がニャーニャーうるさいから、きっちりと家賃は―――って、ちゃんと聞いてるか?」

 逆上せ上がった顔でボーっとしているユウが少し心配になって声をかけると、ハッと我に返る。

「ああ、大丈夫だよ。まさか、サブも、ボクと……二人で、なんて―――」

 何やらしどろもどろになっているユウに、追加情報を授ける。

「いや、既に同居人がいる。さっき俺が電話をかけていた奴らだ」

「……そう」

 急に冷静になって返事をしたユウに、俺が「どうした?」と訊くと、何故だか苛立った声色が返ってきた。

「何でもない」

「本当か?」

「何でもないって言ってるだろう。もう上がるから、一緒に荷物をまとめるのを手伝ってくれよ」

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