2.街の人々


 駅から南に行ったところ、再開発地区のど真ん中にそびえ立つビルから見下ろすナゴヤは通勤のラッシュを終え、日常の閑静さを取り戻しつつあった。

「おお、見てみろユウ。人がゴミのようだ」

「あまりガラスにべったり張り付かないでほしいな」

「ノリの悪い奴だな。そこは“バルス”とかなんとか―――」

「帰ってもらうよ?」

「そう言うな、ユウ。ちょっと親父さんの遺した玩具を使わせてもらうだけだ」

「はいはい」

 ユウが憂鬱そうにデスクトップパソコンを立ち上げている間、俺は再び街を見下ろすため、窓ガラスに顔を寄せる。

 この街で行われた、前市長と現市長、二世に渡る『ナゴヤ市改造計画』により、様々な弊害が生まれた街の課題の一つが、犯罪の抑止だった。

「バカと煙は高いところが好きだっていうよね」

 背後から犯罪抑止機能の中枢に住まう少年から皮肉交じりの声が飛ぶ。

「中卒だからな、しょうがない」

 展望を終了し、ユウの作業する机の方に向かう。

 格差の広がった世界では犯罪が起こりやすい。市長は先手を打ち、警察署長と共に、街中に巨大な監視網を作ることを、これまた無理を押し切って決めた。当然プライバシー保護の観点から批判が来たが『個人の家以外は全て公共の空間だがね。普通の市民生活を監視なんてしません。犯罪だけです。きちっとしときゃーなんも悪用されることはありません』という理屈で跳ね返した。

「本当に家の中までは入れないのか?」

「今のところは、ね」

 俺の素朴な疑問に、ユウは微妙な返答をした。いつかはできるようになるということか。末恐ろしい話だ。

 かくして持ち上がった監視システムの構築を、市は潤沢な予算と報酬―――金の出所は敢えて言うまい―――を餌に、民間業者に依頼した。

 その会社の社長がユウの父親で、監視システム網の完成で一生使っても使い切れない莫大な財産を成した彼はそれらを、この街中の映像を溜めこむ巨大サーバー施設であるビルも含め、全て残し、ユウを置いて出て行った海外のとある邸宅で自殺した。十年前、ユウが小学生になりたての頃の話だ。

「サブ、これは犯罪だよ?」

「人の路上ライブを勝手に“監視”していたやつの言うことか」

 その上、どこからか俺の自宅の個人情報を入手し連絡を取ってきたユウに言ってやる。遵法意識の希薄さではユウだって負けてはいない。

「……ところでさ、その前髪、一体どうしたの?」

 父親から受け継いだハッカーとしての能力をフル活用し、警察のデータベースにクラッキングを仕掛けているユウが、黒いデスクトップに反射した俺の顔を見ながら、溜まっていたものを吐き出すように尋ねる。

「イメチェンだ。というかお前、さっきそれに触ろうとしてやめただろう」

「あ、バレてた?」

 ユウが俺の頬に触れた時だ。いきなり何をするのかと思っていたが、そういえば目線は俺の前髪に釘付けだった。そんなに気になるか。

「手つきが上に行こうか迷っていたぞ。やるならやり切れ。男同士で変な空気にしやがって」

「それは本当にごめん」

 そうしてしばらくすると、三つの液晶画面に、現在ナゴヤ市全域に設置された監視カメラの映像が、トンボの目の様に細かく映し出された。

「さぁ、まずはどこから調べる?」

「ナゴヤ市内にはいるはずだ。まずは地下鉄ヒガシヤマ線の沿線を辿ってみてくれ。できるだけ人気のないところ。閑静な住宅街や、何もなさそうなところを見たい」

「ところで、ブルースの顔は知ってるの?」

「知らん」

 ユウが振り返り、後ろからモニターを覗き込む俺を冷たい目で見た。

「知らないが、“根本”に住む“野良猫”なら何人か知っている。ブルースは自分の“息子・娘”たちを放ってはおけない。そこから当たりを付ける」

 身寄りがない、若しくはどこにも居場所が無い“野良猫”たちが逃げ込んだのは、民間経営の養護施設を業務撤退に追い込んだ市の施設ではなく、地下鉄サクラ通り線のさらに深くにある、誰も寄り付かない打ち捨てられた工事用の地下道だった。不衛生だが暖かいその場所に寄り添うように“野良猫”が集まり、この街の“マンホールチルドレン”が出来上がっていった。

 そんな子供たちを、清潔な衣服と食糧の提供によってまとめあげたのが“ブルース”と呼ばれる謎の男だ。公式なプロフィールを一切明かさず、時たま貧困問題を扱ったドキュメンタリーや雑誌のルポに写真が出る際には、西洋の革命家をモチーフにしたガイ・フォークスの面を被って登場する。

「正確には、今のブルースは二代目らしい。市政といい、親子二代でよくやるよ」

「何だかブルースと市長に親近感が湧いてくるよ」

 結果的に父親の仕事を引き継いでいる格好のユウと喋りながら、目はモニターを凝視している。映像は割と鮮明だが、カラーではないのでしっかりと見ていないと見逃してしまう。

「何だか様子がおかしいね」

 ユウが呟いたように、こうして鳥瞰ちょうかんで見渡してみると、街の異様さに気付く。

 まず、道行くヤクザの多さだ。安藤のような幹部はともかく、下っ端はどいつもこいつもチンピラのような出で立ちなのですぐに分かる。抗争でも始めるのではないかというほどの数の暴力団構成員が、街の至る所を闊歩していた。少し大通りの方に目をやると、あの犬居と猿渡がまた二人で歩いていた。冗談で“恋人”などと揶揄したのを思い出し、本気でデキているのではないかと思った。

「そういえば、君はまたヤクザと一悶着起こしたらしいじゃないか」

 俺を“視て”いたのだろうユウの言葉で、三日前の、ナゴヤ駅でのいざこざを思い出す。

 やはり、“根本”を襲ったのは成宮組の連中で、狙いはシーナ。それともイブか。若しくは、その両方―――

「どうかしたの?」

「いや、少し考えていただけだ。映像を回してくれ」

 それからしばらく、映し出される映像とのにらめっこが続いた。一時間、二時間と、悪戯に時間が過ぎていくが、俺が知る“野良猫”の姿は発見できない。その代わりと言ってはなんだが、街中のあちこちを伊野波さんがウロウロとしていることが分かった。

「また伊野波さんがいるな。なんだあの人は、ウォーリーか?」

 “ナゴヤの路上ライブウォッチャー”及び“路上ライブ応援団ナゴヤ支部長”を自認する細身の42歳は、まさに神出鬼没と言った感じであちこちを歩き回っている。

「この人は何をしているの?」

「ナゴヤのライブハウスを回っているんだ。こういうミュージシャンがいますよってことを店の人間に情報提供しているのさ」

「そうじゃなくて、普段は何をやっているのさ」

「知らない」

 ストリートミュージシャンを被写体にしたフォトブログは毎日更新されるし、SNSも精力的に活用している。路上ライブをすれば、どこからともなく現れる。だが、プライベートなことは一切わからなかった。Web系の仕事をしていると聞いたことがあって、本人に確認を取ってみたが、ただ単に電子機器に詳しいだけだった。

「何をしているのかなんて関係ない。俺は伊野波さんを知ってる。音楽が好きで、汚い路上で文字通り雨の日も風の日も演奏している連中のことを応援してくれている。それだけで十分だ」

 言いながら、さらにつらつらと見ていると、カナヤマの住宅地の映像が出てきた。カナヤマもまた、路上ライブが盛んな駅を構えている。

「あ……」

「え、なに?」

 自分でも知らないうちに声を出していたらしい。何事かと振り向いたユウに「映像を止めろ」と言った。

「ブルースの関係者が見つかったの?」

「いや、そうじゃないが、ここ一年間行方不明だった人が見つかった」

 間違いない。あの丸サングラスに帽子、全体的に薄汚れている浮浪者のような風体に背負われたギターケース。

『ちょっとイギリスに行ってくる』

 と、近くのコンビニに行くような感じで言い残したきり、一年も音信不通だったナゴヤの路上ライブを取り仕切る裏のボス―――というか名物おじさん“ジョン”の姿がそこにあった。

「ああ、なんか一年ちょっと前に宗教団体と大通りで騒いでた人だ」

 ユウが記憶を呼び覚ましたように、ほぼ毎月ペースで何らかの騒ぎを起こす49歳は―――もう一年経っているから50歳か―――俺にギターと、路上ライブのやり方を教えてくれた師でもある。今となっては、とんでもない人の門下に入ってしまったものだ、と思う。

「まぁ、なんにしても、生きていたようで良かった」

 俺よりも古い付き合いのベテランミュージシャンたちは、口ではふざけ半分に「勝手に寝床に上がり込まれなくなってせいせいした」「あのゴキブリみたいな生命力の男も、いい加減死んだだろう」などと笑っていたが、内心では相当気にかけていた様子だった。

「一体どんな人なの?」

「愛すべきバカ野郎さ」

 中国地方の田舎で生まれ、三十代までプロのミュージシャンを目指し、その後は職を転々としながらナゴヤに流れ着き、そこで偶然会った女と結婚したが間もなく離婚し、しかしそれからもナゴヤに居着いて今に至るヘルニア持ちの生活保護受給者をそう呼んだ俺に、ユウは「それは素晴らしい師匠だね」と、苦笑しながら肩をすくめた。

「俺みたいな奴には、相応しい師匠だよ」

 かくしてひょんなことからジョンさんは見つかったものの、本命の“野良猫”は一向に見つからず、俺は目を休めるために休憩を入れることにした。

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