第三話 ウェアー・ザ・プライベートエデン
1.街の監視員
駅前のナゴヤスクリュータワーが見える。ナゴヤ最大級の高さを誇るビルだが、“最も高い場所”は、今俺が入った80階建てビル最上階のこの部屋だ。ほとんどワンフロアを占拠する部屋は殺風景で、目立つものと言えば社長室のような大きな机と最新型のパソコンが一台。後は、上質な芝生のような絨毯に転がっているギターやベースと言った“奴”の玩具類だ。
奴―――このビルの最上階に住まう支配者であり、この街の“監視員”を気取る“ユウ”は、さきほどから来客である俺に背を向けたままだ。部屋の南側一面をガラス張りにした窓から、朝八時、通勤ラッシュにごった返すナゴヤの街を見下ろしている。
「旧約聖書の冒頭、アダムとイブが楽園―――エデンの園から追放された理由は、蛇に
またか。と、俺は思いながら黙って聞く。ここに来るたびに、ユウは“新しく覚えたこと”として、よく意味の分からない話を披露する。
ユウは細くしなやかな指でガラスを撫でながら、柔らかな絹のような高く甘い声で話し続けている。
「エデンにはもう一つ、食べることを禁じられていた実があった」
「それはなんだ?」
どうやらこちらの反応が欲しそうだったので、訊いてやる。
「それはね」
ユウがこちらを向いた。華奢な身体に上はダボダボのパジャマ、下は短いトレパンというおかしな服装だ。長年日に当たっていない、少し肉のついた白い太腿が丸見えだ。
「“生命の木の実”。それを食べると、いよいよ人間は永遠の命を持った、神と等しい存在になってしまう。自分の地位が脅かされることを恐れた神は、二人を楽園から追放し、二人を唆した蛇から四肢を奪った」
青のメッシュを入れたセミロングの黒髪を、寸法の合っていない長すぎる袖から僅かに突き出た指で撫でながら近づく。唇は化粧を施したように赤みがかり、それが氷のような微笑を作り、次の言葉を紡ぐ。
「ねぇ、サブ。もしボクらがエデンにいたら、人はこの景色みたいに毎朝あくせくすることは無かったかもしれないね」
やや丸く小さな顔に乗った、あまり光を映さない切れ長の目が、いよいよ目の前までやってきた。ユウの右手が、俺の頬に触れ、しばらく撫でた後、下に向かった。俺の左胸のところで止まる。
「君は賢明だから、たとえボクが蛇に唆されても実を食べたりはしない。お互い裸のまま、変わらず、ボクに歌を歌ってくれる。そして、何事も起こらず平和なまま一生を終えるんだ」
ひきこもり生活が随分と祟っているのか、地に足のついていない想像の話を聞かせてくる。
「それは随分魅力的な話だな」
「だが―――」と、俺はユウの手を取り、元あった位置に戻しながら言う。
「なんで、野郎二人が裸で暮らさなきゃいけないんだ」
「それを言ったらおしまいだよ」
ユウ、本名・小林佑都(こばやしゆうと)はつまらなさそうに言った。無論、男だ。
「そうだ。この話はおしまいで、次は俺の番だ。“街の監視員様”に頼みがあってきた」
俺が言った途端、夕飯に嫌いなものを出された時のような顔をする。今朝「今から行く」と、俺から連絡を貰った段階で覚悟していたであろうに。
「“根本”のボス、ブルースを見つける。お前の持っている“目”が必要だ。協力しろ」
「あのね、サブ……」
大きなため息を吐きながら、がっくりと項垂れたユウが、俺の正気を疑うように言った。
「何を言っているのか分かってるの?街のモグラを駆除するんじゃないんだよ。この街の“地下の神様”を、そう簡単に見つけられると思って―――」
ユウの説教を遮り、俺が口を挟む。
「今は地上に
「その神を顎で使おうとしているサブは一体何なのさ」
「ユウ。神は人間を作った。じゃあ神は誰が作ったと思う?」
「誰?」
「“必要”だよ。人間には神が必要だったんだ。そして、今俺にはお前が必要だ。分かるな、ユウを必要とする俺が、お前の創造主だ」
「……」
神を創造した“必要”とやらはきっと詐欺師か何かだ、とでも言いたげな顔でユウは暫く俺を見ていたが、埒が開かないと悟ったらしくパソコンの電源を入れた。
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