9.ファン2
帰り道にスーパーに寄った。併設されたディスカウントファッションストアで、イブとシーナの服を買うためだ。
「えー、『むらしま』なんて嫌だぁ」
「何を言っている。『むらしま』ユーザーになれば、アイドル活動中にスポンサー契約の話が来るかもしれない。CMなんて入ればガッポガッポだ」
「そんな適当なこと言って―――」
「あながち適当でも無い。俺の周りに、たった一本のCMで大当たりした人を知っている」
言いながら、キッズコーナー、レディースコーナーを歩き回り、無造作に買い物かごに衣服を放り込んでいく。
「ちょ、ちょっとサブ!もうちょっと選ばせてよ!それに、男物のパンツとかと一緒に入れないで!」
……めんどくさい。
「お前のサイズは大体Mだろう。それにパンツは新品だ」
「それでも選びたいし嫌なの!なんか変なところでデリカシーないよね。急にけ、け、けっこ……」
何かを言おうとして、それを果たせずにいる様子だ。また顔が赤くなっている。
「おい、こんなところでオーバーヒートするなよ。店の壁に穴でも空いたら洒落にならない」
イブがキッとこちらを睨む。今度はなんだ。
「ううう煩い!誰のせいだと思ってるの!この―――」
意味不明な怒りの矛先がこちらに向かってくる。
「やめろ!痛っ!だから“まげ”を掴むな!」
「うるさい!バカ!そんなに鈍感なのは、このアンテナが悪いんでしょ!直してあげるからじっとしてなさい!」
平日の夕刻に差し掛かる時間だ。買い物中のギャラリーが集まってきたのは言うまでもない。
「イブ、いい加減に―――あ」
「あれ?」
「あれ?」
「あり?サブにイブお姉ちゃんだ」
クスクス笑いのギャラリーの中に、赤ん坊を背負ったアカネとシーナを見つけた。
「あんたたち、何してんの?」
アカネが、答えるのが非常に難しい問いかけをしてきた。俺は俺の前髪を掴んだまま固まっているイブの手を解くと、何事も無かったかのように質問を返した。
「アカネは、何をやっているんだ?」
「夕飯の買い出し。丁度いいや、車で来たから、帰りはサブちゃんが運転してよ」
突然のドライバー指名だ。
「初心者ドライバーがペーパードライバーになるだけだぞ」
「良いから良いから。シーナ、帰るぞー!帰ったら飯だー!」
「うん!」
呼び捨てになっている上、シーナが笑顔で反応している。半日で、あっという間に距離を詰めたようだ。やはり母親になった女は強い。
「アカネさん、何を買ったんですか?」
イブがアカネとシーナが分担して持っている買い物袋を見ながら訊いた。
「えーっとね、ネギとニラとニンニクと挽肉と―――」
なんだと。俺とイブが同時に表情を一変させる。
「そ、それってまさか―――」
「シーナが、餃子が食べたいって言うから」
「……なんてこった」
割と大きなビルが建っているオオスは、傾いた陽によって大きな影を作っていた。もう夕刻だ。遠出をしたわけではないのに、妙に時間が経っている。
「ただいまぁ、こらサブちゃん、靴はちゃんと揃えて」
「うるさい母親だな」
アカネたちの家に帰宅すると、俺はソファの上に寝転がった。特に何をしたわけでもないが、とても疲れてしまった。
「人の家で、よくそこまでくつろげるねぇ」
リビングの床に綺麗に正座したイブが、呆れた声を上げる。だらしなく両手両足を投げ出した俺は、リョウタにミルクをあげるために忙しなく動き回るアカネを横目に見ながら言った。
「まぁな。この家の主には借りがあるんだ」
「なにそれ」
「俺がいなかったら、あのリョウタはいなかったかもしれないからな」
思わぬ言葉だったのだろう。イブが面食らったような表情になった。俺はにやりと笑って見せる。
「それ、どういうこと?」
「キューピッドってやつさ」
その言葉が何故かツボに入ったのか、顔をくしゃっと丸めてイブが笑う。
「なにそれ、キモい」
「言うに事欠いてキモいとは何だ」
言い合いが始まりそうなタイミングで、小さな物体が二つ、リビングに飛び込んできた。
「待ってー、レノン!お風呂入るよぉ!」
パタパタと走ってきたシーナから逃げる風呂嫌いのレノンが、俺の腹の上に乗ってきた。その隙にその茶毛玉を抱きかかえる。
「ふん、いつか湯船に落ちたことを思い出したか」
普段近づこうともしない俺に助けを求めるとは、よほど嫌だと見える。まぁ、全く入れてこなかった俺のせいもあるのだろうが。
「シーナ、レノンの風呂は大丈夫だ。というか、本郷家の高級な浴槽を毛だらけにするわけにはいかない。―――って、自分から懐に飛び込んでおいて暴れるな、この駄猫が」
腕の中で必死の抵抗を始めたレノンを怒鳴りつけながら言う。
「汚いよ、レノン。帰ったら一緒に入ろうね」
事実上の死刑宣告を受けた格好のレノンは、次第におとなしくなった。というかこいつ、シーナの言っていることが分かっているのか。
「あ、あと、服ありがとうね、サブ」
「うん。やはり素直に礼を言える女の子の方が可愛いな、イブ」
「はぁ!?」
圧のこもった怒声が聞こえてきた。俺は無視し、レノンの首筋を撫でる。
「シーナ、イブさん。ご飯の前にお風呂入っちゃおう」
赤ん坊の世話を終えたアカネがやってきた。イブが「え!?」と驚く。
「い、一緒に入るんですか?」
「三人くらい平気だよ。なに、恥ずかしいの?大丈夫、あたしもそんなに無いから」
元ヤンらしい開けっ広げな積極性だ。イブの華奢な腕をつかむと、強引に引っ張っていく。シーナもそれに続く。
「でもイブさんスタイル良いからなぁ。じっくり見させてもらおうっと」
「ちょ、ちょっとアカネさん―――」
一日中シーナに構われて疲れたのか、いよいよ無抵抗になったレノンが腹の上で丸まるのを感じながら、俺は平和な会話に耳を澄ます。すると、インターホンの音。
「あ、パパ帰ってきた」
アカネがイブを開放し、玄関の方に小走りで向かう。俺は半身を起こし、ホッとしている様子のイブを見る。
「何笑ってんの?」
むくれた顔でこちらを見るイブ。そうか、俺は笑っているのか。
「流石に、家主が帰ってきたのなら起きなきゃあな。おっと、すまないなレノン」
俺が伸びをすると同時にソファから滑り落ちたレノンが抗議の鳴き声を上げる。
「また猫が来るの?」
シーナが目を輝かせているので、俺は思い切り吹き出した。ああ、確かに俺は笑っているな。
「家主が猫なのは俺の家だけだ。ここの人は俺の―――」
俺の言葉が終わらないうちに、この家の家主―――シンジローさんが昨年立ち上げた個人事務所から帰ってきた。撫で肩の30歳はスーツ姿があまり似合わない。
「やぁサブくん、久しぶりだね」
「そうでもないって。四月の話だ」
「二カ月も君の姿を見ないなんて、僕ら霧島三郎フリークとしてはあり得ないんだよ。そうだろうアカネ」
「そうだよ。やっぱり久しぶりなんだよ」
俺は後頭部を少し掻きながら曖昧に頷く。そういうことなら、そういうことなのだろう。
「イブ。この人が、さっき話したCM成金だ」
「その言い方はやめてくれよ」
シンジローさんは、朗らかに笑いながら言った。なので、俺は言い直す。
「アカネと同じ、俺のファンだ」
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