8.役所


 市役所は閑散としていた。20歳になってから行く機会が増えたので、行くべき場所は心得ている。

「ねぇ、ここにきて何をするの?」

 どうやら始めてきた場所では落ち着きがなくなるらしいイブが訊く。

「そうだな。まずは仕事を辞めて社会保険と厚生年金が切れたからその切り替えと、支払い免除手続き、それにお前たちの住民票の移動だ」

「なんか難しそうだね」

「アカネの言ってた通り、イブやシーナの戸籍を照会するのさ」

「え!?っていうことは―――」

 またぞろ赤面し始めたイブの心境を察して、俺は「違う」と言ってやる。

「別に籍を入れようっていうんじゃない。扶養家族に入れれば、俺の月々の負担も減るっていうだけの話だ」

 そんな長いこと家に置いておける経済力もないが、やっておいて損はない。と、いう話も、湯気が立たんばかりに紅潮したイブには聞こえていない様子だ。

「オーバーヒートし易い思考回路だな」

 俺は市役所の入り口に立ち尽くしたイブの手を掴み、無理矢理引っ張り込んでいった。少し熱くなった手を握ると「ひっ」という悲鳴にも似た反応が返ってきたが、気にしない。このままでは埒が開かない。強引なくらいが丁度いい。

「さぁ行きますよ、奥さん。印鑑は用意してきましたか?ハネムーンはどこがいい?」

「ちょ、ちょっとサブ、待ってよ、まだ心の準備が!」

「だから違うって言ってるだろうが!」


 ―――役所の業務はモタモタとすることに定評があるが、今日は空いていることもあり、短い時間で個人的な手続きは終わった。

「それでは、国民保険と年金の切り替えが完了いたしました。ほかに御用はありますか?」

「ああ、戸籍謄本と住民票を照会したい」

「分かりました。こちらの窓口で対応いたします」

 気のよさそうな男性職員が少し席を外すと、俺は貰った市のチラシに目を落とす。

「へぇ、この人が市長なんだ」

 隣に座っていたイブがチラシの中央にインタビュー記事と共に載っている現市長・川上幸喜の写真を見て言った。

「本当に高校を出たのかお前は。中学生の俺の弟より物を知らないぞ」

「う~、というか、高校しか出てないから分からないのかも知れない」

 なかなか含蓄のある言葉だと思った。人間誰しも階段を一段ずつ登らなければいけないのであって、いきなり高等教育を受けさせても意味が無いのかもしれない。

「っていうか、サブ、弟なんていたんだ」

「ああ、俺が長男だ」

「ふーん、ますます意外だなぁ。“根本”のブルースさんが言ってたけど、この人が“野良猫”を作ったの?」

「このオッサンは二代目だ。“野良猫”を作ったのは、こいつの親父だ」

 ナゴヤ市前市長・川上倉人かわかみくらとが約三十年前に始めた『ナゴヤ改造計画』は、この国の地方政治の中で最も成功したと言われている。

 その政策の軸は“自由”だ。基本的に口も金も出さない小さな政府として、市民税・法人市民税の減税、解雇と採用と起業の規制緩和など、ありとあらゆるもののハードルを下げ、徹底的に自由にしまくった。そうして企業を誘致し、住民を集め、雇用を作り、結果的に税収を増やした。無論、その裏には全国一の“収益”を誇る『成宮組』が付いていたので、市長は心置きなく剛腕を振るえた。

 こうして、仕事が無くなっても、すぐに新しい仕事ができる環境ができた。終身雇用を完膚なきまでに叩き壊した弊害として突然の解雇も増えたが、市は増えた分の税をほとんどセーフティネットに突っ込み、素寒貧になってもホームレスになって死なないよう、生活保護付きの職業訓練施設や養護施設などの体勢を整えた。

 しかし、それによって起こったのが、市民の経済格差であり、その固定化だった。要するに、貧乏はそれなりに生きられても貧乏なまま、逆に富める者はよほど下手を打たない限り金持ちのままでいられる。

「お待たせしました。それでは戸籍と、住民票の手続きを始めます」

 見るところ、二十代後半と思わしき男性職員が戻ってきた。右も左もわからない新人でもなく、臨機応変に対処できるベテランでもない年齢が、一番無理難題を通し易い。

「俺とこいつの分と、ここにはいないが子供のも頼む。実は本名が分からなくてな」

「え、それは―――」

 厄介な客に出くわした職員の困惑を遮るように、少し身を乗り出し職員に迫り、耳打ちするような声量で言った。

「その子は“野良猫”だ。市のデータベースに“シーナ”がいないか確認してほしい」

 格差の固定化が極まった状況で、特に困ったのが、少子化と、捨て子への対処だ。

 もともと、国全体がその問題に直面していた時期に、年収400~600万程度の“中間層”が消滅しかかっていたナゴヤは、より危ないといわれた。貧乏人は子供ができても自分一人を養う程度の年収しかないので育てられないし、金持ち連中は毎日昼も夜も無くシャカリキに働いているせいで子作りをする暇などない。それに加えて低所得者の間で捨て子が増えるというダブルパンチに見舞われてしまい、市は可及的速やかな対応を求められた。

「“野良猫”とは……そ、それはつまり『ふるさとベイビー』のことですか?」

「誰もそんな三文コピーライターが作ったような名前では呼んでいないだろう。“野良猫”で通じる。早いところ探してくれ」

 慎重に言葉を選ぶ職員に、俺はぴしゃりと言い放つ。それくらいの勢いがないと役所で無理は面倒な手続きは通らない。 

 少子化に歯止めがかからず、困った市政は、いよいよ“子育て”にも大鉈を振った。その名も『ふるさと子育て制度』である。

 子供を産んだら補助金、養子でも何でも扶養家族を増やせば減税、という内容だ。その制度に引っかかった子供を『ふるさとベイビー』などと呼んでいた時期もあった。正確には今もそうだが、あまりにダサすぎるのと、その言葉の裏に潜んだ『札束を積んで言うことを聞かせる』下卑た魂胆が鼻に着くという理由であっという間に廃れた。今では単に里子と呼ばれている。

「子供は街どころか、国の未来の宝ですから、その子の両親だけに負担を背負わせんと、みんなで育てて行きましょうということです」

 という市長のもっともらしい演説もあって始まったその制度の実態はこうだ。年収200万円以下、もしくは生活保護受給者や市が育てられないと判断した赤ん坊を、半強制的に一旦市が経営する施設で預かり、高所得者の里親を募る。もし、親が見つからなければ、そのまま養護施設で育てられる。

 子供はいるが金が無い低所得者、金はあるが子供はいない高所得者、両者の思惑が一致したWin-Winな関係。間に入った子供は生みの親の懐を潤し、育ての親の税金対策になるという寸法だ。

 施策当時から、主に「古来の家族制度が破壊される」として保守層や、子供を奪われる形となった親たちから批判の嵐が吹き荒れたが、ヤクザ者と取り巻きの支援でワンマン為政者として力を付けていた市長の強引さと、出生率の上昇と捨て子の減少がデータとして表れ始めた段階で収まっていった。

「本名と本籍不詳の“野良猫”が素寒貧で街を歩いているのはアンタのせいじゃないが、アンタらの“上”にいる人間の失策が招いた事態だ。一人の子供救うのに協力してもらう。なに、シーナの本名と住所を書いた紙をその辺に“うっかり落として”くれればそれでいい。俺たちは何も言わずに消えるさ」

 職員にも子供がいるのか、話は割と早くに片付いた。「少し、待っていてください」と言い残すと、またどこかへと消えていった。

「ねぇ、サブ。結局“野良猫”って何なの?」

 イブが訊く。俺は端的に答えてやる。

「レノンみたいな連中のことさ。」

 少子化対策における、空前の成功例として持てはやされた政策だが、しかし、歪みは出た。市長は、『金は子育ての必要条件だが、十分条件ではない』ということが分かっていなかったのだ。

「野良猫を保健所から引き取るような気分でポンポンと養子を増やしていった連中は、当然の成り行きとして、子供を子猫同然に扱う。完璧な空調とネット完備の部屋を宛がい、ふかふかのベッドで寝かせ、高い“餌”をやり、立派な“しつけ教室”に通わせた」

「それが、ダメだったの?」

「そうみたいだ。“保護した猫”扱いされた子供は“拾い主”には懐かなかった」

 抱き上げようとすれば暴れて爪を立て、わずかな隙を見つけては脱走の機会を伺うようになる。ウチの駄猫を見れば一目瞭然だ。

 おまけにその猫はそのうち物を言う。反抗する。可愛くなくなる。邪魔になる。

 親は無くとも子は育つ。養育費たる金はあるから放任主義を気取って育てられはするが、それはもうほとんど育児放棄と同じだ。子供は好き勝手に遊びまわり始め、悪い仲間と出会い、夜な夜な街を徘徊するようになる。

 アカネもそうだし、マナミもだ。二人とも、そんな“野良猫”だった。

 税金対策で保健所から引き取った子供ペットが野に放たれるから“野良猫”。誰が呼んだかは知らないが、少なくとも『ふるさとベイビー』よりは定着した語だ。

「私、何も知らなかった」

 イブが落ち込んだ様子を見せるので、俺はかぶりを振って言ってやる。

「まぁ、学校なんていう“合法刑務所”に三十年も閉じ込められていたら、知らないのも無理はないさ。“野良猫”だって、そう数は多くないからな。俺が言ったのは、制度が生んだ歪みの部分だ。ちゃんと良心的な里親もいるし、“野良猫”なんていったって、そこらの不良とそう変わらない。この街で普通に暮らしている人間だって、イブと似たり寄ったりだ」

「でも、サブは“野良猫”の子達と積極的に関わってる。なんで―――」

 イブは自分で言ってから、何かに気付いたらしい。俺は片方の頬を持ち上げ、皮肉っぽい笑みを作る。

「“野良猫”の名前は、名字も含めて市長が名付けたってていで、コンピュータによってランダムに付けられる。一応改名はできるが、ウチはしなかった。だから、長男なのに『三郎』だ。名字の方は―――忘れたな」

 自分の出自に特別な思い入れは無い。無いつもりだ。だからイブには悲しそうな顔をしないでほしくて、俺は黒髪の頭に手を掴むように乗せると、乱暴に撫で回す。

「や、やーめーてーよー!髪が乱れちゃうじゃない!」

「暗いんだよ。アイドルがそんな顔でどうする。笑顔が基本だ」

「もー!サブって変なところでスキンシップしてくるよね」

 膨れっ面で俺の手を押しのけると、櫛で髪を整える。今日は後ろで一つ結びにしてあるので、簡単に終わった。すると、目線が俺の頭に向いた。

「ねぇ、サブも寝癖がちょっと酷いよ。私が直してあげる」

 急に悪戯っぽい笑みを浮かべ始めたイブを警戒して俺は拒否の姿勢を取る。

「遠慮しておく。こんなもの、放っておけば直る」

「えー、良いじゃない時間かかってるんだからー。身だしなみは大事だよ。あと―――」

 幼い顔が、上目遣いで俺の額辺りを見ている。

「その“前ちょんまげ”触らせてー!!」

「主にそれが目的だろう!―――って、痛!!前髪を掴むな!」

「だって改めて見ると気になっちゃうんだもん。私に笑顔でいて欲しんでしょう?だったら協力しろー!」

「子供か!気の向くままか!!帰ったらいくらでも触らせてやるからここではやめろ!」

「あの、お客様、よろしいでしょうか?」

 はっと気づいた時には、見事な事務的スマイルを貼り付かせた男性職員と、周囲のクスクスとした笑い声が聞こえてきていた。イブは耳まで赤くなりながら小さくなって俯き、俺は鼻を一つ鳴らすと職員に正対した。

「まずは、お二人の戸籍と住民票をご確認ください。そして、伊武さんは、霧島さんの住所に移動されるということですね」

「ああ、そうだ。それで、シーナに関してはどうだった?」

 その話を切り出すと、職員は少し顔を曇らせた。

「それが、時間をかけて入念に調べたのですが、見つかりませんでした」

 予期していなかったといえば嘘になるが、俺は諦めきれない。

「本当か?ちゃんと隅から隅まで調べたか?大体2006年くらいの生まれだ。シーナは名前かも知れないし、名字かも知れない」

「もちろんです。しかし、『ふるさと子育て制度』を運用しているデータベースのどこにも、『しいな』という名前の戸籍がありませんでした」

 年間百人にも満たない“野良猫”の名前は、あまりほかの子供と被らないようになっている。『しいな』は恐らく名字だ。ありふれてはいるが、二、三件被っているだけで、すぐに見つかるはずだと思っていた。

「なんでこんなことになると思う?アンタの経験から、探しても戸籍が無いっていうことはあるのか?」

 俺はできるだけ苛立ちを見せないように、少し青ざめている職員に質問した。

「……はい。稀にですが、戸籍がないままの方がいらっしゃいます。多くは、出生届を提出していなかったですとか、自宅出産で、提出をお忘れになっていた、ということがあります」

「提出しなかった、なんてことがどうして起こる?」

「『離婚後300日問題』というものがありまして、夫婦が離婚しても300日以内に生まれた子供は、たとえそれが前夫ぜんぷの子ではなくても、自動的に前夫の戸籍に入れられてしまいます。そうなることを恐れて提出しないということが起こり得ます」

「それはまた妙なルールだな。でも、“野良猫”は別だ。あれはどちらの親の子にもならず、個人としての戸籍が与えられるはずだろう」

 俺の言葉に、役所としての重大な失態を明るみにしてしまった職員は赤べこの様に何度も頷く。

「はい、そもそも、『ふるさと子育て制度』には、戸籍の無い子供を減らそうという考えもあって始められたものです。一旦子供の戸籍を作って頂いて、その後、養子という形でご両親の家に入るお子さんもいらっしゃいますので」

 ならば、シーナの戸籍が無いということはあり得ない。ブルースのメッセージが間違っていたということか。いや、そんな簡単な話ではない。

「分かった。じゃあとりあえず、シーナの戸籍は今から作ってくれればいい。名前は適当でいい。どうせシーナ自身も知らないようだからな。さぁ、とりかかってくれ」

 しかし職員は動かない。青い顔のまま、窓口に座っている。

「で、できません。ここでは……」

「なんだと?」

「申し訳ありません。まず、無戸籍となっている方ご本人がいらっしゃらないと。その後、家庭裁判所に行っていただいて―――」

 つらつらと話し始めた職員を遮る。

「あのなぁ。去年死んだ婆ちゃんを生き返らせろなんてことを言っているわけじゃないんだ。今ここで生きている人間に戸籍を与えることくらいのことに、なんでそんなまどろっこしい手順を踏まなきゃいけないんだ。元はと言えば行政そっちの不手際だぞ」

 職員は、いよいよ泣きそうな表情になっている。これは少し追い詰めすぎたかもしれない。俺は少し口調のトーンを落とす。

「ここではできないのか」

「出生届を出してもらうという方法もありますが、それにはご両親がいないと―――」

 両親か、と、俺はさっきから俯いて何をしているのかと思ったら、今にも眠りそうに船を漕いでいるイブを横目で見た。

 戸籍上は17歳。うむ、法律上は全く問題ない。

 俺はイブの方に顔を近づけると、耳元にそっと囁く。

「イブ、俺と結婚できるか?」

 鼻提灯を出さんばかりだったイブが天変地異が起こったが如く覚醒し「きゃああああ!!」と素っ頓狂な叫び声を上げ、窓口の机と近くにあった机を次々と吹き飛ばし、職員が働くデスクに突き刺さった。

「なんてこった」

 邪悪な念動力を手にした何者かの襲撃かと言わんばかりに逃げ惑う職員たちの怒号と悲鳴、さらに消防のベルがけたたましく鳴り響く地獄絵図と化した役所が落ち着くのに、軽く一時間はかかった。

「おい、またシーナを連れて来るから、その時までに必要な書類を用意しておいてくれよ」

 俺は机の下に隠れて震えていた男性職員にそう言うと、阿鼻叫喚の元凶たるイブの腕を掴み、退散しにかかる。

「い、今の、け、結婚て……」

「ああ、そのことはもう忘れろ。ただの冗談だ」

「……うん」

 それでも真っ赤になった両頬を手で押さえているイブはなかなか動いてくれず、俺は、今日三度目のオーバーヒートに陥ったアンドロイドの手を無理矢理に引いて、役所から逃げ出した。

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